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読書メモ「超一流になるのは才能か努力か?」

この本は、一般的な人の技能を天才的な領域まで引き上げる「限界的練習」について書かれた本です。

著者は、この「限界的練習」の概念はアスリートやパフォーマーが超一流の領域に達するために不可欠のものと主張していますが、それ以上にこの概念を「教育などのもっと一般的な人たちに影響を与える領域」に展開したときに真価が発揮される、と述べています。

僕もこの考え方には同意で、普通の人が効果的に学習をしたりスキルレベルを上げたりするために大切な概念だと思いますので、紹介します。

生まれか育ちか?

昔から「天才に関する研究」は積極的に行われてきました。天才を早い段階で発見する、あるいは天才を人為的に作り出すことで国力を高めるためです。
すでに1800年代にメンデルが遺伝学の基礎を築き上げており、天才の研究は遺伝学とともに進められることになります。

この分野では、天才になるために必要なのは「生まれ(先天的・遺伝的な優位性)」か「育ち(後天的な環境や訓練により獲得できるもの)」か、という議論が頻繁になされてきました。

かつては「人の能力は遺伝によって決まる」と信じられた時代があり、「優秀な遺伝子の組み合わせにより優秀な子が生まれる」という(悪名高い)優生学が生まれました。

最近の研究の傾向では、「生まれも育ちもどちらも重要」としながらも、「後天的に獲得できる身体的変化は、これまで考えられてきたよりもずっと大きい」と考えられているようです。

「遺伝だけで能力は決まらない」という論調になったのは、遺伝子工学の発展により「エピジェネティクス」と呼ばれる後天的な形質変化の仕組みが発見されたためです。
「クローン動物がオリジナルと似ても似つかない」という現象は、古来の「遺伝子は生き物の設計図である」という考えでは説明が付きませんが、このエピジェネティクスの作用であると言われています。

加えて、天才と呼ばれるようなレベルのアスリートやパフォーマーの共通項が「長時間の練習」であり、パフォーマンスのレベルと練習量に明確な相関が見られることが様々な研究から明らかにされました。
本書でも、著者は「才能とは訓練の質と量によりもたらされる」と主張しています。

有名な「1万時間の法則」

こうして「パフォーマンスのレベルと練習量の相関」にスポットライトが当たると、「どの分野でも一流になるためには1万時間の練習が必要である」という「1万時間の法則」がもてはやされるようになりました。

この法則はキャッチーで分かりやすく、「先天的な何かを持っていなくても、練習を重ねることでスキルを身につけることができる」ことを示唆していたため、学習者やスキル習得者たちにとって都合の良い法則だったわけです(逆に、いまの自分のスキルが一流でないのは単純に練習時間が足らないため、という言い訳にも使える)。

しかし、こうして単純化された「1万時間の法則」は片手落ちである、と著者は主張します。
なぜなら「なんとなくの練習」を1万時間続けたからといって、そのスキルは一流に近づくとは限らないからです。
一流のスキルを身につけるためには「効果的な練習を長時間継続すること」と著者は主張します。

この「効果的な練習」とは「能力を伸ばすことにフォーカスした特別な練習」であり、「deliberate practice(邦訳:限界的練習)」と呼ばれています。

限界的練習とは

上述の通り、限界的練習とは「能力を伸ばすことにフォーカスした特別な練習」であり、以下の要素を組み合わせて作ります。

練習自体に具体的な目標が設定されていること。
・目標はスモールステップに細分化するのが望ましい。
・また獲得したいスキルのある一面にフォーカスするのがよい。
・よい例「このフレーズをミスなく10回連続で弾く」
・悪い例「1時間、練習する」

集中して行うこと。
・達成のために意識を集中して練習すること。
・集中できるコンディションに気を配る必要がある。
・一流のアスリートやピアニストは、練習に過度に集中するため昼寝をよくする、という研究がある。

フィードバックをなるべく即座に受け取ること。
・正しくできたか、できなかったかをきちんと評価すること。
・フィードバックがなけば目標の達成度合いが分からず、練習の効果は激減する。

現在の能力をわずかに上回る課題を設定すること。
・コンフォートゾーンの外側に出て脳や体を負荷に晒す。
・限界ギリギリの力を発揮しないとクリアできない課題設定を行う。
・それまでにできなかったことに挑戦する。

上手にできるまで、同じことをひたすら反復すること。
・無理なくできるようになるまで何回も繰り返す。

例えばピアノの練習であれば以下のようになります。

通常の練習(限界的でない練習)
・ある曲を最初から最後まで弾く。
・フィードバックは特にない。
・上手に弾けたかどうかの評価を行わない。
・上手に弾けない部分はそのままにして、次に進む。

限界的練習
・ある曲の苦手な部分や上手に弾けない部分を割り出す。
・「なぜできないか」を考える。
・どのようにすれば苦手を克服できるか、より上手に弾けるかを考える。
・その部分を弾けるようになるまで繰り返し何度も練習する。
・それでも上手くいかなければやり方を変えて、再び繰り返す。
・評価やフィードバックの仕組みを作っておく(講師や録音など)。

基本的に限界的練習とは辛い作業であり、「もっと上手くやりたい」という強い内的なモチベーションがないと継続は難しいとされています。
ある一定以上継続できた場合、「能力の向上が目に見えてくるためモチベーションが強化される」という好循環に乗ることができます。

他分野への適用

このような練習方法はアスリートや音楽家など、特定の分野にしか適用できないと思われがちですが、僕はそうは思いません。

エンジニアとしての成長をテーマにブログ記事を執筆されている牛尾さんは、以下の記事で上司とのミーティングの内容を紹介されています。

どうやったら、すこしでもよりよくできるか考えてるんだ。それだけ。
もう、きみは僕の秘密をもう手に入れたよ。

https://note.com/simplearchitect/n/n7a3f52f93bd8

この「少しでも昨日より良くする」という考え方は限界的練習に通じるものです。

エンジニアとしてのスキル構築も、アスリートやパフォーマーたちのスキルアップと相違ありません。
自分自身の苦手分野を正しく認識し、どうすれば上達できるかを考えて1つ1つ改善を繰り返すことで、長期的に見ると大きな進歩が期待できるでしょう。

同様にして全ての学習やスキル習得に対して、何らかの応用ができると思います。

その先に天才の領域がある

こうして地道に毎日一歩一歩進んでいくとします。ですが、100歩や200歩進んだくらいでは平凡の枠を出ることはできません。

何年もの月日が流れて、それでもまだ研鑽を継続していたとき、その人は平凡の枠から外れて何千歩・何万歩も先に進んだところにいるでしょう。
その周りには自分以外に誰もいません。天才の領域・非凡の領域とはそういうところのようです。

多くの人がその領域にたどり着けないのは様々な理由があるでしょう。
ですが、その領域にたどり着けないからといって「限界的練習の考え方は全く役に立たない」というわけではありません

今自分がやっていることを少し見つめ直して、取り入れやすいところから取り入れてみてはいかがでしょうか。
この考え方にはその価値がある、と思ったので今回noteにしてみました。

この分野とその周辺の本を10冊くらい読んだので、また読書メモにまとめようと思います(今回ほどしっかりは書かないと思いますが)。

それではまた!

追記:能力を上げるための訓練の実例

(2023/8/24)
「能力を伸ばすことにフォーカスした特別な練習」のよい実例が記事になっていたので追記。
「一流の人の実力」と「現在の自分の実力」を比べてフィードバックを作り出して、自分に足りないところを分析するやり方は大きな効果を生む。これを繰り返すとすごいことになる(語彙ェ…)。


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