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鐘、聖夜に鳴れり。

 
 「ビーフorチキン?」
 「フィッシュ!」

 「イヤーッ!」
 「アバーッ!」
 

ふざけた態度で質問に答える酔っ払い男性の頭にトレーが思い切り振り下ろされた。
 暴力の主は見目麗しいフライトアテンダントの女性。
 
 ここはアカプルコ発東京行き、超日本航空109便機内。

 彼女は頭を押さえのたうち回る酔客を無視し、隣席の大柄な男に頭を下げ謝罪しようとして気づいた。
 男が顔にかけたタオルがゆっくりと上下していることに。
 そこから微かに寝息が聞こえることに。
 彼女は小さく頷くと、先程よりも小さめの声で、後ろの席の客らに機内食の確認をおこなっていった。

 このコロナ禍ではあるが、家族連れ、ビジネスマン、ホームレス、ロバ行商、外様大名などの多彩な顔触れで機内は満席に近い状態だ。

 やがて窓の外は雄大な雲海から墨のような漆黒の空へ変わる。
 時刻は午後11時30分。
 すでに多くの乗客が深い眠りへ落ちていたが、その静寂は突如破られることとなった。

 「着用する義務が あ・る・ん・で・す・かーーーーーー!!!」

 余りの大声にほとんどの乗客が目を覚ました。
 先ほどトレーで頭部をブン殴られた酔っ払いもだ。
 その隣の大男は一向に起きる様子がない。

 声の主は一人の日本人男性だった。
 小太りで40代くらい、身に着けたグレーのパーカー前面には蛍光グリーンの前衛的フォントで【日本最強ネット論客】【無敵インフルエンサー】【生きるドア】という文字が躍っている。
 彼こそは『フミタカ・エホリ』
 日本では知らないものは居ない実業家だ。
 球団を買収し損なったり、ロケットを落としたり、懲役刑を受けたり、その実績は枚挙に暇がない。
 
 
 (あの、お客様...他のお客様のご迷惑になりますので...)
 2人のフライトアテンダントのうち1名が口元に手を添えてエホリに話しかけ、もう1人は周囲を見渡しながら乗客に頭を下げていた。
 
 だが、彼女たちの願いが彼に通じることはなかった。

 「お れ は な ん で マスクを着けないといけないのかって聞いてるんですけどーーーーーーーー?????」

 先ほどよりも更に大きい声だ。
 エホリの口元を見やれば、マスクを装着しておらず、これがトラブルの大元であろうことは想像に難くない。

 「ちょっとアンタ...子供や年寄りも寝てるんだぞ...静かに...」

 たまりかね真後ろの席から初老の白人男性が声をかけるが、エホリは振り向くことなく手にしたスマートフォンを肩越しにそちらへかざす。

 直後、激しい光と音。
 カメラアプリのフラッシュ音である。

 「はい顔撮った〜♪俺フォロワー何人いると思ってんの?すぐ特定して炎上させてやっからね♪草生えるwwwwwwwwwww」

 マヌケな顔に似合わぬ流暢な英語で捲し立てる。
 一代でベンチャー企業から大成功を収めたエホリである。
 英語などのお手の者。
 SNSに届く英文クソリプに丁寧にレスバトルを挑んでは「はいお前の負け―発狂乙www」などと勝利宣言を告げることなど朝飯前だ。

 白人男性は尚も何か言い返そうとしたが、隣にいた夫人らしき女性が彼を押しとどめると、仏頂面のままシートに身を沈め深いため息をひとつ、ついた。

 その後もフライトアテンダントとの押し問答は十数分にわたり続き、エホリがいちいち当てつけのように大声で怒鳴り返すため、機内の空気は最悪な状態になっていた。
 
 「だーかーらー、ど こ に そ ん な 法律があるんですかー???
 基・本・的・人・権って知ってま...ん??」


 エホリの言葉が止まったのは、自身を見下ろす男の影に気づいたからだ。
 
 「アンタさぁ...」
 
 声の主は身長190cm近く、体重も120㎏はゆうに超えるであろう巨漢の日本人。
 現役時代の四股名は善山(ぜんざん)。
 十両筆頭までで現役を終えたとはいえ、元力士の威容が確かにうかがえる巨体である。
 
 (頼む...その五月蠅いのを黙らせてくれ...!!)

 善山に注がれる視線には乗客共通の願いが込められている。
 それは彼自身も痛いほど感じていた。

 (ここでこのイケ好かない野郎をぶっちめれば英雄だぜ)

 善山は口元をわずかに緩めたが、それも一瞬のこと、鬼の形相でエホリの胸倉を掴み上げると、静かに、だが明らかに怒気のこもった声で告げる。

 「オッサンさっきからうっるせぇんだよ、みんなが迷惑してンだろーが、あぁん!?」

 だがエホリに怯む様子は微塵も見られなかった。
 
 「あー、暴力だー!暴力振るうんですか!怖い!身の危険を感じました!正当防衛ですね正当防衛!」

 棒読みそのものの単調な抑揚で喚き立てる。
 イラついた善山が更なる脅しのために、空いているもう片方の手で拳を作り、肩の後方へ振り上げようとしたそのときだ。

 バチィ!!!

 先ほどのカメラフラッシュとは比較にならぬレベルの光、そして音!

