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専門性ってなんだろうの話

ちぃ、友だちが居ない発言

次女のちぃは小学校1年生。兄と姉にならって、絶賛不登校中だ。

ちぃは、とても活発な女の子だ。運動も勉強も好き。弁も立つ。友達との関係も良好に見えた。

親も、先生も、
「どうしてこの子が不登校なのか、さっぱり分からない」
と口を揃える。

しかし、ちぃは「学校には行きたくない」と言った。

その頃、往生際の悪い両親は、何とかちぃを説得し、引きずって登校させていた。
「ちぃは、学校を楽しめる子だ。こんなにも活発なのだから、家に一日腐らせておくのは、なんと勿体ないことか!」
と強く信じていた。

ちぃは、弁が立つので、色々と話してくれた。
「ちぃには、友だちが居ないんだよ。いつも休み時間は一人で泣いてるんだ。」
とちぃは言った。

母には甚だ疑問だった。とても信じられなかった。
ちぃを慕ってくれる子は確かに居たし、母が同伴して教室まで送り届けた時も、「あー!!ちぃ来たー!!」と笑顔のクラスメイトに囲まれていた。

この子は、親を納得させるために、フィクションを話しているのではないか?とそう思っていた。

そんな頃、出身保育園のクラスの親睦会が催された。「小学校に上がって、みんなどう?」という事をご飯食べながらおしゃべりしようよ!という会だった。
我が家ももちろん参加した。母には、保護者の楽しい雰囲気を壊したくないという思いもあったので、学校へ行き渋っているちぃの話もそこそこ、雑談を楽しみながら、ちぃのことを意識していた。
「友だちが居ない、というのは本当なのだろうか?」

ちぃは、保育園の頃と変わらないノリで、多少手荒なツッコミも笑って流してくれる同級生の雰囲気の中、ケラケラ笑って遊んでいた。

しかし、ちぃが帰りの車で言った。
「ちぃには、やっぱり友だちが居ないよ。」
母は耳を疑った。ついさっき、あなたは笑って遊んでいたじゃないか。今この時間を一緒に楽しんだ同級生のことを“友だち”というのではないのか。
そのまま、疑問をちぃに投げた。ちぃは言った。

「友だちじゃないよ。ちぃがやりたいことは、何もできなかった。みんな、ちぃが『やろう!』って言ったこと、『ヤダ』って言うんだもん。楽しくなかったよ。」

母は、この言葉を受けて、そりゃぁちぃのわがままってもんだろう!と思った。
そのときはそう思ってしまった。保育園を一緒に卒園した仲間への信頼も大きかった。子どもたちも、親御さんも、みんな良い人だ。

でも、今、ふと考える。“自分が受け入れられてない”と感じている集団は、果たして“友だち”と認定できるのだろうか、と。

保育園時代は、担任の保育士がとても良い雰囲気を作っていた。年長さんを保育園丸ごとで応援しているような。
子どもたちへも、みんな仲間、考え方が違っても、話し合おう。みんなで相談して決めよう。と伝えているのを感じていた。母がお迎えに行った時、保育室で年長さんが体育座りをして円形になり、保育士も子どもたちも、何かを一生懸命話している様子を何度も見ている。

ちぃは、保育園が大好きだ。小学生になった今でも。
そこには、ちぃの話を聞いてくれる場所が確かにあった。

保健室の先生

ちぃが小学校を行き渋って、休ませてみたり、行かせてみたり、親も疲弊しはじめている頃だった。

その日は何とかかんとか、グズるちぃをなだめすかして、小学校の昇降口まで連れてきた。
ちぃは、なかなか靴を履き替えなかった。上履きを親が下駄箱に取りに行って、さあ!履くんだ!!とちぃの前に置いた。
ちぃは、下を向き、足に力を入れて立っていた。上履きを履こうとする雰囲気では無かった。

昇降口で説得をする親と、下を向き動こうとしないちぃ。
その時、下駄箱の向こうの廊下を保健室の先生が通った。
先生は、ちぃの行き渋りに気が付き、「おはよう!ちぃちゃん!!」と元気に声をかけた。

