「だが、情熱はある」を観てからの「明日のたりないふたり」

「だが、情熱はある」を全12話観終わり、2年前に観た「明日のたりないふたり」のどこに出すでもない感想を書いたノートを読み返した。

以下、当時の感想(敬称略)
・「~2020秋」で亀裂の入った2人の関係により、日本を代表する大物女優と結婚し、「さよなら~」で次のステージへ上がる決意をしたがなかなか変化できなかった山ちゃんと、「あちこちオードリー」などで再び評価が上がり、「たりてる」ようになった若林さんとの対比がより色濃くなった印象

・前半は「~2020春・夏・秋」の内容を踏まえた展開だったが、後半の「自虐の槍」を捨てて「人間力のマシンガン」にアップデートしたいけど、やっぱり「自虐の槍」を磨き続けていくと腹を括った山ちゃんと、「人間力のマシンガン」を手に入れたと思ったらモデルガンでやっぱり大人になりきれなかった若林さんのラリーの部分は2人の言葉に言霊が乗っかっており感極まるものがあった。

・これまでのシリーズを観て思ったことは「たりないふたり」は山里亮太が主役の成長物語なんだなという事をあらためて思った。
視聴者は「山里亮太」の人間としての「たりなさ」に共感し、「若林正恭」の人間としてのステップアップしていく様に憧れ観ているのではないかと。
若林はユニット結成当初から先輩だと思うほどの実力に憧れているが、山里自身は得意のアンダードック効果でどんなに褒められても自分の劣っている部分に目を向けてしまうので「~2020秋」のように自虐が過ぎると若林に「自分の話が多すぎる」「人の話を聞かなさすぎる」などの核心を突かれてしまい、「スタッフと距離を取る」という発言が出てしまうほど心が折れてしまった。そんな中、若林乱入の「不毛な議論」を経て蓋を開けてみると、「明日のたりないふたり」は山里は折れた心持ち直すことができるのか?新しい武器を手に入れるのか?「自虐の竹槍」をさらに磨くのか?に注目が集まり、結果的に全員が「山里亮太」の行く末が気になっているという構図になっていたのではないかと思う。

・漫才中の山里の例えツッコミに対して若林から「ノート読んでんじゃねぇよ」と度々ツッコまれることが多かった。確かに山里の準備している例えツッコミはもちろん面白い。それは自身がアドリブが苦手だからこそ準備が必要、天才タイプではなく秀才タイプだと公言しているからだと思われる。他の番組ではそのノートの例えツッコミはハイクオリティなので十分成立しているが、こと「たいないふたり」になると、自身の胸の内をさらけ出し、魂のぶつかり合いになっているので、ノートツッコミが浮き彫りになってしまう印象がある。若林的にはそのツッコミが出きった後の出る魂のツッコミこそが山里亮太の真骨頂だと思ってキワドいアドリブボケを繰り出しているのではないかと思った。
実際今回も「収録終わりにスタッフからの褒めをうまく受ける」というミニコントで山里とスタッフ役の若林が話すくだりの途中で後輩が通り過ぎるというボケに対して「未来を語るなよ」という、魂の、本心のツッコミがさく裂し、大きな笑いが起きていたのが印象的だった

読み返して思ったことは、「ダラダラ長文で書いてんじゃねぇよ」という事と「素人が語ってんじゃねぇよ」でした。
しかし、「だが、情熱はある」を全話観て、あの漫才を観た当時だったらダラダラと長文で素人なのに語りたくなっちゃうよなと当時の自分をちょっとだけ肯定してあげられました。

せっかくこんなに書いたので公開してみようと思い、今回投稿してみました。

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