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最高の舞台で消える

 外を歩いていると、春の花の香りがふわ〜と漂い、いつも以上に吸い込む空気になぜか安心感が得られます。

 季節が廻ってきて、無事にまた新しい年を迎えられるようで、ホッとします。

 私が通っていた高校は、記憶の限りでは、桜の代わりに白梅の木がたくさん植えられていて、年度末に校内が真っ白になり、新学期が始まる頃には何事もなかったかのように平常に戻っていました。新学期はピンクの満開の桜に迎えられる方が、なんだか縁起が良さそうで華やかでもありますが、私はその白梅のクールな演出が好きでした。

 桜が咲く時期も短いですし、一気に華やかに咲き誇って早々に散っていくのもまた潔くて良いものです。

 綺麗で華やかなものはずっと見ていたいし、人を幸せにするけど、ずっと綺麗で華やかでいる側には絶え間ない努力が不可欠です。そしてその努力は時には苦痛も伴い…なんて、せっかくほのぼのとした春の訪れの喜びについて文章を書いているのに、結局現実に戻ってきてしまいます。

 でも、これは誰にでも当てはまる現実で、努力を重ねてきて「やっとうまくいった」「報われた」と思ったら、また次の課題が待っていて…というのはよくあることだと思います。

 達成感は永久に味わい続けられるものではなく、時間が経つにつれてどんどん色あせていきます。そして達成感を得られたときの快感をまた味わいたくて、不断の努力が続いていくことになります…。
 一度上り詰めた頂点から落っこちないように必死にしがみついていたり。燃え尽きて少し休憩して、また別のことに情熱を燃やし始めたり。
 あるいは「もう満足」と穏やかに引退していく人もいるのでしょうか。

 いずれのふるまいも、人間味がありその人が生きていくための糧になっていると思うので、それぞれが納得のいくものであれば構わないと思います。ただ客観的に見てみると、一度目指していたところに行き着いた時点で、その舞台から消えてみる、というのはやはり潔くカッコいいなと思ってしまいます。

 しかしカッコいいからというだけでそれをやってしまうのはカッコよくは映らないので、どう見られたいかよりもどうしたいかを基準に行先を選びたいものだと、あらためて思い直しました。

 とても普通のことを書いてしまいましたが、ここまで行き着くのに思ったより時間がかかってしまいました。それも自分だと受け入れたいと思います。


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