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究極の「ヨコ活」を経た限界オタクの末

2023.6.11 TOKYO ISLAND

私はとんでもない人を大好きなんだな
と思ったし、
もう軽率に大好きとか言ったらあかんのかも
とも思った。

"混乱と洗練の間にある様々なアンサンブルが響いて、とても贅沢な時間だった。"

2023.6.11 鹿野敦氏 Twitter

終演後に鹿野さんが放ったこの言葉が異常に刺さったのは、本来意図するであろう意味合いではなく、自分自身が混乱していたからだ。私の精神的とっ散らかりを他所に、洗練された様々なタイプの音がからみ合い見事なアンサンブルとなり、ヨコタさんがおっしゃる「音楽の塊」となって私の頭の上に落っこちてきた。この脳天直下はちょっと想定してなかった。茫然自失とはよく言ったもので、気を抜くとズボっと足が沈んでいく、まだ地盤が定まらない海の森公園のぬかるみに、私は何度もズブズブとハマった。もっと長い長靴を履いてくれば良かった。

エレピという単語すら出てこない知識のなさ。それでも全集中して聴き取りたい気持ちがあった。外的要因を排除するように目をつむり、可能な限り耳をすませた。ひとつひとつの音を聴き分けながらライブを堪能することがほとんどない生粋のワチャ系だけど、こうして挑戦してみるのは良い機会になったかも。けれど最終的には音楽の力に煽られて、さっきまでの必死な気持ちはいつの間にか消えていた。

ヨコタさんのピアノが聴けるかもしれない。その可能性があるとき、自分が期待してしまうのは、音出しと称した即興が聴けるかもしれないこと。どんな旋律だったか、あとあと説明できる能力はないが、予定調和ではない、恐らく二度と聴けないことが、自分を動かす原動力になる。どんなライブだって、同じ日はないけどね。この日は、元々の予定を終えてから、急いで海の森公園へ向かった。もっと長い長靴でなかったのは、いわゆる市街地へ、それを履いたまま寄り道する勇気がなかったからだ。

サポートだと聞いてたのに、どこか主役みたいに聴こえたのは、てっきりいつもの贔屓耳か色惚けだと思ってたけど、どうやらそうでもなかったみたい。聴けるかもしれない、その可能性に賭けて良かった。欲してやまない音が聴けただけでも充分なのに、ポラリスのあのアレンジ。いずれの楽曲も、あの場でしか聴くことができないのが本当にもったいない。広域に晒してくれないかな。。

この後しばらく原曲を聴いてた。ヨコタさんの解説の通り、原曲に忠実なアレンジ。これを聴けば、あの日の雰囲気が少し想像できるかもしれない。印象的なイントロのために、2台の機材を準備したのかな。ピアノでもオルガンでもない優しい音、なんて抽象的にしか書けなかったけど、その中にも芯があって凛とした熱量があった。ヨコタさんの具体的な解説のおかげで断片的な記憶がつながり、蘇るのが嬉しい。

曲が展開していくにつれ、バクバクと心拍数が上がった。ワクワクするとかドキドキするとか小学生みたいな擬態語しか出てこないが、これが一番適切な感覚。音を聴き取ろうとする理性は吹き飛んだ。

音楽的な要素とは関係のない部分で印象的だったのが田邊さんが「ヨコタ」と呼ぶ瞬間だった。

ヨコタさんのコラムはいつも「どうもヨコタです。」から始まる。これは元々のコラムが始まった2014年からずっと同じ。ご自身がそう語るお名前が大好きだし、リスペクトありきの距離感を込めて、私は意図的に「ヨコタ」もしくは「ヨコタさん」と呼ぶ。ただ大好きなだけの1リスナーには、それが精一杯。

仲の良い友達だけでなく、仮に恋人や家族であっても時間や段階を経て、呼び方は変わったりするものだが、田邊さんが呼ぶ「ヨコタ」から、互いの距離感とその関係性が垣間見えた。それがとても心地よかった。そんな風に感じたのが自分だけだったとしても。

