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世界一異彩を放つ組織を目指して。不完全な自分を超えて挑む

みなさま、こんにちは。2023年11月からヘラルボニーに入社しました、平井咲子(ひらい・さきこ)です。
ヘラルボニーのHRチーム シニアマネージャーとして、異彩を放つ個と組織の輩出のために仕事をしています。

以前ヘラルボニーに入社したことをXで投稿した時、私のアカウントはその時点でフォロワー数百名の弱小アカウントだったのですが、いいね700超、インプレッション11万という、弱小アカウントにしてはちょっと考えられない跳ね方をしました。

これは私の意志の力も0.1%くらいあるかもしれない。両代表がこの投稿をシェアしてくれたことも10%くらいはあるかもしれない。でも一番大きいのは、ヘラルボニーを応援してくださる皆さまの期待、「異彩を、放て」ということを今までにないあり方で体現する組織がこの世にあったら最高だという応援、そんなことの現れなのかもしれないと思い、震えました。すごいチャレンジに乗り出してしまったものだと・・・

この入社エントリーは、そんな途方もない挑戦に乗り出した私のここまでの軌跡と、これからの野望のことを書かせていただこうと思います。


ザ・長女、明朗快活、優等生なわたし

1985年、島根県出雲市の出身です。5つ下の弟と、優しいお父さんとお母さんがいて、「大きくなったらお父さんみたいな人と結婚したいし、お母さんみたいな女性になりたい」と真剣に思うくらい平和な家庭で育ちました。

両親、祖父母、右側に立ってピースしてるのがわたし(歯抜けてる)。
母の膝にいるのが弟で、その隣は近所の友達w

弟が病気がちだったこともあって、お父さんお母さんに迷惑をかけないように自分がしっかりしないと、と5歳くらいの頃から思っていた記憶があります。弟の病院の付き添いでお母さんがいないことも多くて、すごく寂しかったけど、それでもしっかりしなきゃ!と幼いながらに自分を奮い立たせて過ごしていました。

運動は全然できなかったけど、勉強は大好きだったから、いつも成績はトップクラスでした。集団の中ではいつも、なんとかリーダーとかなんとか委員長、なんとか部長みたいなのを任される、ザ・長女、ザ・優等生なタイプ。感情表現が豊かで思いが強くて、やりたいと思ったことはすぐ行動。いろんなところでリーダーシップを発揮しながらすくすく育ちました。

大学進学では、高校3年生の現役受験で失敗したのが悔しくて、浪人時代にめちゃくちゃ難しいところに合格してやると決めました。島根には予備校なんてなかったので、自宅浪人でZ会の教材をやりこんでひとりで勉強して、京都大学に進学しました。

社会人2年目の挫折

勉強をがんばって入ったわりに大学時代はあんまり真面目に勉強するタイプではなく、アルバイトに明け暮れていました。働くことが本当に楽しかったんです。そんな大学時代から早くも仕事中毒だったわたしが新卒で入社した会社は(株)リクルートエージェント。現在の(株)リクルートの人材紹介事業の前身の会社です。

最初に配属されたのは新卒採用の部署でした。営業をやりたいと思って入社して、100人前後いた同期の9割が営業配属なのに、私は新卒採用。なんで?と思ったけど、学生個々人に向き合う高い対人コミュニケーション力と、より優秀な人材に接触するためのダイナミックでクリエイティブな企画力の両方を必要とする仕事にすぐにのめり込んでいきました。入社1年目から、数千人の就活生を動員する会社説明イベントの企画・プロジェクトマネジメント・運営をほぼ1人で担いながら外部のパートナーさんと協働したり、かなり大きな裁量の中で好き勝手に、思いっきり仕事をしていました。

翌年、社会人2年目になって、大きな転機が訪れます。
新卒採用の部門から、労務の実務を担当する部門へと異動。そこで、上司との関係性がうまくいかず、大きな挫折を味わうことになりました。
思いっきり自由に好き勝手に仕事をしていた1年目とはうってかわって、何をやっても「なんでこんなことになってるの?」と毎時毎秒詰められまくる日々。もちろん上司には悪気はなかったはずだけど、詰められるのが怖くて、だんだん萎縮して、自分の意見も言えず心を閉ざし、できるだけ誰とも目を合わせずしゃべらないようにして、PCの前で縮こまって極力目立たないように目立たないようにと小さくなって仕事をしていました。

半年くらいは頑張りました。会社に行くのが嫌で嫌で、通勤途中の道で「あーあの車がこっちに突っ込んできたらどうなるかなぁ、会社行かなくてよくなるかなぁ・・・」なんてぼんやり考えながら会社に行く日々でした。
そして、ある日の夕方に突然、「あ、もう、無理だ」と思う瞬間が来ます。そのまま、会社を飛び出して、何の荷物も持たずに空港に行きチケットをとって、「お母さん、仕事がしんどいから、今から帰る」とだけ伝えて逃げるように実家に帰りました。当時同棲していた彼氏(今の夫)も放置して。

