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【未経験+第二新卒】インドネシア人として日本の少子高齢化に向き合う

こんにちは、私は HERBERT FERNALDY TJIPTO と申します。ヘルベルト、ヘルちゃんなどとよく呼ばれています。

2023年11月より、第二新卒として株式会社ジンザイベースのメンバーになりました。今回は、新入社員として、私の人となりを知っていただくために自己紹介も兼ねて本noteを公開できればと思います(多少の誤字脱字はご了承ください)。

ちなみに、ジンザイベースは、「働く人の可能性を最大化する」というミッションを達成するために、外国人材紹介事業をメインに展開する創業3期目のベンチャー企業です。是非以下のピッチ資料をご覧ください。

その他の社員については、ぜひ以下のnoteもあわせてご覧ください!

実は一卵性の双子です!笑

【プロフィール】
2015年 インドネシア国内の私立高等学校 入学
2017年 インドネシア国内の私立高等学校 卒業
2017年 大阪文化国際学校 日本語学科 入学
2019年 大阪文化国際学校 日本語学科 卒業
2019年 追手門学院大学 経済学部経済学科 入学
2023年 追手門学院大学 経済学部経済学科 卒業
2023年 通信系の日系企業 入社
2023年 通信系の日系企業 退職
2023年 株式会社ジンザイベース 入社


インドネシア人+華僑としての思い出

私は、インドネシアのジャカルタに2000年に生まれた「ミレニアム・ボーイ」です。

三人兄弟の長男で、次男とは一卵性の双子です。同じ高校を卒業し、同じタイミングで日本へ留学し、同じ留学先を卒業し、同じ会社に新卒で入社し、同じタイミングで退職しました笑。ジンザイベースにも双子揃って応募し、結果、弟は別の人材系企業へ。

今までずっと二人一緒でしたが、初めて異なる道へ進むことになり、なんか変な感じがします笑。

私の一家は、インドネシア総人口の3%を占めている華僑です。実は、インドネシアにおける華僑は、ちょっと前まで職業選択の自由がなかったり等、迫害される立場にありました。

インドネシアの華人・華僑は、貿易分野の職業を選ぶ傾向があります。
考えられる理由の1つとして、1968年〜1998年のSoehart(スハルト)政権時代、華人・華僑に貿易以外の仕事を選ぶ自由がなかったことです。
当時、1965年9月30日に行われたクーデター「9.30事件」への華人・華僑の関与が疑われたことから、インドネシア政府は華人に対し様々な制約を課していました。例えば、華人・華僑には職業選択の自由がなく、漢字の使用や中国語教育も禁止されました。

出典:カケモチ:インドネシアの華人・華僑の特徴(歴史的背景、性格、宗教、金銭感覚)とビジネス

私のお爺さんは、家族を守るために元々持っていた苗字をインドネシア人の苗字に変えることに。当時はインドネシア人華僑にとっては最も苦労の多い時代だったと聞いています。今は時代が移り変わり、だいぶインドネシア社会に馴染んではいますが、多少差別的な扱いを受けることも正直な話0ではありません。

結果、私はインドネシアで生まれ育ちましたが、ルーツとしては中国系というちょっと特殊な生い立ちをしています。

そんな私の幼少期は暗いことばかりかというと、そんなこともなく、友人との遊びに夢中で学業成績が悪い問題児でした笑。心配した親により、何個も習い事に通わされることになってしまいました。音楽や習字、最終的には塾にも強制的に通うはめに。

親の教育方針のおかげもあって、無事に高校に入学することができました。ただ私の通っていた高校はちょっと特殊で、卒業条件としてボランティア活動を年2回取り組むことが必要とされる高校でした。

高校時の僕です(左)

このボランティア活動で、私は学校の先生になり、地方の小学校や中学校で勉強を教えることに。また、社会開発プロジェクトでは、1年ほど模擬店を経営したり、商業施設が必要とするものを寄付したりしました。卒業条件とはいえ、私にとって大変貴重な経験でした

