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本質に対して率直でありたい

 あのさー。
 素で思ったんだけども、
 「文章が得意な人」なんて、
 ほんのほんのほんの一握りしか、
 いなくない?

 一億数千人中4、5人いれば、
 「よかったね」ってくらいのものじゃない?

 いるわけないし、
 いる前提で、
 同じ国民である以上互いに分かり合えるくらいは、
 得意で当たり前みたいに思う必要もなくない?
 自分得意じゃないって落ち込む必要もなくない?


 だって出来てからまだ、
 150年くらいしか経ってないもん。


 明治政府が諸外国に合わせなきゃマズイってんで、
 急拵えで作ったルールを「正しい」ですよって、
 広めまくっただけだもん。

 それ以前は文字文化じゃない。
 語り文化だもん。
 寄席に通ったり芝居を見たり、
 本だって地域の主だった人が、
 人を集めて読み聞かせていたんだもん。

 集まらなきゃ先の展開聞かなきゃ、
 小馬鹿にされたり近所での立ち話に入れなかったりして、
 それはそれで現代と同様の問題点だと思うけれども。

 文章を吟味して、
 一文一文刻む能力に読み解く能力なんか、
 誰もが大して育っていなくて当たり前じゃない?


 流行や模倣が悪だとは言わない。


 だけども私も含めて、
 得意じゃない、
 
という前提でいた方が、
 「良い」だの「悪い」だの「おかしい」だの、
 わざわざ言い合わなくて済むんじゃないかな。

 所詮は個々人の感覚だし、
 書いている一人一人の人生だよ?

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