小説 園 第四話

ツカツカと革靴の音が近づいて来て、すぐに店長だと分かった。半年も同じテリトリーで過ごすとそれが誰の足音か判別できるようになる。動き回る仕事だというのに、肩書きが足元をおかたくしていて可哀想でもありかっこよくもあった。

「大野さん内示。町田店」

そっと静かに店長はそう言った。一瞬動揺して、整理するのに二秒かかった。店長は残念そうでもあり、言い慣れている様子でもあった。この会社は異動が頻繁にある会社だった。早い人で半年程、同じ店に二年以上いれば長い方だった。僕は入社して伊勢原店に一年半在籍したことになるので、割と平均的な期間だったかもしれない。ただ僕よりも長くいる社員も二人いたので、次は彼らなのだろうと勝手に予想していた。実際のところは、その辺の内情は人事部しか知らなかった。

「ちょっと大野くんがいなくなると困るんだけど!」
同じインテリアグループのパートの鹿山さんが異動の噂をすぐに聞きつけて、慌てた様子で言った。このエデン伊勢原店は噂の流布スピードが異様に早かった。おそらく事務の田崎さんがあらゆる小さな情報を拾っては拡散している。彼女はこのお店のスピーカーだった。
鹿山さんは50代の女性で見た目以上に内面が若かった。入社したての頃、公休日の鹿山さんが夕飯のおでんを作りすぎたと言って、わざわざお店まで来て、遅番の僕に持ってきたことがあった。鹿山さんには子供がいると聞いていたので、周りに変な目で見られるのを恐れながらこそこそ貰ったことがあった。今思うとそのこそこそしている様子が逆に生々しかった。後になってそのことを話すと、何言ってんのよと笑われ、ただ一人暮らしの僕に同情してくれていただけだった。後日飲み会の席で、前の旦那さんと離婚して、次の旦那さんと死別したのだと聞いて驚いた。強くて優しい女性だった。

伊勢原店の従業員達は皆、個性的であり、完璧な人間はどこにもいなかったように思う。しかしそれは人間味があって魅力的だとも思った。僕は職場の人間関係が好きだった。より彼らの個性を観察できて、組織全体で補完し合い、バランスを保っていることを感じられるからなのかもしれない。

「えー、一年半大変お世話になりました。新入社員として伊勢原店で勤務してまいりましたので、社会人としての第一歩がこのお店であるという事実はこの先一生変わりません。これから伊勢原店産の大野として頑張っていきます。ありがとうございました」

「おお〜大野くん、いい挨拶できんじゃーん」

パチパチと優しい拍手と、挨拶に対する評価が聞こえる。行けば会えるという関係性があっという間に消滅する。学生時代に学校に行けば会えたクラスメイトがいたような感覚を思い出す。そしてそれが失われた寂しさを思い出す。
明日から会おうと言わないと会えない人たちなのだと思うと、大きな喪失感が僕を襲った。人はこれを繰り返している。原始人の頃から人類は弔いを知っていたと言われている。きっと喪失という感情は本能に近い。その喪失と共に生きている人類は、その事実だけで強く生きていると僕は思った。

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