女体考

先日、旅先で、真っ昼間の露天風呂に入る機会があり、改めて「湯けむり旅情」という言葉の頭に「湯けむり」がついていることの意味を感じ取りました。

一から説明します。
視力2.0キープの私からすると、昼間の露天風呂は、どこまでもクリアに見渡せる世界。風呂からは勿論、湯気は上がっているのだが、室内のように、湯気がこもることによるソフトフォーカス効果がないので、女体という女体が、鮮やかに目に飛び込んで来る。

男性からすると、その光景は夢の国……と、私も女の端くれとして胸を張って言いたいところだけれど、現実はいつだって厳しいもの。当たり前だが、週刊誌のグラビアに載っているようなナイスバディ(死語)なんて一人もいるわけもなく、皆さんそれぞれが、それぞれの方向にとっ散らかったバディをなさっている。

そのとっ散らかり方は、痩せてる、太ってる、巨乳、貧乳、毛深い、毛薄い……等々、世界共通の指標も勿論あるのだが、それとは別に、何というか……もうこれは極めて私個人の指標によるものだが、「情緒のある女体」「情緒のない、実も蓋もない女体」があり、ほとんどの女体が残念なことに、「情緒がない」のです。

この際、「精神的な愛」「信頼関係が全て」「お互いをリスペクト出来る関係」みたいなことを横に置いてみると、とどのつまりは、このようなものの為に、世の中の男子は一喜一憂しているのか、ゲス事件は起きているのか、ほとんどの女体には情緒がないのにね!と思うと、珍しく、男子おつ!と言いたくなる。

そうは言ってもだ。女である私でさえも、若くて可愛い子の女体は見てみたい。私は、脱衣場でひときわ輝く可愛い女の子(20代前半と推定)に目をつけた。その子は、着ていた薄いコートとシャツまではさっさと脱いだのに、タンクトップ姿になったまま、髪の毛をいじったり、コンタクトを外してみたり、やたら丁寧に脱いだシャツを畳み直したりして、ちっとも脱がない。
私はその時、既に、風呂から上がり、髪の毛も乾かし、すぐにでも出て行かれる状態だったのだが、この子の女体を見ないで出るわけにはいかない、という意地の為に、グズグズと居残っていた。心の中では「脱ーげ、脱ーげ!」コールの嵐。
しかし、その子は散々グズグズとしていたかと思うと、髪の毛をくるっとゴムで結わくと、トイレへと消えてしまった。えー、今ここでトイレぇ?やっぱり美人はなかなか脱がねぇなぁ……私は彼女がトイレから出てくるのを待ち、やっとこ念願のその女体を見ることに成功した。

ズバリ、情緒はなかった……。あんなに可愛い顔をしているのに、その女体は、例えて言えば、ゴーギャンのタヒチの女的な、パーンとしていて動物的な感じだった。
その時、「ちょっとごめんなさいね~」と、私を押しのけるようにして、風呂場から上がってきたおばさんの女体に、私の目は釘付けになった。肉の量、そしてその肉の配置、バストトップの色彩とフォルム……薔薇色に染まったその肉体のなんたる色っぽさ、なんたる情緒!髪型は、ソウルの明洞でキムチを売っているおばさんのそれ(つまり、パンチパーマ的な)なのに、こんな素晴らしい肉体をお持ちとは!

若くて美人は得一一これは確かにそうなんだけど、「脱いだら情緒なし」の若い美人より、パンチパーマおばさんの「脱いだらすごい、脱いだら情緒あり」にはかなわないかもしれない。もしかしたら、女の人ってのは、案外平等に、案外、運不運は洋服を着ていたら見えない所にあるのかもしれない、などと考えた。

湯けむりありがとう、間接照明ありがとう。
そして男性諸君、色々ありがとう。

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