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利き手ではない指で耳のきわを触る

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 与太論説ですが、
 付いて来られる方はお付き合い下さい。

(文字数:約1400文字)


 CSで様々なアーティストの、
 PV集を録画しておいて、
 最低でも3回は繰り返して観るのが好きだ。

 そりゃあもう、
 監督に出演者にもちろん楽曲も、
 関係する全ての方々が粋を凝らして、
 出来上がっている映像なだけに、

 触発されて脳内に、
 自分の文章と作品世界が迸るんだが、

 いかんいかん。
 今は他人様の傑作に、
 耳も目も全集中していたいのだと、
 何度意識を戻そうとしても上手く行かず、

 Aimerさんの『白色蜉蝣』に至っては、
 6回もその曲だけを繰り返す始末。

 どうしたものかとふと、
 利き手ではない腕で頬杖を突き、
 耳のきわを触りながら鑑賞したところ、

 これが目の前の映像に集中できたわけだ。

 そしてどういう原理かまでは、
 思考が追いついていないなりに、

 「なるほど。
  これはリスカと同じだな」
 と脳内の連想に納得したわけだ。

 厳密に言えば私は、
 リストカットをやった事はない。

 と言うのも、
 人に見られるような箇所に、
 自ら傷を付けようものなら、
 その跡を見つけられようものなら、

 最大限の侮蔑と嘲笑を、
 加え続けてくる母親である事を、
 十分に承知していたので、

 その分部屋に一人で誰もいない時に、
 バンバン頭を叩いたり、
 気が遠くなるほど首を絞めたりしていた。

 当時(といっても去年9月頃まで)の私に、
 それをやらせたものが、
 果たして何だったかを考えると、

 「実在感」の無さだ。

 経験の無い方には伝わりにくいと思うが、
 解離性人格障害の症例の一つに、
 「離人症」というものがあり、

 コイツが実際に、
 結構、
 苦しい。

 分かりやすい苦痛は感じないだけに、
 独特の心理的負担がある。

 最も伝わりやすい表現が、
 「自分の手足に身体が、
  自分の物には思えない」だが、

 それはつまり身体を通して得られる、
 「感覚も記憶も、
  自分の物には思えない」
 すなわち、

 「自分がまさしくこの世に生存しているという、
  実感すらも無い」状態だ。

 大変に似通って聞こえてしまうが、
 「生きている実感が無い」
 ともまた異なる。

 むしろ一緒にしないでほしいくらい、
 激しく異なる。

 自分という存在から一切の、
 感覚を受け取れないという苦痛だ。

 本当を言えば感じないわけではないが、
 日々の一つ一つを感じていては死んでしまうので、
 おそらく脳が自らセンサーを切った。

 世界には常に透明な膜が一枚隔てられてある。

 頭を本気で殴りつけて、
 痛いと感じてようやく、
 そこでようやく、
 我に返れる。

 最低でもそこまでしないと、
 我に返れない、
 この恐怖だ。

 もちろんエスカレートすれば、
 本当に死ぬ。

 しかしここで話を戻そう。

 もしかしたら利き手でも、
 あるいは別に耳でなくとも、
 上手く行くのかもしれないが、

 耳のきわを触っている事で、
 私は自分の身体の実在感を、
 より体得しやすい状態だったと思われる。

 ゆえに目の前の映像にも、
 集中できたと思われる次第だ。

 実際精神疾患系のセラピーでも、
 自分の腕にゆっくり触れてみなさい、
 みたいな項目はあったなぁと、
 思い出したものの、

 当時の私は腕程度では、
 ゆっくりでも何の効果も感じなかったなぁ、
 多分耳がより脳に近いからじゃないかな、

 と推測しているけど、
 専門家でもないのでこの辺で。

 

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