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ゲーセンの営業ノウハウを記していく②

ゲーセンの歴史と類型

はじめに

20年間勤めた、西日本で30店舗以上を運営していた会社を退職して3年が経過しましたので、その当時に自分が得てきたノウハウのようなものを記していきたいと思います。
以下、注意点(テンプレ)
1・(もちろんですが)元所属会社の営業秘密は記しません。
2・勤務していたのはコロナ前なので、現在には当て嵌まらないことも多いと思われます。
3・とはいえ、普遍的?な基礎の考え方や現状も鑑みて記事は書きます。
4・なるべく早いペースで書いていくため、文章が変だったりわかりにくい場合があるかもです。
  質問等はコメントにお願いします。なので、後日記事の修正が入り得るのでご了承下さい!
5・有料記事も含みます(読んでくれる人がいるのか・・・) 今回は無料ですー
以上ご留意のうえお読みください。

営業ノウハウといいながら・・・

営業ノウハウを記すと大きい見出しになってて、なぜゲーセンの歴史なのか・・・
とういところですが、歴史を語るのが目的ではなくて、「歴史から来る、各オペレーターの営業方法の傾向分析」がメインとなります。
なので、歴史的に必ずしも正しいということを目的に書いているわけではないのでご容赦ください(という予防線)。
ゲーセンって現在でも多様性があって、同じ「ゲーセン」でもSCの中にあるプライズ中心のお店から、繁華街のビデオゲーム中心までありますよね。とはいえ、これでも同じ方向に収斂していったんですよね。

ざっくり分けたゲーセンのルーツ

ゲーセンのパターンを考えるときに、そのルーツと地域性がありますが、主にルーツに基づいて類型化してみます。
1・デパート屋上、乗り物設置型
2・シグマ発祥メダルゲーセン型
3・インベーダーハウス型
4・軒下間借り型
ざっくり以上のパターンに分かれるかなと思われます。

1・デパート屋上、乗り物設置型

私が子供のころにはまだ「デパート屋上乗り物遊園地」的なものが存在しましたが、元々はナムコが「動く木馬」をデパート屋上に設置したのが始まりだそうです。
これが当たってご存知の通りナムコさんは大きい会社になっていくのですが、ゲームセンターのルーツとしては今でいうSCで木馬という動く機械(業界ではエレメカと言います)を作っていた会社です。
このビジネスモデルで展開していた会社が、SCとの結びつきの強い営業スタイルになっていきます。
SCは1990年代終盤~2010年ぐらいまでで爆発的に「大型SC」が増えていったので、それに合わせてゲーセンもどんどん増えていきました。

2・シグマ発祥メダルゲーセン型

かつて、「シグマ」という会社がありまして、この会社が「ラスベガスの機械を日本でも遊べるように」と考えだしたのが、今のゲーセンの「メダルゲーム」です。
特に都心ではじめられたこともあり、関東圏の繁華街を中心にこのスタイルが伝播していったように思われます。
カジノの再現、というところがスタートなので、内装や制服、建物などにもその雰囲気を出しているところが多いです。
様々な要因があって、都心・繫華街ではメダルゲームが専有面積に対して利益が取れなくなってきており、逆に地方オペレーターではノウハウがなかったり、そもそも客数が足りないなどで、このスタイル自体が難しくなってきているように思います。

3・インベーダーハウス型

インベーダーの大ヒットと共に、「とにかくインベーダーを置けば儲かる」という時代がありました。喫茶店などに置かれているにとどまらず、インベーダーだけを置いて営業する店舗が出てきて、それが俗に言う「インベーダーハウス」。
これが後々に様々な基板を入れるようになってゲーセンになっていったのがインベーダーハウス型のゲーセンです。
なんせ、無人で営業していた店舗もあるぐらいなので、場所やスタッフなどにはお金をかけてないところが多い気がします(という偏見)。繁華街や学生街などの比較的手狭なところで営業していたところが多いです。
当然、ビデオゲームの衰退とともに、元のスタイルで営業している店舗はごく少なくなってしまっています。

4・軒下間借り型

インベーダーの時代にもあったのですが、格闘ゲームブームが到来し、SNKがネオジオのレンタルを全国に展開したあたりで爆発的に増えたのが、商店やドライブイン、ボウリング場などのエントランス等の一角で営業をするスタイルのゲーセンでした。
やがて、音ゲーが流行しだすと、筐体の大型化や増加で面積が増えていき、母屋側・・・ボウリング人気の低迷やドライブインの衰退に合わせて、ゲーセン化していったように思われます。
郊外型複合施設などはこの系統がルーツではないかなと思われます。
1のSC型と共に、2000年代初頭から増えて、メインストリームになっている形です。

まとめ

大きく分けたので、そういう出自ではない会社さんもあるとは思いますが、主にこのような区分けで、現在の「名残り」を見ると「あのお店はこの系統だな」とわかると思います。
(新たに出店した会社さんは、そのスタイルの元になった店舗のスタイルに区分されると思われます)
で、歴史をみて何が言いたいかというと、社内文化が「なんとなく」そっち方向に引っ張られている可能性があるということです。これが結局その会社の「得意・不得意」にアンオフィシャルな形で関わっているので、自社変革を目指す人には大きな障害になる一方、競合他社もその特性を変えづらいポイントなので、攻めるべき部分になります。
自分も働きながら、「このジャンルを頑張るよりも、こっちを頑張ったほうがいいのにな~」と思いつつ、これを社内文化から変えるにはトップの認識も含めて10年単位でかかったように思います。手前味噌ではなく、これでもトップの理解や、効果測定をフラットにする社内文化が別にあったので可能だった部分も大きく、社員の一人がそう思ったところで社内文化というものは如何ともし難いものです。じゃあ、今自分は何をすべきか?そこが大事ですね。

次回予告

次回はたぶん・・・何度も書こうとして頓挫している、「変動費と固定費」について書こうかなと・・・かけるのか・・・

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