この曲の2Aメロがしっくりくる。

***

ヨコタさんのコラムが復活して50回目を迎えたとき50回目の感想を書き終え、ちょうどキリもいいし、ここで卒業しようと思った。おおむね隔週の金曜日に更新されると、土日をかけてじっくり考える。ああでもないこうでもない、何度も何度も書いては消して書いては消した。思いがまとまらず重くなり長くなり、どうにか最低限まで短くしても、ああやっぱり書かなければ良かった、やっぱり消そう、てかもう消えたいの繰り返し。念願のコラムの復活が嬉しすぎて、この2年間はしゃぎ続けた。もっと軽やかであれと思う。いろんな人の目に触れる場所で、自分の気持ちだけを優先させ、わざわざ露わにするのはいかがなものか。結果的にご迷惑をかけているんじゃないか?

「好きを伝えるのはもっと自分勝手で良い」
そう言ってくださる方だからこそ、ちゃんとしたい。なんでもいいわけがない。本心からそう思うのなら、今すぐやめればいいだけ。

にも関わらず51回目にして、その決断はあっさり崩れた。いくらなんでも意志弱すぎ。なにやってんだよ…もうしません。本当にごめんなさい…😭

ヨコタさんの魅力は、今までも思い浮かぶままに書いたりした。誇張せず、感じた通りに正しく表現できているか。自分で自分を客観的に校正する。魅力はこれだけじゃない。書き残せていない瞬間もまだまだたくさんあるし、むしろ知らないことだらけだ。

シャキーン×2、コンテンツHolic、アレンジレンジ、めをとじ、TOKYO ISLANDブルエンサポートkey等、おひとりでのご活躍、通称「ヨコ活」もさることながら、ハマスカ放送部、音楽爆弾、ラヴィット!からも、ヨコタさんの魅力をたくさん感じることができた。大好きな人の活躍が嬉しくないわけがない。それだけじゃなく、その魅力を生かしたような内容が多くて尚さら嬉しい。ここぞ!という時に、ご自分の魅力を最大限に発揮できるのは、誰もができることではない。それを才能とか天才とか、無責任な言葉で片付けたくない。どの分野も、探究の積み重ねがあってこそ成立する。当然といえば当然の抜擢だと思う。

漠然と思い描いていた願望が、自分は何一つ努力することもなく、ただ傍観しているだけで、想像し得ないさまざまな形で叶っていく。

もう軽率に大好きとか言ったらあかんのかも
と思ったのは、
いつもそばにいてくれるような錯覚すら覚える
けれど、
そう易々とは届かない絶妙な距離感
を察したから。

そんなに軽々しく、かっこいいとか、大好きだとか、伝えてもいい立場の人ではないんじゃないか。どこか極限に達したような気分だった。

その上でまたどえらい言葉をさらりと投げてきたりする。記念日にしか愛を伝えることのできないパートナーにはなりたくないから??そんなフレーズどうして思いつくん??こちとらしばらく息ができなかったですよ??殺す気ですか。。(大好きです。。)

いつになったら、この気持ちは落ち着くんだろう。

あえて言及しないことは、配慮であり優しさだと思う自分にとって「ダメだとは言わずスルーする」ことには共感しかなく「自分が本当に良いと思うものにしか良いと言」わないことも大好きだし、大好きだからと言って寄せるつもりなく、自分もそうありたい姿勢であることが、恐れ多くも嬉しくて嬉しくて…

変わったり変わらなかったり変われなかったりまだずっともがいてる姿を、私は少し離れたところから眺めているだけで、何もできないし、何かしようとも思わないし、いつまで経ってもただ一方的に大好きなだけなのは、その姿を眺めていられることが幸せだから。そんな今が大切だから。

本当の自分ってなんだろな?
大人だったら どうだろうね?
気分で探したいからほっといて

迷えば尊し/新しい学校のリーダーズ

物理的には相当な大人なんだろうけど、本当の自分なんて、相変わらずよく分からんし、自分の青春を具体的に認識して生きてこなかった。でも、

溢れ出す この感情 終わらない 道の先
迷えど進むこそが青春

迷えば尊し/新しい学校のリーダーズ

そういうことなのかなと、ぼんやり思った。

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