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音フェチ

自分が生活している中での生活音は様々で。

自分が出す音に今まであまり気が行かなかったような気がします。

例えば

お湯を沸かす音

何かの食べ物を袋から取り出す音。

コーヒーを淹れる音。

紙を切る音。

何か柔らかい食べ物を包丁で切る音。

木と木の器がぶつかる音。

衣服が擦れる音。
ぺんで何かを書く音
鉛筆を削る音

など

コーヒーの豆を挽く音は意識して聞いていた
気がします。もしくは
豆を挽く音を
振動を感じたいが為にわざわざコーヒー豆を
ゴリゴリと挽いている自分がいる。

最近このちょっとした生活音の中での
偶然出た音を見つけた時の喜び。
これに人間味を感じている時があります。

私だから出せる音。
あなただから出せる音

という風に思うようにしていっています。

こういうの横文字で何て言うんですかね。

ただ単にポジティブ思考か。

フェチ🟰フェティシズム

フランス語の「フェティッシュ(物神、呪物) 」から生じた言葉であり、ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度のこと

Wikipediaから

要はオタクみたいな感じかな。
違うか。
このココが好きやねん。
のココに集中するところ

ピアノで言うと私のピアノの好きな音は
あまり響きすぎないフラットな音

ギターなら
指が弦を擦る音とか

でも鉄のキーンとした音も

これは言い出したらキリがない。

オーケストラの演奏では
指揮者がいて
指揮者のテンポや動きで曲の表情が変わる

ピアニストやさまざまな楽器ののコンサートでも
そのピアニストやアーティストによって
その曲や楽器が
まるで別の曲のように雰囲気が変わる

ベートーヴェンが生きているその時に弾いた
「運命」は
どんな「運命」だっただろうか。
とか

バッハが生きているその時に弾いた
「G線上のアリア」は
どんなんだったのか
とか

今更ながら思う。

今は素晴らしい音響機器や技術で録音やデータとして残せるけど
あの人達が生きていた時代はそんなものはなく
生で聴いてなんぼの世界。

だからこそ
あの人たちは必死で自分達の何かしらの何かを
この世に残そうと懸命に生きていたんだろう。

こんな風に
何かに懸命に
生きていこう。

と思った
自分が実は音フェチと気付いたという報告でした。



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