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以前書いたお話(15:『それが欠落なら綴じられるためにある』)

 こんにちは、返却期限です。
 
 書いたお話を置いておく場所に困ったので、noteに置くことにしました。

 これは、友人である、もとりさんに、漢字一文字でお題3つを出してもらって書いたシリーズの2つ目です。
 誰も気が付かないと思うので書いてしまいますが、まとまり部分の各頭が、「いと」「また」「また」「また」「また」と、「綴」の文字のパーツになっています。

お題「綴」:『それが欠落なら綴じられるためにある』

 井藤くんが五七五を綴り始めたのは、高校生のときである。
 残業が長引き、深夜に帰宅した井藤パパが、バイクのヘルメットを玄関に置こうとしたら、先になにか置いてあった。明かりをつけて見れば、息子の数学の答案用紙と、そこに添えられたメモである。メモ曰く、

  2乗して 負にも成れない このi(おれ)の
  名前の横に 輝く日の出

 ……要するに、複素数平面のテストが0点だったのだけれど(点数が日の出に見えるのだ)、虚数iを2乗したらマイナス1になるってことだけは、一応覚えたんだよ!と言っているのである。それだけではそりゃ0点だろう。だが、井藤パパは、この、短歌にもなっていない三十一文字をとても気に入った。
「おまえはおもろいやっちゃなあ。数学がでけへんのはパパの血やからしゃあない。これやるから、そのおもろいのを書き溜めて、そこを伸ばし」
 パパは、電子化でお役御免になってしまったという、仕事で昔使っていた、パンチ穴の空いたカードと、それを綴る紐をどっさりくれた。
「オトン、ありがとう」
 それから井藤くんは、五七五をちまちま書き溜めては、照れながらも両親に見せるようになった。

***

 また、ひとつできた。

  はるさめの バーコード切る 君のこと
  「オンナ」と嗤う やつらが憎い

 こういうわけである。
 井藤くんがバイトの休憩室でお茶を飲んでいると、バイト仲間の三隅くんをバカにする声が聞こえてきた。
「あいつ、カップ春雨のバーコード集めとんねんで」
「マジ?あれやろ?『バーコード集めて、かぶりんごちゃんグッズ当てよう!』やろ?」
「そーそー!オンナかよ!!」
 ネットなら半角小文字の「w」が並ぶしゃべり方。「かぶりんごちゃん」というのは、女子中高生やOLさんがメインターゲットであろう、リンゴのキャラクターである。あみあみのフルーツキャップをかぶり、自分を大切に暮らしている。最近は無料のコラボスタンプなどでもよく見かける。確かに可愛らしいキャラだが、別にそれを男子が欲しがっただけで、あんな風に言われるのは納得がいかない。ガラの悪い2人が休憩室から出て行くのを見計らって吐き捨てる。
「ええやんけ、人の勝手やろ」
「だよな?」
 いつの間にか三隅くんが居たので、びっくりした。
「えっ、いつからおったん?」
「そこの角でお茶っ葉入れ替えてたんだけど、後ろ向いてたからか、あいつら全ッ然気がつかなかった」
「おれも気ぃつけへんかった」
「だいたい、あいつら休憩時間じゃないじゃんね」
 井藤くんには標準語に聞こえるその言葉遣いで、三隅くんはムスっと怒っていた。
「ほんまやな。あんなん気にせんときや」
「まあ別にいいんだけどさ。ああいう言い方って、女の人にも失礼だよね」
 その言葉を聞いて、三隅ってエエやつやなあ、と井藤くんは思った。
「井藤、怒ってくれて、ありがとう」
 ほら、そういうことちゃんと言えるの、エエやつの証拠。

