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ハイヤーお出しになったら?

先週、耳にした言葉の中で、ダントツに破壊力のあった言葉である。

一から説明します。都内の地下鉄で通勤していれば、数ヶ月に一度は、乗客同士の喧嘩に遭遇することでしょう。通勤ラッシュで激混みの朝、ただでさえブルーな気分でいる中、突然飛び込んでくる他人同士の小競り合いは、本当にご勘弁。私の体感上、組合せとして一番多いのは、やはりオヤジVS若造サラリーマンですかね。そして、喧嘩の理由は主に、足を踏んだ踏まない、肩が当たった当たらない、といった原始的で下らないものだけれど、原始的なものなだけに、どんなに時代が進んでも、決して絶えることのない光景である。

肩や足の接触というファーストコンタクトの後、軽い睨み合いというセカンドステージへ。吊革越しにオヤジが若造をチラ睨みし、正面の新聞に目を戻すと同時に、若造がオヤジをチラ見返し。若造がスマホに目を戻すと同時に、再びオヤジがチラ見返し。やっぱり俺たち、お互いに怒ってるよな?という意志疎通が完了した瞬間、大抵は若造側から「舌打ち」というゴングを鳴らし、試合が始まる。「おい、さっきから肩当たってんだけど!」「はぁ?お前がこっちにはみ出してるからだろ?」「何だと、この野郎!!」「この野郎って何だよ、ジジイ!」「ジジイって何だ、謝れ!小僧!」「小僧って何だよ、ジジイ!」「ジジイって何だよ、小僧!」「小僧って何だよ、ジジイ!」「ジジイって何だよ、小僧!」……。そのうち、「ジジイ」と「小僧」を逆に言っちゃったり、「ババア」や「ネエチャン」という蔑称が紛れ込んできちゃったらどうしようなんて淡い期待をしてみるものの、そのような面白いことはまず起きず、ひたすら寒い空気が車内に流れていく。

昨今は、その後、掴み合いの大喧嘩にまで発展するワイルドなケースはほとんどなく、お互いひとしきり怒鳴り合った後、紅潮しきったテンパり顔のまま、オヤジは新聞を読むフリに戻り、若造はスマホで「ジジイ、氏ね!」みたいなツイートをしながら、数十分間電車に揺られ、どちらかが降車した時点で試合終了となる。(稀に10分位経過した後、どちらかが再びわざと肩をぶつけ、「謝れジジイ!」「小僧!」合戦が始まることもある)

そんな光景を見ている車内の女たちの気持ちは、そりゃあもう冷めきっている。「下らない」「ちいせぇ男どもを朝から見ちまった」「会社に着いたら、イヤでもちいせぇ男どもと接しなくてはならないのに、今日はその前に見ちまった」「それにしても、枯れ葉がスーツを纏ったようなあんなオヤジも、一皮剥けば野生の動物なのだ。男の野獣性、意外に侮れじ」等と心の中で鼻白み、「私たち女は、そんなにバカじゃないもんね」という気分で、対岸の火事として見つめているのが常である。

ところがである。先週、朝の通勤電車にて、オヤジVS元祖バリキャリ(←推定)という男女対決が繰り広げられたのだ。
その日、私は運良く座ることが出来た。そして、ある駅で、一人のオヤジが乗ってきて、私の目の前に立った。そのオヤジは、以前に私が書いた「Windows2016」的、つまりは、いかにも風采の上がらない窓際的な雰囲気満載。スーツはヨレヨレ、靴は塗りが剥げている。世の中への不満からか口角はダダ下がり、他人のどんな小さなミスをも指摘してやろうというような鋭い目付きで、終始キョロキョロ(見た目だけでいうと、田原総一朗風)。あー、このWindows、なんかやらかしそう…。

案の定だった。次の駅で勢いよく車内に乗り込んできた、バリキャリ(見た目、安藤優子風)がオヤジの隣に立ち、彼女のコートの裾がWindowsの腰の辺りを掠めた瞬間、Windowsったら「ちょっとあんた、コート、当たってるよ」と、非常にクリアな声で指摘。バリキャリは、一瞬、怪訝な顔をしながらも、「スミマセン」と小さい声で謝ると、確かに少し広がり気味だったコートの裾を直し、颯爽と日経に目を戻した。よしよし、さすが安藤優子は違うわ、と安心したのも束の間、Windowsは小さな声でボソッとそっぽを向いてつぶやいた。

「まだ当たってるんだよ…。厚化粧なんだよ…。香水臭いんだよ…。」
やめてやめて、Windows!それ、ただの悪口だから!と私が心の中で必死に叫んだ次の瞬間、バリキャリは冷静に言い放ったのだ。「これだけ混雑した朝の地下鉄で、全くお互いがお互いに触れないというのは無理な話ですよね。公共交通機関を使っているんですもの、お互い我慢しましょう」と。その通り!Windows恥ずかしいぞ!と、乗客の誰もが溜飲を下げた瞬間、バリキャリは更に言い放ったのだ。

「どうしてもご不快でしたら、ハイヤーお出しになったら?」と。

Windows含め、乗客たちは数秒間、バリキャリの言うことが理解出来なかった。そして数秒後、おそらく同時に理解した。

Windowsのあの様子からいくと、本当にマナーの悪い乗客に、本当に必要とされる注意をしたいわけではない。自分の中で常にモヤモヤしている鬱憤を、見ず知らずの人間にぶつけて謝らせたいだけなのだ。その屈折ぶりには、誰かがガツンと一撃食らわせるべきだ。でも、安藤優子、絶妙に意地悪!

これが、「タクシーで通勤されたら?」ならいいのだ。そんなに文句を言うなら、お金を出して、タクシーという個空間を手に入れればいいじゃないさ!というのは、ちょっと極端かもしれないけど、一応理屈は通っている。でも、ハイヤーというのは、誰にでも出せるものじゃない。サラリーマンが憧れる「夢のハイヤー通勤」――そんなものを手に入れているのは、それぞれの企業の中でもほんの一部の役員だけだろう。それってもう、Windowsの数十年にわたるであろうサラリーマン人生とか、彼の屈折したプライドとか、すべてを一瞬にして抹殺する言葉じゃないの。

田原総一朗は安藤優子にやられ、とても寂しそうに口をモゴモゴ動かしながら、その後、私が降りるまで一言も発しなかった。安藤優子は涼しい顔で日経を読み続けていた。どっちが正しいのかは、朝まで討論しても結論は出ないだろう、というか、まあどっちも正しくはないことは確か。

なんというか、見ず知らずの人に対しても、心をもっとフラットに暮らそうよ、東京砂漠に生きるオトナたちよ!としみじみ思った光景だった。

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