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つめたいしたい

「そういえば、どうして死体なの?」
「はい?」
 唐突にそんな事を聞かれて、僅かばかり面を食らう。
「死体……負傷者の事でしょうか?」
「うん、そうそれ。セナがそう言い間違える事は知ってるけれど、どうしてそう間違えるかは聞いたことなかったなって」
「……確かに、そう呼ぶ……いえ、呼び間違う事は多いですが」
 そう言われると、なんて返したらよいか困ってしまう。

 ――――ゲヘナの救急医学部部長、氷室セナは負傷者を死体のように扱う。

 なんて話は、当の本人である私にさえ届く、有名な話ではある。
 聞く人が聞けば、ある種恐ろしいような話かもしれないけれど、(最もゲヘナで気にする人はいないのかもしれませんが)私としては業務に差し支えなければそれで良い、と思うところでもある。

 ただ、先生にまでそう思われるのはどうか。
 このままでは血も涙も無い生徒として思われてしまうかもしれない。

「私はロボットではありません」
「うん? うん。……うん?」
「冗談です」
「そっかー冗談かー」

 先生はそう言って理解したように笑う。どうやら勘違いはされていないようだ。
 それに、笑ってもらえるのはとても嬉しいです。先生に通用したのだし、今度後輩達にも試してみる価値はありそうだ。死体と呼ぶ剣呑さが和らぐのかもしれない。

「と、そうでした。どうして死体と言ってしまうか……でしたね」
 そうだ。私は、ある種意図的に……呼び間違う。
 負傷者を、死体に。
 生きているものを、死んだものに。
 このキヴォトスで死体なんて珍しい、いや珍しいどころの話ではないぐらいに希少なもの。
 忌避するべき命の終わりに、価値があるなんて皮肉のようだが。
 いや、皮肉だからこそ、価値があるのだ。
 私は昔、そういった――――。

「……セナ、大丈夫?」

 なんて、少し考えふけっていたようで、先生に心配されてしまう。
「いえ、問題ありません。少々昔の話を思い出していただけですから」
「別に話したくないなら話さなくてもいいんだよ」
 そう言う先生の顔は、本気でこちらを心配している。あまり褒められたものではないが、今はその視線が私に向けられているのは少し嬉しかった。

「別に何も勿体ぶる話では無かったのですが……」
 そう切り出して、昔の私の話を始める。

 キヴォトスでは、死が遠い。
 偶発的に襲い来るものではなく、意図的にやって来る災禍のようなもの。
 私が救急医学部を志す前か後か、今ではもう朧気だが、昔からそう思っていたのは確かだった。
 ――――ならば、死なない人々を助ける必要はあるのでしょうか。
 ふとした拍子によぎったその考えに。
 私は即座に、「そんなもの、あるに決まっていますね」と呟いた。
 その時の記憶ははっきり覚えている。
 救急医学部に入った時の初仕事、派閥同士の衝突で大量に出た負傷者を次から次へと担がなければならなくなった時のことだった。……流石に、あの量は大変そうでしたので、私もうっかり疲れていたのでしょう。

 だからこそ負傷者を負傷者扱いしていては、大事な時に遅れてしまいます。
 それは既に死体か、あるいはその手前ぐらいの状態なのだと思い込むことで、いつでも私は最善を尽くしているのです。
 そのお陰か、今でも私は死体を見たことが無いのですが。

「……」
 私がそんなどこにでもあるような話をしたところ、先生は何やら神妙な顔つきをしている。その顔は良く知っているアレだ。
「あんまり頑張りすぎちゃ駄目だよ?」
「それを先生が言いますか……私に現在進行形で治療されているのを忘れるのはどうかと思いますが」
 私と先生がこうして話しているのは当番だからでもなんでもない。何やらゲヘナでの用事の帰り、爆風に巻き込まれて目の前で派手に転んでいたのを一人で車両に乗っていた私が丁度発見したからだった。
「面目ありません……」
 申し訳なさそうな顔で、バツが悪そうに笑う先生。そんな顔をされては余計心配で、終わりそうな治療が長引いていく気がする。

 私個人の感情としては、あまり先生の生傷を見たくは無かった。
 治療をする際に全身を診たところ、爆風に巻き込まれたにしては軽い挫創や切り傷程度で済んでいて、運が良かったほうだ。
 だが、先生は私達とは違い銃弾一つで致命傷を負う危険がある。それも含めて先生を咎めたい気持ちではあるが。
 ――――診察の際に視た、お腹の銃創、その痕を思い出す。
 そして、その傷がまだ痕になる前も。
 ガタガタと揺れる車内――――それは、いつもの事だ。
 ドクドクとあふれ出る血液――――これも、まだ。知らない事ではなかった。
 呼吸が荒かったのは、どっちだったのか。
 落ち着いていた、意識も明瞭で、どうすべきかも理解していて。酷く冷静だったのは覚えている。
 苦痛に喘ぐその顔と、意識も朦朧としていて、必死で声をかけて。
 ――――酷く、冷たくなっていたのも、覚えている。
 正しく。
 あれは、最も死体に近かったのだろう。

「あの、セナさん? 流石にこれはちょっとやりすぎでは……」
 私が手を離したのを、治療の終わりだと思った先生が体を見渡す。傷と思わしき場所は、ガーゼや包帯やらでグルグルにしてあげた。
 これでも足りないくらいですと、思わず口に出そうになったが、今は噤んでおく。

「時折、思い出すのです。あの時の冷たい先生を。血の気が引いた肢体に、もう二度と温度が戻らないんじゃないかと。
 私が望んだ死体になってしまうんじゃないかと……もしかしたら、今も先生は――――」

 言い切る前に、先生は両の手で私の手を握りしめていた。

「大丈夫。ほら、あったかい」
 ……この先生は、平気でこういう事をする。

「やっぱり、私は先生の事が好きです」
 お返しに、握られた手を緩くほどいて、ギュッとハグをし返した。

「ず、ずいぶんストレートだね」
「こちらは医療行為ですので」
「医療行為?」
「はい。メンタルセラピー……のようなものでしょうか?」
「そこ、疑問形なんだ」

 ゆっくりと身体を離して向き合う。
「では治療は以上です。お疲れさまでした、先生。お帰りの際は怪我などしないよう、十分気を付けてください」
「うん、ありがとうセナ。埋め合わせに、今度また会いに来るよ」
 そう言いながら先生は、車両のドアを開けて外に出ようとする。
 …………。
 「いえ、私から会いに行きます。楽しみで、待ちきれませんから」

 身体はまだ、暖かかった。

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