***

 また、ひとつできた。

  相聞歌 挽歌と比肩するのなら
  詠めぬ吾には いのちも亡きか

 バイト上がりに、店の前に出ていた屋台でたこ焼きを買おうと2人で並んでいた。近くのベンチに座ってイチャイチャしながら、一足お先に食べている、おそらく自分たちと同年代の男女を、三隅くんがぼんやり眺めている。
「なに?おれと食べるの、みじめ?」
「ん?」
「いや、カップルのほう見てるからさ」
「あー、いや。そんな風に見えたならごめん」
 カップルが目に入らない向きでベンチに座り、3個ずつわけわけして食べる。ポン酢しょうゆマヨ、うまい。しばらく沈黙してはふはふしたあと、ポツリと井藤くんが呟いた。
「な、三隅」
「なに?」
「おれさ、実は、恋愛とかエロい話とか、そういうの、よう分からへんねん」
「……へー」
「そういうのが分からんと、未熟ってことになったり、カッコつけてると思われるやん。嘘吐いてると思われたり」
「あー。特に、男はそこが分かって一人前っつうかね。女の人だと、いわゆる『経験』がないほうがもてはやされるけど、男は、ないとバカにされるからな。女の人も、いくらか年齢いったら一緒なのかな」
 2人の間で、たこ焼きの湯気が消えてゆく。
「それそんな重要?そもそもなんでそんな経験のあるなしで区切る言葉があるんやろ」
「ほんとだよね。僕も、現在進行形で嫌だな」
「……現在進行形?」
「そこは流して!」
「あ、ごめん。気ぃ使うてくれたんか」
 井藤くんは「そういうこと」が生理的に無理なのである。「まだいいヒトに出逢ってないだけだよ」みたいなことも言われるのだが、根本的に違う。男女ともに、友達として大切な人はいるけれど、それはあくまで友情。彼らにも、この感じは理解してもらえないだろうから言えない。でも、三隅くんには言えた。バイトでしか会わないからかもしれない。
「なんかさ、そういうのが変って感覚は、子どもみたいなんかな?おれのこと、幼稚やって思う?」
「いや、別に。幼稚っていうのはさ、もっと……人が春雨のバーコード切ってたら笑うやつみたいなさ」
「めっちゃ根に持ってるやん」
2人で笑う。
「井藤さ」
 たこ焼きラス1を頬張ったまま、目を合わせる。
「その話は、僕のこと信頼して話してくれたんだよね?」
 大きく頷く。
「ありがとう」
 背中の裏でカップルは、幸せそうに「あーん」をしている。たぶんもうそれ冷えてる。でもアツアツだ。

***

 また、ひとつできた。

  後ろ髪 あと1cm長ければ
  昨日と同じ 今日が来たのか
  
 三隅くんが、ちょっとバイト先から離れたところで話がしたいと言うので、少し歩いたところにあるファミレスに入った。キョロキョロと店内を見回し、知り合いがいないことを確認すると、三隅くんは窓際の席に座った。井藤くんも向かいに腰を下ろす。注文したポテトをつまみながら、三隅くんは話し出した。
「こないださ、恋愛がよく分かんないって言ってたじゃん」
「うん」
「そういう井藤に聞くのも変かとは思うんだけど、貴方にしか相談できそうにないことがありまして」
「なに、言うて」
 催促されても、三隅くんはすぐには言えなかった。息を乱して整えて、やっと絞り出した。
「自分の親くらい年上の人が好きになったら、それってマザコンなんだろうか」
「あ、好きな人できたんや」
 満面に朱を注いだ三隅くんは、水の入ったグラスを持ち上げて顔を隠した。
「いや、隠れてへん、隠れてへん」
「何かを盾にしたくて」
「大丈夫やて、刺さへん、刺さへん。つか、マザコンとは限らんのんちゃん?どっちかっていうと、熟女好み?」
「熟女……」
「あ、ごめん、あんまエエ言葉やなかった」
 どうも響きが下品になってしまう。ある程度の年齢を重ねた女性を上品かつ恋愛対象として褒める言葉って、どういうものがあるのだろう。
「え、難しいな。でも、マザコンって断じるのは乱暴ちゃうかな。話聞いてたら結果的にそうなるんかもしらんけど。けど、基本的におれは、三隅を応援したいよ。友達やもん」
 井藤くんはこのとき、初めて三隅くんを友達と呼んだ。もしかしてもう、親友なのかもしれないとすら思った。
「……な」
「な?」
「な、な」
「ッ!もしかして……梨川さん?」
 声を潜めて名前を出すと、三隅くんは身体ごと頷いて、一気に水を飲み干す。
「僕もう死にたい」
「あかんてそんなん言うたら」
「ごめんでも、僕、絶望してて」
 梨川さんは、バイト先の先輩の、井藤くんからしたら「おばちゃん」である。でも確かに、本人からアラフィフだと聞くまではもう少し若いと思っていたし、清潔感のある、明るい、かわいげのある人だ。バイト・パート仲間でも人望がある。
「絶望て。梨川さん、結婚してたっけ?あの年やし、してるか」
「分かんない。意外と、あの人、自分の話、しないもん」
「娘さんとかおりそうやけど、そういや聞かんなあ」
「ちなみに指輪はしてない」
「それやったら」
「でも僕の母ちゃんも、兄ちゃんが生まれてから指輪外してる」
「そういうパターンもあるんかー」
 離婚しているかもしれないしな。
 井藤くんはポテトをもぐもぐして、お手拭きで指をぬぐうと、ピッチャーから三隅くんのグラスに水を注いだ。三隅くんは顔を覆って俯いてしまっていて、それに気がつかない。
「あのさ、ちょっと前に、髪の毛切ってきてたでしょ」
「誰が」
「誰がって」
 三隅くんが顔を上げる。
「あ、ごめんごめん、反射的に」
 名前を口にできないのか。
「井藤は気づかなかったかもしれないけどさ」
「いや、けっこう切ってきてた。今日じゃなくて、ちょっと前のことやろ?それまで首のとこでひとつくくりにして垂らしてはったけど、ショートになったからさすがに気付いたよ」
「だろ?それでさ……うなじが……見えるように……なったじゃん」
「うん」
「それが、すっげえ眩しくて、直視できなくて……」
 少し治まっていた赤面が再び、耳、胸元まで広がる。
「はー!はぁー!はいはい」
 そういうものなのか。
「前々からモヤモヤはしてたんだけど、決定打だったんだよ。もう無視できない。自分をごまかせない。嘘吐けない。追いつめられてる」
 好きだ、と続けた瞬間、ばらばらっ、と涙が零れた。
 井藤くんには、どうしても、その激情は理解できなかった。それでも、梨川さんは、三隅くんが「かぶりんごちゃん」を好きだと知っても笑わないだろうなとは思えた。
「そうなんですね。じゃあ今度、私が食べたぶんも、バーコードあげますね」
 って真面目な優しい顔で言ってくれるはずだ。
「あ、水入れてくれてたんだ、ありがとう」
 涙を拭った三隅くんは、井藤くんのそのさりげない優しさに、彼に話して良かったと安堵していた。

