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いい感じの、ちょっとダメな奴

会社に於けるヒエラルキー――表向きのそれは、誰もが知っている、社長を頂点とした役職によるもの。だけど私は、会社には、目に見えないもうひとつのヒエラルキーがあると思っています。「いい感じのダメな奴」こそがKINGというヒエラルキー。

一から説明します。会社のおじさんたちをよく観察していると、自分の怒りの矛先を向けやすくて、「あ、俺、今、理不尽にキレているな」と自覚しながらのキレに対しても、とりあえず受け止めてくれて、何なら自分は全く悪くないのに、「すいません」と謝ってくれる、サンドバック的な部下をそばに置いていることが多いことに気付く。

そもそも、上司にとって部下というものは、「自分の指示通りに動いてミッションを完遂する優秀な存在」であることがよしとされるようでいて、実際はそうでもないという気がする。勿論、仕事なので、やることはやってくれないと困るのだが、あんまり完璧な部下というのも、自分が突き上げられているようで辛いし、「コイツ、職制上、俺に従順ではあるが、内心は俺のことをバカにしてるんじゃないか」等という疑念も抱きやすい。それに、そういう部下は、将来自分のライバルになるどころか、自分を追い抜いて上司になってしまうという逆転劇を起こす可能性もある。まあハッキリ言って「可愛くない」ということだ。

企業に生きるおじさんたちは、本当に信じられないくらのストレスと各種重圧に押されて生きているので、どんなに人格者であっても、八つ当たりの相手が必要だ。その相手は、最初に書いたように、「理不尽キレのキャッチ能力」も大事なのだけど、その部下自身が、プチ失敗なんかをしょっちゅうやらかし、上司に「またポカやりやがったのか!ほんとにお前はバカだな!」と、お約束の優越感を感じさせる才能が必要とされる。そういう目で見てみると、トップの集まりであるはずの取締役会メンバーの中にだって、ちょっとしたおちゃらけ役というのはいて、そのヒエラルキーは、本物のヒエラルキーよりも美しいピラミッドを描いている気がする。社長→おっちょこちょい専務、専務→お調子者常務、常務→ドジ部長、部長→能天気課長、課長→ぽかん口ヤング、ヤング→でくのぼう新人、といったように、誰もが「いい感じの、ちょっとダメな奴」をそばに置いて愛でている。ダメだダメだと日々怒りながらも、そいつの姿をいつも探している。それはもう、それぞれにとって、なくてはならない精神安定剤のような存在で、企業に於ける必要悪という気がする。

ところで、「いい感じの、ちょっとダメな奴」といえば、私は小さい時に我が家に出入りしていた「電気屋の黒田さん」のことを思い出す。今のように、家電量販店が幅をきかせていた時代ではなかったので、街の小さな電気屋の御用聞きであった黒田さんは、当時私が住んでいたマンションのお母さんたちの間で大人気だった。「昨日、黒田さん来たわよ」「あら、うちもクーラーの調子が悪いから、後で黒田さんに電話しなきゃ」というお母さん同士の会話をよく聞いたものだ。

一般的に、トップセールスマンと呼ばれる人は、いかにも完璧で隙のないタイプではなく、ちょっと抜けている(ように見える)タイプが多いと言われているが、黒田さんもまさにそんなタイプで、いつも着ていた臙脂色のジャケットにはフケが溜まっていて、「ペコペコしている」という言葉がぴったりな腰の低さでもって、喋れば少しどもっている。商品の説明も明瞭というわけではなくて、しょっちゅう「あれ?あれ?」なんて言ってフリーズする。だけど、あれ?と詰まった場合は、ひざまずいてカタログをめくりまくって答えを探し、最終的にはまとめてくる。「なんだかんだ、仕事を成し遂げるというのはこういうことなんだな」と、小学生の私が「大人の仕事」というものを認識したのは、黒田さんが始まりだったなと思う。

黒田さんは、勤務先の電気屋に、在庫の確認や、仕事の終了報告をする時、毎回とても申し訳なさそうな顔をして、「電話を貸してもらえますか?」と母に言った。当時は携帯電話などないから、その家の電話を借りるしかないわけだ。どうぞどうぞと母が受話器を差し出すと、黒田さんは最敬礼をして、まるで何かの金杯でも受け取るかのように受話器を有り難そうに受け取る。そして用が終わり、電話を切ると、「電話代です」と言って、ポケットからごそごそと10円玉を取り出すと、両手で丁寧にテーブルに置くのだ。「黒田さんてなんて律儀なのかしら!」マンションのお母さんたちは、特にこの10円玉にやられていたようだ。

私は今でも、黒田さんが部屋に入ってきた時のポマードの匂いを思い出せる。黒田さんのあの純朴さの、どこまでが自然体で、どこまでが計算だったのかは分からない。でも間違いなく、「いい感じのちょっとダメな奴」として、営業成績を上げていたことは確かだ。ちょっとダメなようでいて、本当にダメなわけではない、つまりは黒田さんみたいな人が、じつは裏ヒエラルキーの頂点に君臨しているという気がする。

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