そこから1ヶ月、実家でゆっくりしながらその期間のことを振り返る中で、
「思いっきりやりたいことをやると、社会の中で私は邪魔者だ」
「本音をいうと、居場所を失う」
こんな価値観が私の中で根をおろし始めたように思います。
私はここで一度、自分の中のリーダーシップを殺したのかもしれません。

その後復職して、とても愛のある人たちに助けられ、少しずつまた元気を取り戻し、仕事の楽しさも取り戻しました。でもずっと心にぽっかり穴が空いたような、どんなに目の前のことを一生懸命やって成果出して褒めてもらっても何も嬉しくないような・・・そんな日々が数年続きました。

人が本音で生きる姿は、こんなにも美しい

そんな、自分のリーダーシップを押し殺した私が救われた仕事があります。
社会人6年目になって、もう一度新卒採用の部門に戻ることになり、ここで、「GLIP」と名付けられたインターンシップの企画・運営と、参加学生のメンターを担当することになりました。このインターンシップは、学生とともにベトナムに行き、ベトナム現地の企業さまにインターン生として受け入れていただく企画でした(学生は無料で参加でき、当時のリクルート社はここに莫大な予算をかけていました)。

ベトナムに一緒に行った仲間と(前列一番右が私)。
ホテルで仲間の誕生日をお祝いした写真なのでベトナム感はないw

普段の学生生活では、起業していたり、何かしらの団体を率いていたり、長期インターン先で素晴らしい成果を出していたりするような、非常に強いリーダーシップを発揮している学生たちだけを集めたインターン。そんな学生たちが、ろくに言葉も通じない異国の地で、普段の自分では全く太刀打ちできない状況にたくさん遭遇します。でもそんな修羅場のような状況の中で、自分は一体どうありたかったのか?どういう選択をしたかったのか?そんなことを内省し、自分らしいリーダーシップに目覚める瞬間を何度も見ました。

本物のリーダーシップを誰もが自分の中に眠らせていて、それに気づいて動き始める瞬間の美しさと躍動感に、私は心の底から魅了されました。
そして自分自身にも、一度殺してしまったリーダーシップがちゃんとあったことを思い出したのです。思いっきり自分の大事にしたいことに沿って生きる人は、社会の邪魔者なんかじゃない。人が本音で生きる姿は、こんなにも美しいと。

そこからは、こうしたリーダーシップに気づいて行動するような成長機会を未来のリーダーたちに1人でも多く届けるためにたくさんの企画をつくりました。これらの企画は私が新卒採用の部門を離れた後も数年にわたって継続し、こうした一連の企画に参加した学生は累計で数万人規模になっています。

ピアニストになりたい。

そうして時は流れ、2022年のこと。自分がコーチングを受けていたことをきっかけに、自分自身もプロコーチになりたいと思い、コーチングスクールで学び始めました。
コーチングを学ぶ過程で、コーチ自身も自分自身の人生のゴールに深く向き合うことになるのですが、この時、何か新しい趣味を始めようと思い、小学生の時に習っていたピアノをまたやり始めようと思い立ちました。

楽器屋さんに行って久しぶりにピアノに触ったら、
「わたし、こんなにピアノが弾きたかった・・・・!」
と何かが目覚めてしまい、あろうことか楽器屋さんでポロポロ涙が出てきました。

そしてまずは電子ピアノをお迎えし、のめり込むようにピアノの練習を始めます。いつまでもやっていられる、これが仕事になったら最高!と思い、もっとピアノに真剣に向き合う時間を増やしたいと思うようになりました。それをきっかけにして、それまで14年間在籍したリクルートも退職しました。2022年11月のことです。

そこからはフリーランスで人事コンサルタントとして活動しながらピアノの練習に明け暮れ、他にもアーティストを目指して挑戦する仲間たちと、自分たちの挑戦を発表する企画を立ち上げて月1回発表会をしたりもしていました。

こうしてピアノを人前で弾くという機会が増えていった中で、あの楽器屋さんでのピュアな気持ちから、だんだんおかしな方向に変わっていっていました。
「早くピアニストと名乗れるレベルにならないといけない」
「人の心を動かすような演奏をしないといけない」
そんなふうに、いつの間にか、いもしない誰かの期待に応えるためにピアノと向き合うようになってしまっていたように思います。そのことを薄々自覚しながら、それでも走り続けていたある日の演奏会で、ひどい失敗をしました。初っ端から暗譜が完全に吹っ飛んで、何も弾けなくなり、なんとか弾き始めるも全く立て直せない。

そこから3ヶ月くらいは、全ての目標を見失い、何も手につかずに、ぼーっと生きていました。自分が今爆速で進もうとしているこの道は、きっと何かが間違っている。何かを見直すべきタイミングだというメッセージなんだろう。そんなふうに考えていたこの頃にちょうど、ヘラルボニーと出会いました。