***

 また、ひとつできた。

  命尽くし 血に染む糸を 結ぶより
  礼尽くすのは 愛で劣るか

「なあ、オカン。おれくらいの年齢の男に褒められるとしたら、どう言われたい?」
 夜のローカル番組を見つつ、CM中に話しかけてみる。うとうとしかけていた井藤ママが驚いて目を覚ます。かろうじて聞こえていた。
「なによ、急にぃ」
「やっぱ、『おきれいですね』みたいな?」
「いやよ、そんな気持ち悪い」
 まんざらでもない、という感じとは程遠かった。なんなら引いてるくらいの苦笑である。
「それはおれやと思うからやろ。おれくらいの年齢のイケメンからやったらどう?『お若いですね』とか?」
「なんかそれも見え透いてるわねぇ。なにがいいかしらね。『センスがいいですね』とか」
「あー、なるほど」
「あとはやっぱ、『面白いですね』かなぁ」
「出た、大阪のオバチャン」
「あっ、見て、見て」
 ママは卓上のリンゴを手に取って、頭に乗せると、
「ほら、かぶりんごちゃん!」
「いや、かぶってないし!乗せてるし!リンゴ『が』かぶらなあかんし!」
 ツッコミが追いつかない。
「そこは、『面白いですね』でしょ!」
「そうか、ごめんごめん」
 井藤くんはママに例の綴りカードを持ってきて、見せながら三隅くんのことを話した。梨川さんの名前は伏せた。
「だからそんなこと聞いたのね」
「三隅はとりあえず、きれいな言葉遣いをするようにがんばるって言ってた。おれからしたら、充分過ぎるほどきれいなんやけど。『大切な人には、失礼のない自分でいたい』って」
「真面目ねー!」
 呆れたような、嬉しそうな顔をしているママに聞いてみる。
「なあ、オカンさあ、この後ろ髪の五七五、おれが恋をして作ったもんやったら良かったのに、とか思う?」
「そーんなこと思わないわよ。だっておまえは、そういうんじゃないでしょ」
「うん」
「でしょ?それこそ、失礼のないように生きてくれたらそれでいいのよ。あ、帰ってきた帰ってきた」
 パパのバイクの音が聞こえたのだ。
「ママはね、おまえにその、三隅くんみたいに誠実な友達がいることが、とっても嬉しいよ。だから」
 ドアチャイム。
「それが、ママの誇り」
 はいはーい、と玄関に駆け出すママの背中に井藤くんは言う。
「オカン、ありがとう」
(おしまい)  

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