商人になるために、先進国で経済学を学びたい

私が留学することを決意したキッカケは、高校の進路相談で商人になる素質があると言われたことです。元々、親が貿易商をしていたことも影響していると思うのですが、ヒト・モノ・カネを動かしてお金を稼ぐことに興味を持っていました。

そこで、大学では本格的に経済学を学ぶために、インドネシアではなく、もっと経済の発展している国に留学したいと親に相談することに。珍しく学業に意欲的な私の姿を見て、スルーっと親も了承してくれました。

留学先を検討する際に、よく欧米などを選択する方が多いと思いますが、私は日本を選択しました。実は、「経済を学ぶのであれば、日本じゃなくて、他んとこにいったほうがいいんじゃない?」とよく友人から言われました。

ただ、当時の日本は経済大国であり、現在でもGDPからすると世界3位であることが事実です。最近では円安や国内の経済状況に問題が多々発生したというのが現状ではありますが、学べることがたくさんあると思っています

また、日本は歴史が長く、文化の濃い国であるだけではなく、他の先進国と比較するととびきり安全な国であると判断しました。同じアジアの国で安心感もありますし。

結果、当初の予定通り、双子の弟も伴って日本へ留学することとなりました。

コロナ禍の暇つぶしで貿易ビジネスにハマった留学生時代

2017年7月に来日し、大阪にある日本語学校に約2年通学しました。

当初ひらがなとカタカナしかできない状態で、生活面には不便が多々生じました。例えば、美容院に通えなかったり、道に迷って助けを求めたところ、優しく道を案内してくれる人がいても何言ってるかわからないなどです。
日本語がある程度わかるように半年間ほど時間がかかりました。

ただ、2年ほど日本語の勉強に専念した結果、ある程度日本語がわかるようになったので大学へ進学することができるようになりました。留学生用のセンター試験みたいなものを受け、大学受験し、合格してそのまま大学生活へ。

いよいよ大学生になり、人生の夏休みに入りました。
大学では予定通り経済学部に所属し、経済について学びました。
北海道から沖縄日本のあらゆるところに旅行へ行き、人生の夏休みを満喫しました笑。

沖縄に行った時の写真

一番印象に残ったところは大学での初めての休みに行った軽井沢でした。

軽井沢の思い出

気温の高い真夏に行きましたが、涼しかったです。さすが避暑地という感じでした。

ただ、2年生になったタイミングで、100年に1回と言われるパンデミック、「コロナ」がやってきました。大学の授業は全てオンライン化されました。
コロナの影響が凄まじく、結構時間ができてしまったので「暇つぶしになんかしよう!」と考え、日本製品の売買をしようと決めました。

一時期、ゴルフ用品を始めとしたスポーツ用品をインドネシアに向けて売っていました。量で捌くのはリスクが高く、量よりは質の高い、高単価の商品がいいと思い、ポテンシャルの高いゴルフ用品等を売ることにしました。

当時はこういったゴルフ用品(写真はドライバー)などを売っていました

この経験で貿易は面白いと思うようになり、将来的に貿易会社を立ち上げるのは全然ありだと思います。

正直、大学卒業後はこのまま進学しようと思っていました。しかし、「実務経験を積んでからでも遅くないので、とりあえずどっかの企業で仕事をした方がいいのでは?」と親に言われ、考えを改めました。
進学する前に、将来の自分のために企業を経営するノウハウを民間企業での実務経験を通じて勉強する必要がある。そう思い、日系企業に就職することを決めました。4年生の秋学期が始まる寸前からの、ちょっと遅れた就活スタートとなりました

入社6ヶ月で転職活動へ…

就職活動中は、キャリアを向上させることができる+大学で専攻した「環境経済学」を活かせる会社に就職したいと思っていました。

そんな中、たまたま参加した会社説明会で、太陽光パネルと蓄電池を製造・販売する会社を見つけました。グループ会社全体の社員数は300名を超える規模で、安定的な経営をしている会社で学べることもたくさんあると思い、面接に参加することを決意しました。結果、なんとか内定を勝ち取ることができました。(ちなみに、私の双子の弟も同じ会社に内定をもらい、一緒のタイミングで入社することになります笑。)