その瞬間、立ちんぼで上履きを見つめていたちぃが、きびすを返し、昇降口から飛び出した。

ちぃは、校庭の柱の陰で、膝を抱えて泣いていた。

母は、今日も学校に行けないか。。と、すすり泣くちぃの姿を見ながら肩を落とした。空白の時間が流れる。
そこには、母と一緒にちぃを追った、保健室の先生も立っていた。

保健室の先生は、元気いっぱいに言った。
「ちぃちゃん!!教室行こう!!」
ちぃがぎゅっと膝を強く抱きしめたのが分かった。

保健室の先生は元気に続けた。
「ほら!立って!!一緒に行ってあげる!!」
先生は、ちぃの腕を掴んで、よいこらしょとちぃを立たせた。

ちぃは、うなだれていた。目をつむって、奥歯をぎゅっと噛みしめていた。涙がポロポロこぼれている。

母は、瞬間的に、これはダメだ。と思った。

保健室の先生が来てくれた時、「仕事に行けるかもしれない。」と母の心は揺れた。このまま、流れに乗れば、私は仕事に行ける。仕事に行かなければという思いと、ちぃの思いを天秤にかけていた。

でもダメだ!!そう思って、ちぃを連れて行こうとする保健室の先生の背中に向かって、
「ちょっと、待ってください!!」
と、渾身の力を振り絞った。

保健室の先生は、まゆを寄せて母を見た。そして言った。
「お母さん、ここまで来たのに。ちぃちゃんは、出来るのに!もったいない!!」

分かってる。ちぃはできると思う。もったいないとも思う。
けどダメだ。こんなことをしたら、明日に繋がらない

兄と姉で、行き渋りと不登校を何度も経験していた。
これはダメなやつだ。今日は学校に行けたとしても、明日、家から出なくなる。もしかしたら、布団からも出てこないかもしれない。

「すみません。連れて帰ります。」
母は、保健室の先生から、ちぃを引き取った。
先生は、あからさまにため息をつき、ちぃを母に渡してくれた。

また私は、「過保護な親だ」と思われただろうな。
職場に、今日も休むって連絡しなきゃ。
母は、『学校に行けなかった』『仕事にも行けなかった』何も達成する事が出来なかったむなしさを抱えて、ちぃの手を引いて帰宅した。

後日、大学時代の友人と話をすることがあった。
彼女は、保育士をしていた。

「そっかぁ。」と友人は、母の話を受け止めてくれた。
友人も、保育園を卒園させた教え子たちが、小学校と保育園のギャップに苦しんでいることを、問題として捉えていた。

友人は言った。
「なんで、保育園で出来たことが、小学校ではできないんだろうね。」

そして、こんな考察も話してくれた。
昔は、保健室の先生の仕事は、ケガの応急処置をしたり、体調不良の子の帰宅のジャッジをしたりすることだった。
けれど、ケガでも、体調不良でもない子が、教室で授業を受けられない事例が出てきた。担任は、安全性の確保のために、常時大人が居る場所へ子どもを案内する。それが保健室だったんじゃないか。
保健室の先生は、場当たり的に回された子どもを、何とかイナして教室へ戻そうとしているのではないか。
という事だった。

「でも、今の時代、こんだけ不登校が増えてたら、そんな考えは古いと思うけどね。保健室の在り方って、変わってきてるよね。」
と友人は言った。

母は考えた。友人の考察も理解できた。
一昔前は、確かに、そんな雰囲気だった。
けれど、『保健室登校』という言葉が、世にはびこっているのも現実だ。保健室の先生に救われたという話も、不登校界隈から聞き及んでいた。

母は、さらに考えた。
我が子の通う小学校の保健室の先生は、どっちだろう?と。
『一昔前の保健室』という場当たり処理、が当てはまるのか。
『保健室登校』という救世主的な存在か。

もし、場当たり対処の保健室だとしたら、そこへ逃げてはいけない!と思った。
それを過保護な親というのかもしれないが、我が子が潰れてしまうのは避けなければ、と思った。

教室という環境に打ちのめされている子が、校内で助けを求めて行きつく先が保健室だと思う。そこで場当たり的に処理されてしまったら…。
行き場の無い子どもが突きつけられる現実は、“絶望”なのではないか。

母の保健室のイメージは『耳をすませば』の保健室のような、アットホームなイメージだ。生徒が保健室の先生をまじえて雑談をする。
または、少女コミックでよくある、さぼりたいイケメン男子が昼寝をしに来る。そんなことが許されている、空間。生徒の休憩所。

保健室の先生には、さぼりを許す寛容さが必要だ。と思う。
さぼりたい“理由”が子どもにはあるはずだ。
さぼりたい子が溢れて、本当に保健室を必要としている体調不良の子が利用できないのは困る。と、保健室の利用は厳しい条件つきになっている。しかし、さぼって保健室を利用する子どもたちが、顔面真っ青な体調不良の子どもを前に、ベットを譲らないなんてことがあるだろうか?

せめて、学校の中で保健室くらいは、子どもを信用する場所であって欲しいと思う。

自分への教訓

  • 子どもの感じている世界が、その子の現実。

  • 子どもを信じて、話を真剣に聞く。





学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。