極限まで純粋な表現者

ヘラルボニーとの出会いは、友人がシャツを着ていたことから。何そのシャツ、すごくかっこいいねと話すと、友人はヘラルボニーのストーリーを教えてくれました。

これまで障害というものとはほとんど接点がなかった私は、こんな世界があることを、恥ずかしながら全く知りませんでした。ヘラルボニーの異彩作家さんたちのアート作品。その良さをそのまま生かした、めちゃくちゃかっこよくてかわいいプロダクトの数々。そして作家さんのストーリーなどもたくさん調べて、作家さんたちは、ただ描きたいから描いているんだろう、ということに思い至った時、深い深いリスペクトを抱きました。それは、「誰かのために表現しないといけない」と急いでいた浅はかな自分とは全く違う、極限までピュアな表現のあり方だと思いました。

こうした異彩作家さんへのリスペクトとともに、これをビジネスとして成立させているヘラルボニーという集団に、強い強い関心を持ちました。障害という、人々がまっすぐ扱うことを躊躇してしまうような領域にまっすぐ向き合っていること。その裏にはきっと色々な反発や否定的な声、そんなものもあるかもしれない。それでも、障害ということへの認知を書き換える挑戦に、圧倒的に純粋な熱量で向き合っているチームであるに違いないと思いました。

なにより衝撃的だったのは、「異彩を、放て」というヘラルボニーのミッション。直感的に、なんてかっこいいんだろう!と心を奪われました。

私が持っている人事としての知恵を、こんなすごいチームの皆さんのために役立たせていただくことができないだろうか・・・そんなふうにまで思うようになって、友人にたまたまその話をしたら、「代表の松田さんとつながってるよ!聞いてみてあげる」と言うのです。

そこからとんとん拍子に話が進み、当時のHRチームの皆さんと面談させていただくことになり、その後代表の松田兄弟とも面談をさせていただく機会を得ました。

その面談の場で話せるようにと、私はヘラルボニーの組織について大量のリサーチをしました。入社エントリーや過去の記事、書籍などを読み漁り、ヘラルボニーの組織図を自分で書けるくらいにまで調べ尽くしました。そして、おそらくこのポジションは長い間空いているから採用に苦戦しているんだろうとか、この部門はトップとメンバーの社歴が離れていそうだからコミュニケーションに苦戦しているのではないかなどと、面談前から人事周りの仮説が立っていました。そのような仮説も含めて、面談の場でお伝えし、HRチームでまずは業務委託でお仕事をさせていただくことになりました。2023年7月のことです。

それから数ヶ月お仕事をさせていただき10月頃、社員になりませんかとオファーをいただくことになります。最初は正直迷いました。リクルートを辞めてから、複数の会社の人事に携わりながらたくさんの会社の人事を自分の思うあるべき形に変革していきたいという思いを持っていたので、一つの会社に所属するイメージを持っていなかったのです。でも、ここでこういうオファーをいただけたということは、まずはヘラルボニーにぐっとコミットしてやりきってみなさいというお告げかもしれないと思い、他の人事関連の仕事を複業で継続させていただくことに了承をいただいて、2023年11月、ヘラルボニーに入社しました。

異彩を放つ組織とは何なのか?

さて入社してからの私のミッションは、冒頭に書いた通り「ヘラルボニー自身が世界で一番異彩を放つ組織として存在し続ける状態をつくる」ことだと思っています。そのために、全部の人事施策を、「異彩を、放て」というミッションに接続するように作り直したいと思いました。

全部の施策を見直すためには、何かその施策の横串を通す大きな方針を置きたい。しかも、それをHRや経営ボードのみで決めておろしていくのではなく、メンバー全員の意見を聞き、現在地を踏まえて決めたい。そこで「HRポリシーディスカッション」という機会を作りました。そのディスカッションの中でメンバー全員の意見を聞き、このようなアウトプットでまとめて、2023年の最終営業日にメンバーにリリースしました。

現在はこのポリシーにそってあらゆる施策を検討・推進しているフェーズにあります。

一度自分らしいリーダーシップを殺した私が、こうしてヘラルボニーメンバーの「異彩」を放つことに向き合う。なんだか不思議な感覚です。

しかも、私自身これまでの職務経歴の中心は新卒採用で、中途採用もHRBPもリクルート時代にちょっと触ったけれど、特筆すべき成果は出せませんでした。人事として異常に偏った不完全なキャリアで、まだまだ知らないことばかりなのです。

それでも、そんな現在地の不完全な自分を超えて人事という立場で異彩を放つ組織をつくる挑戦に、これまでの人生の色々なことが収斂しているように思えてなりません。自身のリーダーシップを殺した挫折、学生の可能性に向き合った成功体験、表現者としての探求と挫折・・・どのピースが欠けても、わたしがこの挑戦に辿り着くことはなかったように感じます。

ヘラルボニーが世界で一番、異彩を放つ組織としてこの世にあるように。そう願いながら、魂を込めて、この挑戦に向き合っていきたいと思っています。


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