ただ、入社後については、本社で太陽光パネルや蓄電池の研究・販売をするのではなく、グループ会社へ出向することとなってしまいました。出向先はホームページの販売やYouTubeのPR動画制作、福祉事業を展開したり等、入社前に私が担う予定として説明を受けていた事業と大きく外れるビジネスを展開していました。

配属先も「業務部」という部署で、営業アシスタントとして受発注のデータ入力や請求書等の書類作成、顧客対応や契約書のチェック等、いわゆる事務員さんとしての仕事を担っていました。

業務内容的には楽で嫌いではないのですが、スキルアップが見込めない上で、キャリア形成もできないというのがメインな理由で、入社6ヶ月で転職を考え始めました。(私の弟も同じタイミングで転職活動を始めました笑。)

双子の弟がキッカケでジンザイベースと出会う

2023年11月1日の新入社員歓迎会での1枚

1社目の転職で学んだこととしては、会社の規模で就職先を選んではいけないということです。むしろ、私みたいに将来自分でビジネスをしたいと思っている人間は、会社の規模が小さい会社の方が、任せられる業務が多く、会社の成長とともに自分も成長させていくことで、結果として企業を経営するノウハウを学べると思いました。

また、大学の専攻科目に囚われず、自分のやりたいと思っている国際的なビジネス+言語スキルを活かせる仕事+ベンチャー企業を中心に転職活動をスタートさせました。改めて転職活動をする中で、本当にいろんな企業があることに驚きました。

どこに応募するか迷っていた時に、双子の弟から「面白そうな会社があるよ」と紹介されたのがジンザイベースでした。弟はすでに2次面接まで進んでおり、会社規模、事業内容、面接での社員さんの雰囲気など聞いてすぐにindeedで検索して応募しました。YouTubenoteを事前に目を通したり、面接官の話を聞いてみても、スキルアップは間違いなくできる環境である上に、キャリア形成もできる場所だと確信しました。

事業内容としても、言葉がわからないまま海外に飛んだ自分の経験はありますので、特定技能外国人の気持ちはわかりますし、サポートをすることは非常にやりがいがあると感じました。

おまけに、多国籍にめぐまれた環境です。ダイバーシティを感じながら、お仕事ができるところがとくに魅力的で、先輩方や同期は優秀な方々で一緒に仕事するだけでスキルをパクリまくれます

なお、関係のない人がみてもわかりやすい数値化された評価制度に基づいて給与が半年ごとに上がったり下がったりするのは、ジンザイベースの魅力になるのではないかと思っています。
結果、弟は同業他社へ就職し、私はジンザイベースへ入社することとなります。

日本社会に対して何か恩返しをしたい

私は、転職活動をする際に、もちろん自分が成長できる環境がある会社に行くことが第一優先でした。ただ、日本に住みもうすぐ7年が経ちます。これだけ、日本に住まわせてもらって、教育も日本で受けましたので、何らかの形で恩返しをしたいとも同時に思っていました。

どういう恩返しができるのか。考える時に思いついたのは、日本国内の問題解決に携わることです。

日本は「少子高齢化」という問題に直面している一方、発展途上国には優秀な人材がたくさんいます。優秀な人材たちが、労働者として来日することが、問題の解決の一助につながるのではと思い、ジンザイベースを通じて自分のキャリアアップと共に、日本社会への貢献をしたいと考えています。
裏目標としては、早く一人前になり、次はジンザイベースを技人国ビザ一発で5年出せる規模の企業にすることにチャレンジしたいと思っています。

最後に

ジンザイベースは、2023年11月には2名、12月に2名、年明け1名と、どんどん新メンバーが加わってくる予定です。が、まだまだ人手が足りません。実際に入社してみて、どうやってこの業務量をこなしているのか、改めて恐怖でしかありません笑。

もし本noteや他メンバーのマガジンをご覧いただき、少しでも興味を持っていただけたら、是非ご応募いただければと思います!

また、いきなり面接はちょっと…という方は、pitta(旧meety)からもぜひご連絡お待ちしております。弊社の採用担当とカジュアルに面談してもらえれば!


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