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見失っていること

 今年の五山の送り火は、自宅からはこのような見え方でした。点と点に、私なりの思いを馳せて…。


 お盆も過ぎたし、僧侶のみなさまにも、そろそろお近付きになれるかな〜、と思っていたところに、京都は20日(金)から緊急事態宣言が発令されるようなので、今後の動きに迷っています。

 交流会のような、複数名が集まるような企画は控えたいので、また別の形でおもしろいもの作れたらと考えています。

 感染症の流行は一大事ではありますが、それを言い訳にして今すぐできることを先延ばしにしたりサボるのは良くない傾向で、後回しにした分、未来の自分の首を締めることになるのは目に見えており、常に現実と向き合っていようと思いなおす近頃です。いつまでも「コロナがおさまったら」なんて言っていられません。


 今自分にとって必要なものは何か?

 どんな世界においても生き抜いていける力をつけるためには何が必要か?

 仕事をするにしても、食事をするにしても、何かを身につけるにしても、この原点に帰って考えてみれば、(あるのかわからない)正解に近づく気がします。

 いろんな情報が溢れかえっていて、自分が見たくもないのに見えてしまったり聞こえてしまったりしやすくなってしまい、必要なのかいらないのか、判断しづらくなっています。
 経験が少ない人や不安が強い人は尚更迷ってしまうので、情報を取り入れてわかった気にならず、自分で経験を積んで回復可能な失敗を繰り返すことに尽きます。
 それ以前に迷うことなく自分で考えるという選択肢がなく、流され続ける人は、ある意味幸せなのかもしれませんね…。


 私も、迷わないということはないので、とりあえず自分で考えて動いてみるということを続けるつもりです。失敗もするし恥もかくけど、流され続けてロボットみたいに淡々と生きることなんてできません。とても複雑で面倒くさいことがいっぱいの人間ですから。

 そういう、人間くさいところが見えたとき、人は人に魅力を感じるのだと思います。嫌だと思うのは、自分のそういうところが受け入れられないから。

 どうか、心も身体も楽に生きられますように。



 

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