小説 園 第六話

真辺さんの穏やかで逞しい背中についていく。園芸担当の仕事は植物への水やりから始まる。
「大野さん、そもそもね、どうして植物に水が必要だかご存じですか?」
「水はね、光合成に使われるんですよ。水と二酸化炭素を原料に炭水化物を作って、酸素を放出するんです。なかなかやりますよね」
真辺さんは僕の答えを聞く間もなく答えた。ホースリールからホースを伸ばして、ポットの苗にまんべんなく水を撒いている。
「水はね切らしてもいけないし、あげすぎてもいけないんですよ。あげすぎるとね、根腐れしちゃうんです。根が腐ってしまっては、酸素も養分も吸収できやしない。根という器官がいかに大事かが分かるでしょう。重要な器官が正しく機能するように管理することは、基本であり、とても大事なんですよ」
真辺さんはそう言いながら、僕と植物と両方と会話しながら水を撒いた。
「なるほど、ということは、根に役割があるように、茎や葉にも役割があるということですね。それらにも正しく仕事が出来ているか、気を配らないといけないということですね」
「大野さん、大正解」
真辺さんは皺のある顔をさらにしわくちゃにして笑った。僕は人間の皺を見て初めて美しいと感じた。その皺には真辺さんの過去が集約しているようだった。すぐに真辺さんなら信用できると思った。

「茎は水や養分を運ぶ管が通っているし、葉っぱもとても重要です。光合成を行う場所ですからね。だから当たり前のように、日の当たる所に置かなければなりませんよ」
「それと、葉っぱには気孔という孔がありましてね。そこから水蒸気を放出することで体温を調節してるんです。気温が高いときや乾燥しているときはこれが活発になります。その分根の吸水力が上がるので、水やりの量が増えるわけです」
真辺さんは分かりやすく丁寧に教えてくれた。それから、みっちりと水やりや、花がら摘み、剪定や、施肥などの園芸担当としての知識を話してくれた。
「そうだ大野さん、何かひとつ種から育ててみたらいいですよ」
「そうですね、勉強にもなりますし、何がいいですかね?」
「大野さん、君は太陽と月、どっちが好きかい?」
「そうですね、、月ですね」
「じゃあ向日葵だね。小さな向日葵なんてどうかね。これからの時期にぴったりだよ」
「それとね、花言葉ってあるでしょう。あんなものね、自分で付けたらいいんですよ。大野さんの宿題だね」
向日葵なら太陽のような気がしたが、太陽と答えていたら真辺さんはどんな植物を勧めてくれたのか気になった。誰かのつけた花言葉を無視して自分の言葉をつけるのは何とも詩人的な発想だった。真辺さんはこうやって、動的な発想で人生を楽しんでいるのだと分かって憧れた。先入観を捨てたいが、先人の発想と被るのは何だか気が引けて向日葵の花言葉を調べると、小さな向日葵には「あなたを見つめる」「傲慢」「崇拝」「献身」があった。僕はこれからミニひまわりと向き合っていく中でどんな言葉をつけるか楽しみだった。僕はミニひまわりの種を買い、植えることにした。

自分の店で、植木鉢と鉢底ネット、鉢底石、培養土、肥料、そしてミニひまわりの種を買った。
帰宅後すぐにそれらを開封し、鉢の中に鉢底ネットを敷き、鉢底石を入れた。真辺さんに聞くと排水性と通気性を保つらしい。いい土にすることで植物はやはりよく育つのだ。僕はふと自分にとっての土を想像した。種が芽吹く前、僕が生まれる前に僕を取り囲んでいたもの。それは親であり国であり、この世界なのだろうか。土で運命が決められてしまうのは少し嫌だった。誰にも管理されていない土に生えた植物もいる。青々としていて、綺麗な緑色をしていて、綺麗に咲いている。
余計なことを考えて、今度真辺さんに会ったら聞いてみようと思った。ミニひまわりの種を植えて、久しぶりに感じた土の匂いとその汚れが懐かしくて、その手をしばらくそのままにした。

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