【小説】『規格外カルテット』2/10

 バレンタインデー翌日という事で以下同文。

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(10回中2回目:約2700文字)


2 フェイクホワイトにチープルビー


 仕事帰りの道沿いから見上げたアパートの、私の部屋の窓に明かりが見えた時点で、あの野郎、とは思っていたけど、
「おっかえりなさーい」
 扉を開けた途端に玄関まで、ぴょんぴょん飛び跳ねるみたいにやって来る。
「カンベンしてよ……」
 全身から力が抜けてへたり込んだ私に、ヤツも屈み込んで私の顔を覗き込みにきた。
「どうしたのぉ? 瑠美ちゃん今日お仕事疲れちゃったぁ?」
 裏声の、おネエしゃべりが余計に疲れを増す。ぱっと見は色白で、女の子みたいなパッチリ目にふわふわした茶色い髪に、これまたふわっふわの真っ白なロングコートにくるまって、裾から覗くロングスカートからはみ出したスネは、日に焼けて太い。
「家に来るんだったら連絡して。あと何、暖房くらい入れといてよ」
「できませぇん。ご主人様もいない間に、そんなゼイタクゥ」
「思いっきり高い毛皮自分だけ着といてよく言うわ」
 どうにか気を持ち直して立ち上がり、まずは必要最低限にしてあった明かりを増やして、暖房をつける。暖まるまで紅茶でも淹れようと、台所に向かって行く私の隣をヤツは、ペットの犬役を決め込んで、四つん這いで歩いたりすり寄ったり、ワンワン鳴いてみたりしている。
「あんたも、飲むでしょ紅茶」
「あぁん、ご主人様ぁ。シロでもポチでもお好きなように呼んじゃってぇ」
「イヤよ。人相手に犬みたいに」
「あんた呼ばわりはよろしいんですかぁ?」
「あんた自分の名前も何もかも、教えてくれないじゃない」
 二人分のカップを乗せたテーブル脇に座ると、丸めた両手の指間接辺りで私の、太ももを服の上から撫でさすってくる。
「瑠美ちゃん、ねぇチョコレートはぁ?」
「は? なんであんたに」
「ええぇ? だってぇ今日はぁ、バレンタインデーだもぉん」
 胸の前でハートマークを作ってきやがるが鼻で笑ってやる。
「だからなんであんたに。私達付き合ってないでしょうが」
「ええええええ!」
 ムンクの叫びみたいにわざとらしく両頬を押さえながら言ってきた。
「やったのに」
「やったくらいで勘違いするな。ガキか」
 笑ってやった目の先に、小さな金属片をチラつかせてくる。
「合鍵だって、頂いちゃいましたけどぉ」
「……あんたが勝手に持ってったんでしょう」
「やぁだ人聞きの悪い。ちゃんと確認しましたよぉ? 『持ってっちゃって良い?』ってねぇ、お布団の中で」
 フフッと含み笑いしてきた息が、首筋に吹き掛かって、その時の感覚が甦る。ええ「良い」って言いましたよ確かに。頭がしっかり回っていない時に。
「なんてね」
 ひょいっ、と立ち上がりまっすぐ伸ばせばなかなか様になる二足歩行で、台所に消えて行った。勝手に使っていたらしい、冷蔵庫が開く音がする。
「瑠美ちゃんそう言うと思ったからぁ」
 きちんとお皿に盛り付けた、生チョコとオードブルに、家には無かったはずのワイングラスまで揃えて持って来やがった。
「アタシが、作って来ちゃった」
 ねぇ食べて食べてぇ、と勝手にテーブルに並べ出す。どうせどこかで買って来た、と思いきや、プロ並み過ぎないそこそこの出来で、本当に手作り感がある。
「明日は瑠美ちゃんお仕事、お休みでしょお? お洗濯とか、お食事とか、一日分の家事プレゼントしてあげるぅ」
 それは正直に言って本当に有難いけれど。
「出来んの?」
「まぁ普通に。お仕事にまではならないレベルですけどぉ」
「仕事何してんの」
 あったまってきちゃった、とふわっふわの真っ白を脱ぎ捨てて、ひと息つくなりくぅんと、隣の私にのし掛かって来た。
「おい早速かっ」
「早速、だなんてご主人様ぁ、けっ……こぉ長いこと、待たされましたよぉ?」
「あんたが勝手に、待ってたんでしょ、ってかちょっと、こらっ、待ちなさい!」
「はぁい」
 と待たされる犬の、早い話がチンチンの格好になってくるけど、人間の、男の生身が全裸になりかけで、シャレになっていない。
「私、ビアンなんだけど」
 う? と首をななめに傾けてきた。
「それもその、普段なら、タチ」
 う、と首を戻している。
「だからね。こないだの事ははずみって言うか、流れって言うか酒に酔ってたって言うか、あんたの事おネエと思ってて油断してたってのもあるし」
 フフッ、と一旦うつむいて笑ってきたけど、どの言葉にどう反応してなの分からない。
「そういうのの、複合。運悪く積み重なった偶然、みたいなもんで」
「だから?」
 おあずけの体勢から一歩だけ、前に踏み出して来た。
「アタシたちが今ここでやりたいってのと、何かそれ、関係ある?」
 いや勝手に複数形にされてるんだけど。
「もうやめちゃわないそういうのぉ。自分が何者か、とか、自分はこうなんだからこれが正しいんだから有り得ない、とか、うっとうしい」
 その、うっとうしい、だけが重苦しい、吐き捨てる口調で息が詰まる。
「じゃあさっ、ねぇこうしちゃおっ」
 暗めの赤に染めた私の髪を、ひと束手に取って、根元近くから毛先まで、撫で下ろしてくる。
「人間様のぉ、瑠美ちゃんはぁ、ビアンだって何だってぜんっぜん、そのまんまで好きにして、いいんだけどぉ」
 毛先から滑り落とした手で近くにあった片乳、鷲掴みにしてきた。
「犬畜生の瑠美ちゃんはどうですかぁ?」
 すぐに肌着の裾から滑り込ませて、指を生乳に食い込ませてくる。
「人間様やめちゃってシロくんとぉ、シッポ振って遊びたくないですかぁ? ねぇ」
 何か前の時もこんな感じで、丸め込まれながら巻き込まれた感じがする。

「瑠美ちゃん、って名前がちょっとだけ、惜しいんだよなぁ」
 やった直後はおネエしゃべりが薄まりやがってこの野郎。
 あと、ちょっと惜しい、が突き刺さった。私のこれまでってどこに行っても大抵、そればっかりだ。もう少し。あとちょっと。もったいない。何かは良く分からないけど、何かが足りない。
「嫌な事、思い出しちゃうって言うかぁ。まぁ、ちょっとだけ、だけど」
「自分で決めちゃいない、親が決めただけのもん気にされたってね」
 ねぇ、とおかしいみたいに頷いてるけど、あんたが言ってきた事なんだけど。
「何。昔の女?」
 いや、と男の声で言った後、ううん、と裏声になって、
 あれ? とあさってな方を向いた。
「そういう事に、なるのかな? フフッ。なっちゃうのかも」
 こっちには意味も分からないまま勝手に笑っているから、私は無視してさっさと寝た。

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