見出し画像

【小説】『規格外カルテット』1/10

 バレンタインデーという事で、
 当日からホワイトデー直前までの小説を、
 noteにも再録します。

 紹介記事は過去に書いていました。

(10回中1回目:約2100文字)


1 ポイズンミルクにハニービター


 地球規模で見れば本当にどうだっていい話だと思うけれど、これも何かの思考のきっかけになると思って、出来るだけ鮮明に想像してもらいたい。
 こちら側の仕事終わり時間を見越して、職場近くの喫茶店まで、向こうだって仕事終わりなのにわざわざ会いに来てくれた彼女が、
「ごめんなさい。どうしても、出来たら今日渡したくって」
 と言いながら、ちょっと恥ずかしそうに差し出してきたチョコレートが、フェアトレード品だった時の気持ちを。
 いや。志は理解する。悪いとは言わない。立派だととりあえずは口にしておいてもいい。
 しかしながらこういった品は、もっと端っこにこっそりと、さりげなく示してあるくらいが奥ゆかしいんじゃないかとは思う。おそらくは過剰包装にも抵抗を示すために、アルミホイルでくるんだ上に外国の子供達の写真と、どこの文字とも分からない外国語が印刷されている、ぺらっぺらの紙で巻いただけのリボンも無いラッピングで、
「これね。手に入れるの結構大変だったんだよ。取り扱ってるお店が、普段は行かないような路地にあってね」
 申し訳ないがこちらとしては、その店舗に対する信頼感が薄い。
「……お店、大丈夫だった?」
「え? うん。とても素敵な感じの女の人が、たった一人でやっていて」
 裏に、誰か、いる。いや何も悪い意味じゃなくても、店をやっている時点でそこには多くの人達が関わっている。
「……署名とか、した?」
「え? うん。飢餓問題への対応を求めるのと……」
 指を折りながら数え始めた時点で思いっきりうなだれてみせると、彼女はようやく戸惑ってくれた。
「それは、感心しない」
「どうして? だって……、困っている人がいて、今幸せに暮らせている私達が、助けてあげなきゃ」
「キリがない。世界の人まで助けてあげられるほど、僕達が今幸せだとは思わない」
「え? 幸せじゃ、ない? 私達、今」
「種類が違う」
 僕の彼女、白井(しらい)みるとはいつも、こういった話でケンカにすらならないくらいに、気持ちがすべってすれ違う。
「僕が今、みるさんのおかげで運良く幸せだとしても、それで誰かを『助けてあげよう』だなんて感覚になる事自体が、僕には分からない。自分の名前に住所なんて、間違ってもそんな所で書きたくないし、書いてほしくない」
「あ。住所は、書いてません」
「よし」
 つい大きく頷いたが、
「じゃない。何の意味があるんだそんな署名活動に」
「意味は、あると思うよ? これだけたくさんの声が、集まっているんだって」
「はいはい、ってすぐゴミ箱行きだ。証拠にならない」
 言い捨てながらコーヒーを飲んでいた間に目をやると、対面の彼女は明らかに、傷付いた様子でうつむいている。言い過ぎた、とは思うが、言い過ぎている自覚がある分彼女よりはまだマシだとも思う。
 昔の少女漫画に出てくるみたいな、小花柄のワンピースを着て、ちょっとふわふわした元から茶色い髪を、両サイドで太めの三つ編みにしている。田舎の女子高生、みたいなんだがそう言い切ってしまうには、20代も中盤にきたお姉さんがコスプレでもしている感じに、ちょっとエロい。
 初めて見た時には、透明感を通り越して透明か、透けて向こう側が見えるんじゃないかと思ったくらいの色白と、線の細さで、その絶妙なエロさにやられてしまったと言っても過言ではない。
 話してみたら恐ろしさに背筋が震えるほどの活動家だったけれども。
「ごめんなさい……」
 と涙声を震わせながら言ってくる。
「きちんと、住所も書けるくらいの覚悟を持っていなきゃ、人なんて助けられないよね」
「持たなくて、いい」
「え?」
「と、言うよりごめん。僕の話、聞いてた?」
 表現を変えよう。彼女自身はどこの組織にも、団体にも所属していないし、確固たる信念を持って行動しているわけでもない。ただおそらくは、活動家の御両親や周りの人達に育てられて、その中で真実とされてきた感じ方考え方に、どっぷり浸かってしまっている。
「チョコレートは、ありがとう。すごく嬉しい」
 はっきり言葉にしてあげないと伝わらない。自動的にこれまでの、思考や行動様式に変換されて受け取られてしまう。
「続きはまた、後で」
 うん、と頷いて彼女の方は、ポットで提供されたオーガニックティーを飲み終えるまでは、この喫茶店で過ごすだろう。こっちは席を立って、駐車場に停めておいた、ホンダのレブルで先に自分のアパートまで帰る。
 通勤に二輪車を使っている、自分の前で、ガソリン車や内燃エンジンに未来なんかありません、って価値観や、化石燃料が地球環境にもたらしてきた犯罪のごとき悪影響について、長々と話し続けてくれるんだ彼女ときたら!
 もちろんバイクの二人乗りなんて、彼女の基準で言えば犯罪行為には絶対に加担したくないらしい。と、言うわけで結局、地下鉄に乗って自分のアパートまで来てくれるんだが。

次ページ
1         10


何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!