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irreversible 一息

ご縁ありアラビック書道体験を。
写真は右から左に読んで私の名前。
(もちろん先生が書いてくださった見本)

全く文化価値観の異なる遠い国に書という共通の文化がある。

先生が貸してくださったお手製の筆は竹製だけれど、現地では気候的に竹は育たないので葦でできているらしい。

一見ただ竹を斜めに切っただけのようなこの筆がなんとも表情豊かに柔らかい線を表現できることに驚く。

一神教で、全ての考え、根本がアッラーに帰依するアラブ諸国では、書にも完璧を求めるので、
うまく書けなかった線は後から重ねて修正し、紙にはねた墨は後から綺麗に削りとるらしい。
(もともと卵の白身を塗ったツルツルの紙に書くものらしい)
さらに空白がさみしいので各文字毎に「飾り」と言われる装飾を施す。

余白や行間や、不完全で未完了こその完全さを尊ぶ日本の美意識とまるで対極だ。

知り合いの書家が、書とは一息の美であると、油絵などと違ってやり直しが効かない一息の芸だと話してくれたことがある。
さらには、書はまるで氷上のフィギュアスケートのようだと。紙上に生まれる、偶然、ハプニングを含めてのトメ、ハネ、ハライ、カスレがなす刹那的なあらゆる表現なのだ、とも言っていた。

小学校の時書道で、“ハライ”ぐあいが気に入らなくてが、重ねてやり直すとバレバレで、
最初っからやり直し、
というまどろっこしさと偶然美の瞬間や快感を思い出す。

ただその一瞬一瞬のために膨大な年月を積み重ねてなされる表現のはかなさと強さは胸を揺さぶる。
やり直しがきかない、そこにある空気をも味方につけて自分という存在を在り方を生き様を表現する姿に魅かれる。
スポーツや音楽、舞台やダンスはだからこそ胸を打つ。

が、つまりは、今この瞬間の自分の眼差しが、表情が、言葉が、手の動き一つが、
その瞬間瞬間で取り返しのきかない、
その次の瞬間にはもう過去へと流れてしまう、これまで生きた年月があるからこそなる表現でありメッセージと言えまいか。

としたら、少々のアクシデントやハプニングでこの想いや感情を止めてしまうことは、
自分を表現すること、自分を生きることを諦めることにならないか。

そんなのは嫌だ、
とアンパンマンも歌っている(?笑)。

かっこ悪くても、
傷つくことと自分を生きないこと、
ではなく、
を選べる自分でありたい。

#不完全の美 #未完了の美 #calligraphy #書道 #アラブ #自分を表現する #自分を生きる #ひばな

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