スキの数がビュー数を超えた

スキの数>ビューの数という矛盾

 noteを書き始めて数日が経ち、自分のイメージとnoteというツールの使われ方について感じたことを書く。
 僕がnoteというツールを選択したのは、「今一番使われているであろう、長文を用いた自己表現の場」だと思ったからだ。ここ1週間程度で8本のエッセイを書いた。その中で体験したことをいかにまとめる。

  • 書き始めて3日くらいは記事に付くスキが1とか2とか 

  • ある時急にスキが増え、フォロワーが50人以上増えた。

  • フォロワーはほぼ「フォロバ100%」「副業」「素晴らしい人生の歩み方」といった自己紹介文の人々

  • スキの数>ビューの数

自己表現における、スキ数の意味のなさ

 スキ>ビューというのは単純に記事を見ずにスキを押しているということだ。スキをしている人はほぼ「フォロワーを増やしたい人」だった。僕の記事が評価されてスキを押してもらえたのではない。スキはその人のフォロワーを増やすためのインターホンだった。フォロワー数が欲しい人は、自分の情報商材を売るために、自分のページに訪れる人の数を増やしたいだけ。
 この事から、noteという文化においてフォロワー数とスキの数は自己表現において気にするだけ無駄という結論に至った。ほかの人はどうかわからないが、僕自身に関しては、創作の指標はビュー数となった。(一番はコメントだが、もらえるほど大した作品もない)

創作物の窓口を広げる意味でのスキの数

 自分の創作物に対する評価としてはスキの数は機能していないが、自分の作品の窓口を広げるという意味では一定の効果をもたらすと思う。スキ0の記事とスキ200の記事では、作者の前情報が全くない状態では後者の記事を読んでみたいと思うだろう。そういう意味ではスキの数も有効に使えるところだ。

フォロワーの数も意味がない

 スキの数以上にフォロワーの数も意味がない。現に自分のフォロワーが50人以上いても、新しい記事のビューの数は20もない。フォロワーが全員自分の記事を都度見てくれるわけではない。僕の創作のモチベーションは「一人でも多くの人に見てほしい」ということに気づいたので、ビュー数が伸びればそれでいい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?