 思わず目を閉じてしまった乗客・乗務員が次に見たのは、意識を失った善山がゆっくりと後方に倒れていく姿だった。
 
 ドスーンという音と大きな揺れ。
 善山はピンと体を伸ばしたまま機内の床に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。

 「痛い痛い痛い!誰か!誰かどけて!!」

 そのすぐ近くから女性の声。
 フライトアテンダントが転倒に巻き込まれ、足首から先が床と善山の胴体とに挟まれ抜けなくなっていたのだ。

 その様子を、ゲラゲラと笑いながら喜ぶエホリの手にあったのは、火花を放つ黒色の直方体、スタンガンである。

 どうやって保安検査を潜り抜けたというのか!?
 無論賄賂だ!!

 その足元では、善山と床に挟まれたフライトアテンダントが激痛にあえぐ声がまだ続いており、彼女の同僚が周囲に助けを求めていた。

 「どなたか!どなたかこのお客様をお運びするのを...!!」
 
 周囲の客がそれに応え集まってくるが、狭い機内の通路と善山の巨体も相俟って、大勢が一度に持ち上げるという行為は困難を極めた。
 エホリはその光景を大声で笑い続け、スマートフォンを向け撮影し、また笑い続けていた。
 
 そのとき。

 「どきなさい」

 スペイン訛りのある英語で乗客たちに割って入ったのは、頭一つ半ほど大柄なヒスパニック男性。
 ジャケットとスラックスの上からでも簡単にわかるほどその肉体は鍛え上げられていた。
 
 周囲の人々が彼の素性を理解するのに時間は全く要しなかった。
 その頭部を覆うのが自由の戦士の象徴、偉大なるルチャドールの証である紫色の覆面であったからだ!
 彼の名は『エル・ビオレンシア』
 母国メキシコでは押しも押されぬスペル・エストレージャだ。 

 駆け寄ろうとする子供を手で制すると、マスクマンは右手で善山のベルトを掴み、片腕一本で引き上げた。
 その間に挟まれていたフライトアテンダントが脱出し、同僚に肩を貸されて機内の奥に消えていく。 

 マスクマンは担ぎ上げた善山を周囲の乗客に預け、先ほどのフライトアテンダント達が向かった方向へ運ぶよう、顎先で促した。

 エホリはすっかり興が削がれたようで、その様子を忌々しげに見つめていたが、すぐに自身を射抜くような視線に気づき向き直る。

 ビオレンシアだ。

 「マスカラ・コントラ・マスカラだ」
 「は?」


 覆面の奥から聞こえてきた声にエホリは眉を顰めるが、紫の覆面戦士は構わずに言葉を続ける。

 「私が負けたらこのマスクを脱ぎ素顔を晒そう。ただし君が負けたときにはおとなしくマスクをつけて東京まで空の旅を楽しんでもらう」

 「は?そもそもマスクの意味が違うしそんなんやってもメリットないでしょ...だいたい...」


 カーーーーーーン!!!! 

 どこからかゴングが鳴り、エホリの返事を待たずにビオレンシアが仕掛ける!両の前腕をX字に交差させ襲い掛かる、これがルチャドールの奥義、フライングクロスチョップだ!

 「ゲボーッ!」

 逞しい上腕が喉元を直撃!スタンガンを取り落し、倒れこむように座席シートにダウン!
 そこへ追撃のフライングクロスチョップだ!

 「ゲボボーッ!」

 背後に衝撃を逃がせない状態で喉元に痛烈な一撃!
 そこへ追撃のフライングクロスチョップだ!

 「グワーッ!」

 喉を押さえ俯き苦しんでいるところへ横合いから耳元に直撃!
 ついに座席から転げ落ち通路をのたうち回る!
 ビオレンシアは座席シートの背もたれに直立し、エホリを見下ろすと、そのままダイビング!空中で前方半回転し顔面にその背中をしこたま打ちつけた!トペ・コンヒーロである!

 「アバーッ!」

 エホリは白目を剥き失神!機内拍手喝采!
 だがビオレンシアの猛攻は終わらない!
 通路に落ちたスタンガンを拾うと、出力を最大に調整、エホリの胴体に押し当てる!
 
 「バババババババーッ!!!」

 押し当てる!

 「ババババババーッ!!!」

 押し当てる!

 「ババババババーッ!!!」

 ビオレンシアはエホリが完全に動かなくなったことを確認すると、その口元にマスクを装着させ、静かにシートに戻してやった。
 戦いが終わればノーサイド。
 偉大なるスペル・エストレージャの優しさに乗客が酔いしれ、諸悪の元凶が念のためもう一度スタンガンを押し当てられていたそのとき、突如機内アナウンスが流れた。

 「機長です。お休みの方もおりますところ失礼します。ただいま時刻は12月25日午前0時を迎えました。メリークリスマス!」

 続いて、聖夜を祝う鐘の音が機内に響き渡る。
 それは勝者を称えるゴングにも似ていた。
 乗客があちこちで叫ぶ。

 「メリークリスマス!」
 「メリークリスマス!」
 「ビバメヒコ!!」


 拍手と喝采の中、自席に戻るエル・ビオレンシア。
 隣席に座った上機嫌の酔っ払いが声をかけてくる。

 「ようカンペオン!一杯どうだい!?」

 聖夜の英雄は答えずに後ろを振り返る。
 先ほど駆け寄ってきた子供と目が合った。
 
 「いや、それよりサインペンを持ってないかい?」
 
 

【終わり】


 
 

 

 
 


 
  
 

  


 
 

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