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亡くなった友人のこと

先日、留学時代の友人が突然亡くなった。
皆からイチローと呼ばれていた。

イチローが朝なかなか起きてこないので奥様が起こしに行ったら既に亡くなっていたらしい。
学生時代から水泳で鍛えていて、ずっとスポーツに取り組んでいて、健康そのものだった。
同級生の中でも一番突然死から遠そうな男だった。

アメリカに到着して初めてTUCKを訪問した日、
TUCK HALLの前で出会って挨拶をしたのが初対面だった。
世の中にこんな爽やかな男がいるのか、と強い印象を抱いた。

180センチを超える長身痩躯で、
高校・大学とアメリカの学校で学び、
新卒でゴールドマン・サックスに入って活躍し、
お金を貯めて私費留学でTUCKにやってきていた。

行き当たりばったりの留学だった僕とは随分違ったし、
英語も当然ネイティブ並で、それもまた対極的だった。

入学後最初のセクションも、5人でアサインされたスタディグループも一緒になった。
普通日本人が同じグループに入ることはないから、イチローはアメリカ人カウントだったのだろう。

最初は色々と分からないことも多く、随分助けてもらった。
逆に一年生の時は彼はまだ独身で寮住まいだったので、時々我が家に夕食に呼んだりした。

入学後皆で始めたアイスホッケーをこよなく愛していた。
チームの練習に加えて、深夜に自主練をして、早朝にスクールに通って、
さらに昼間も凍った池の上でやるポンドホッケーで練習していた。

あまりにもポンドホッケーをやるOccum Pondという池を愛しすぎて
アメリカで生まれた長男に「Pond」というミドルネームをつけるほどだった。
ベビーは、我々の間で「ポンちゃん」と呼ばれて愛されていた。

留学中に書いていたホームページの日記欄には、
イチローのことが100回以上登場する。
http://dartmouth.sakura.ne.jp/

ホッケーだけでなく、スキーも、ゴルフも、サッカーも、ソフトボールも、
ボッチェも、バーベキューも、勉強も、プレゼンも、数え切れないほどした。
ボストンや、モントリオールや、フィラデルフィアにドライブして、
パブで数え切れないほど飲んだ。

お茶目で、人を笑わせることばかり言っていて、TUCKとホッケーが大好きで、
イチローがいない留学生活は考えられなかった。

帰国後は、外資系金融機関で一番やりたかった仕事をやり、
日本法人のトップをしていた。
随分と責任のある立場になっても、まったく偉ぶらずどこまでも周囲に気を配る人だった。

ホッケーも勉強も仕事もゴルフも水泳も自転車も筋トレもパーティーもみんな一所懸命だった。
手を抜くことを知らないかのように走り続けていたから
心身に疲労がたまっていたのだろうか。

コロナ禍の中で、通夜も告別式も家族のみで行われた。
少したってから同級生たちと弔問に行って、
奥様に案内いただいた部屋は、生前イチローが早朝にトレーニングをしていた部屋だった。
ジムの機材が並んでいて、その脇に遺影と遺骨が置いてあった。
信じられないけれど、たしかに亡くなったのだ。

あと30〜40年くらいは生きそうだったのに。
せめてあと20年でも10年でも生きてくれたら良かったのに。
娘さんが大きくなるまで見届けてくれたら良かったのに。

誰もが何者でもなかった頃、濃厚な留学時の2年間をともに過ごした友の突然の死は
本当に穴があいてしまったような気がする。

イチローの存在をどこかに書き残しておきたかったので、
ここに書きました。

イチロー、色々ありがとう。
おつかれさま。
また会いましょう。

留学時、家族で暮らしていた家族寮「Sachem Village」の広大なサッカーグラウンドで
奥様と長男(ポンちゃん)と一緒に凧揚げをしているイチロー。
「良い光景だなあ」と思って後ろから撮りました。


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