日常に感じる違和感の話
保育園児に見る違和感
長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、不登校・不安定登校の日々だ。
母は、精神の浄化と、パンパンに思考と情報に埋め尽くされている脳の整理のために、最近『散歩』を日常生活に取り入れていた。
Amazonプライムや、YouTubeを各々の機器で楽しんでいる我が子たちにも、もちろん声をかける。
「ママ、散歩行くけど。一緒に行く?」
即答で「行かな~い。」と返ってくる。
もう慣れたが、最初は「このやろう。ぐうたらとたるんでいる奴らめ。」とモヤついた。
子どもたちのことは見限って靴を履いて表に出ると、冬の北風が母の耳と鼻を冷やす。子どもたち、正解だわ。と室内に居る子どもを羨ましく思う。
しかし、母は意を決して、出発した。
今日は、芝生を歩きたい。落ち葉の匂いを嗅ぎたい。木々の緑が見たい。
そんな思いで、ちょっと大きい公園へ向かう。
公園にはいろんな保育園から、子どもたちがお散歩に来ていた。かぶっている帽子のカラーが園ごとに違う。保育園には、『お散歩』があったな。我が子たちもお散歩大好きだったな。微笑ましく思い出していた。
その中に、リレーの練習だろうか。たすきを持った保育士と、20人ほどの子どもたちがいた。
保育士は、ぽっこぽこのダウンを着ている。
子どもたちは全員ジャージだ。
「子どもは元気だなぁ・・・。」
と昔の私なら、そう思っただろう。
けれど、その光景に出会った今の私は、疑問を持った。
「子どもたちの、ジャンパーはどこにあるのだろう?」
視野を広範囲に広げて探しても、子どもたちのジャンパーは無かった。
『リレーをする』という活動目的のために、動きやすいように、ジャージいっぽんで“来させられた”のだろう、と感じた。
不登校児3人の母の私は、その集団活動に違和感を持ってしまった。
「やりたくない子も居るだろうな。」と。
「動かなければ、めっちゃ寒い。ここにはリレーに参加する以外の選択肢はないんだな。」と。
もっと、気候の温かい頃に、こんな光景に出くわしたことがある。
保育ママさんと、1〜3歳の子どもたちが、レジャーシートを広げて、お弁当を食べる、という場面だった。
子どもたちは、保育ママさんと一緒に、決められている言葉を暗唱した。
「神様、今日の恵みに感謝して、ご飯を残さず、お行儀よく食べます。いただきます。」
子どもに合わせてゆーっくり唱えられる言葉にも、1テンポ2テンポ遅れてしまって、全然言えてない子がいる。
保育ママさんは「もぅ~(笑)」(毎日言ってることなのにまだ言えないんかい!)と笑いかけ、気を取り直して「はい、食べましょう。」とお弁当をみんなで食べ始めた。
母が違和感を感じたのは、『ご飯を残さず』の部分だった。
完食できるか、出来ないか、その日によらない?と思った。
『ご飯を残さず』と宣言したことで、保育ママさんが、ご飯を残してしまった子を、咎める思考が生まれないだろうか。
ご飯を残してしまった子ども自身も、「うそついちゃった。」とか、「約束をまもれなかった。」と思ってしまわないだろうか。
言わなくてよくない?
ジャージの子どもたちを見つめて、あのお弁当の場面を思い出す。
そして、ふと思った。
あぁ、こんなことを考えてしまう、日常の流れに疑問を持ってしまう母親の子どもだから、我が子たちは揃いもそろって不登校なのだろうな、と。
親の特性は子どもに遺伝する。
あははっ、と吐息に混ざって笑いが漏れる。
それは、嘲笑ではなく、肩の力がふっと抜けたような感覚だった。
子どもファースト
不登校界隈や、学校改革の場面で、『子どもファースト』という言葉を耳にする。
随分と恩着せがましいもんだ、と少し思う。
私たち大人は、こんなにも子どものことを1番に考えている。
私たち大人は、こんなにも子ども1番に支援をしてあげている。
そんなニュアンスを孕んでいないかな、と。
でも同時に思う。こういう『大人がしてあげるべきこと』という強い言葉を使わないと、世間には伝わらないんだろうな、と。
子どもにも当たり前に人格があって、人権がある。母としても、そこに気が付くまでに、とても長い時間がかかったし、今でも漠然とした感覚しか掴めていない。すぐに「あれしなさい!これしなさい!」と子どもに指示を出す自分に気が付く。
そして、『子どもファースト』という言葉はとてもキャッチーだ。
『すべての子どもに人権がある!!』なんて言葉を世間一般に投げたところで、「へぇ。」で終わるだろうな、と思う。
私が『ファースト』に違和感を持っているのは、『レディーファースト』に起因していると思う。
ジェントルマンが、連れの女性の為に、扉を率先して開けてくれたり、これから座りますって時にベンチにハンカチを敷いてくれたりする、あれだ。
私はちょっと苦手だった。
レストランで椅子を引かれて、タイミングを測って腰をおろすものの、すごく早めに着席してしまう。
(あぁ~。。こんなガバガバの感覚じゃ、落ち着いてご飯が食べられないよ。。。)そう思って、椅子を引いてくれた相手の顔を見ると、とても満足そうだ。
(なんてこった。椅子をガリっとあと数センチ前に出したいよ。けど、この人、完璧な仕事した!と思ってそうだし。。。我慢するか。)
と思いながら、「ありがとうございます。」と微笑み返す。
デート中に、腰に手を回されるのも好きではない。
車道側から内側に入りなよ、というタイミングで腰に回された手が、「あなたをお守りします」とばかりにずっと私の腰にくっついている。
歩きにくい。
相手と足がぶつかりそうだ。邪魔くさ。自由に歩きたい。
ずっとそう思っていた。
夫は、彼氏時代そういうことを自然にする人だった。
けれど私がちっとも喜ばないので、今は全くしない。
自分が『ファースト』のありがたみを全く感じていないので、『恩着せがましい』なんてひねくれたこと考えるんだろうな、と思う。
でもきっと、『ファースト』をする人は、「あなたを大切に思ってる」って事を、ただ伝えたいだけなのかもしれない。
ファーストされた経験のある私は、とても恵まれていたのだろうし、「そんなもんいらねーやい。」と言えるほど、贅沢な環境に居たのだろうと感じている。
学校で困り感を抱えている子どもたちにとっては、『子どもファースト』と言ってくれる大人が居るだけで、希望だし、救いだろうと思う。
ひねくれている私のことは放っておいて、日本中で、どんどん『子どもファースト』が進めば良い!!と思っている。
自分への教訓
この親にしてこの子あり、ってあるよなぁ。
〇〇ファーストって、あなたを大切に思っているよって事だ。
学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。