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仏教徒の皮をかぶった神道徒

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 日頃「大日如来になりたい!」
 などという発願を公言する、
 仏教徒の皮をかぶっているのですが、

 この国に生まれ落ち、
 この国の言語を駆使して、
 今後も生き抜くつもりである以上は、
 自らを神道徒と認めざるを得ない。

 そう考えていますので、
 なるべく全ての宗教を敬愛したいと願っていますが、
 他のいずれにも入信はしません。
 私個人の考えであり他人に強要はしませんが。

 なぜならこの国の言語は、
 神から賜ったものだからです。

 ああっ、待って下さい。逃げないで(汗。
 根拠もございますのでまずは聞いて下さい。

 それと言いますのも、
 「はるばる遠くからお越しになった、
  おそらくは海も越えたであろうお客様」を、
 古代の我々の先祖は「カミ」と読んでいたわけです。

 そこに「神」の字を当てたのも、
 Godの意味を添えたのも、
 致し方ないとは言え幾分かは誤訳。

 ここで世界地図を思い浮かべてみて下さい。
 我々は太平洋を中央に据えた姿に慣れてしまっていますが、
 世界標準的な姿における我が国は右側の端っこ。
 極東、という言い方もございましたよね。

 シルクロードの終着点。
 大航海時代の目的地の一つ。
 世界中を流行し席巻した後にたどり着く、
 全ての文物の吹き溜まりです。

 たとえお国ではそれほどの役職ではなく、
 目新しい知識など持っていなかったとしても、
 お客様がいらっしゃる事自体が滅多に無かった、
 我々の祖先にとっては極めて貴重。

 そしてまた何処かへと旅立ってしまい、
 親しくなれたとて再び戻ってくるとも限らない。

 頂いた言葉に機会を覚えておくために歌が生まれ、
 いつかまた次の「カミ」がいらした場合に、
 失礼のないようおもてなし出来るために、
 発展してきた言語なわけです。

 この国以外の諸外国においては、
 狩猟と交易、それに伴う戦争によって、
 発展した言語が主流ですから、

 歌や祭祀儀礼と共に発展してきた言語は、
 実に珍しいと言っていい。

 ……だからと言って、
 尊い、とも、美しい、とも、
 私は思っていませんけどもね。

 同時に弊害も存在するんですよ。

 まず頂いた知識に言語を、
 有り難く受け取り時に加工するのみで、
 我々から発信する機会が無かった。
 発信したところですでに世界を席巻した後ですもの。

 そして次の「カミ」がいらっしゃるまでは、
 訪れを祈りながらのひたすらな待機が常態になった。

 言語の発展に狩猟や交易が寄与しなかった、
 (狩猟や交易で独自に発展した地域を除く)
 と言う事は、

 正確な情報の伝達よりも、
 七五調といった型や、
 響きの美しさにばかり重きが置かれたと言う事。

 少々恐ろしい事を言い切ってしまいますが、
 この国の言語においては、
 腹の内と口から出る語句が異なる事など日常茶飯事。
 正確な説明になど初めから向いておらず、
 言葉の意味は発言者当人の意志にかかわらず、
 場の空気が決めるのです。

 ただ一人の真っ当な意見よりも、
 多くの支持を集め場を快くさせた意見の方に、
 価値を感じる。

 一方で、
 2016年の米映画「メッセージ」において、
 宇宙人と麻雀用語で会話した結果、
 好戦的な文脈になり一触即発の事態を招いたように、

 戦争から発展していない言語を主流として持つ事は、
 今や世界中で存在すら信じ難いものになりつつある、
 「平和」という概念を、
 比較的考えやすい言語でもあります。

 あえて平和そのものなどとは申しませんが。
 この国の言語習慣がもたらした先の大戦についても、
 私は一家言ありますので。

 しかしそれはまた次回の話に致しましょう。
 興味がある方は月曜日に。

以上
ここまでを読んで下さり有難うございます。

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!