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15羽「7カ国目・タイ・Thailand」

タイはバンコクのカオサンロード。

バックパッカーなら必ず一度は立ち寄る、安宿と屋台と飲み屋の集まる活気のある通り。

日本を出てちょうど2ヵ月が経とうとしていた。これまで訪れたどこの町より、熱気に満ち溢れていた。

バックパッカーならカオサンロードを知らない者はいない!というほど有名らしいのだけど、恥ずかしながら僕はまったく存じ上げなかった。(いつかのnoteに書いたけど、僕は80冊もの本をもってきておきながらガイドブックは1冊ももってなかった。)カンボジアから一緒にタイに行くことになったグループの中にタイに詳しい人がいて、カオサンは安いしバックパッカーが集まってるからおもしろい、と言われてついていっただけだった。

<カオサンのラーメン屋台>

<名物、10バーツラーメン。1バーツ3円だから30円ラーメン。>


しかしなによりまず、僕は「バックパッカー」という言葉も知らなかった。バックパッカーが集まってるからおもしろい?サーカスみたいな芸人たちのことか?と思いながら僕はついていっていた。

「バックパック」というのは当然リュックのことだけど、僕はまずバックパックとリュックサックの区別がついていなかった。背負ってかつぐ鞄、それは万物みなすべて「リュックサック」と覚えていた。しかし長期旅行で使うようなでかいリュックは主に「バックパック」という名称に分類されるらしく、それをかついで旅行する者を「バックパッカー」というらしかった。略して「バッパー」とも言うらしかった。そんなの全然知らなかった。2か月も旅行してたのに。

僕が「バックパッカー」と呼ばれる人種であることを知ったのは、バンコクにあるインド大使館で起こった小さな事件がきっかけだ。

タイのあとはインドへ行くことにしていたけど、僕はまだインドビザを取得していなかった。「タイのバンコクでも取れるらしいよ」という人づての情報だけを頼りに、僕はバンコクのインド大使館のピンポンを押した。

必要事項を記入した紙を提出し、受付で軽い面接みたいなものがはじまった。

「あなたはバックパッカーなのね?」

世間話レベルの大使館員の確認の言葉に、僕は「は?」と答えた。これがまずかった。

あきらかにバックパックをかついできてるのに、「は?」と言われる。だれだっていい気分はしないでしょう。見下されてるように感じられたかもしれない。「今日はいい天気ね。」「は?」というくらいありえない回答だ。誰だってイラっとするだろう。つまり僕は(みためは善良そうな)インド人大使館員さんをちょっと怒らせてしまった。

「あなたはバックパッカーなのね?」

「は?え、なに?」

「バックパッカーでインドへ行くんでしょ?」

「(バックパッカー?ビジネスマンかなにかか?)え、いや、ちがいます。観光ですよ。」

「え?いやだからバックパッカーで観光でインド行くんでしょ?」

「は?」

「は?あなた話し聞いてます?」

「なに言ってんのかちょっとよくわかんない」

「なんでわかんないのよ!」

当時はまだ無名だったサンドイッチマンみたいなことになりながら、大使館がちょっとざわつきだした。僕の受け答えがまぁふらふらしたもので「は?」とか「えーと?」しか言えなかったから、終いには受付の人が「部長!こいつにビザだしていーんすか?」みたいなことを上司に確認しだしてしまった。

これはまずい。なにがまずかったのかさっぱりわからんが、これはまずい!ということだけははっきりわかった。そして僕はようやくまずはじめに聞くべき質問をした。

「バックパッカーって、なに?」

「は?」

攻守交代だ。

「だからバックパッカーって、なんですか?プリーズテルミー。」
僕は小動物のような顔をして言った。

「は?バックパッカーはバックパッカーでしょ。なに言ってるの?いまのあなたのことよ。」
僕は珍獣を見るような目でみつめられた。

「あのですね、ぼくは日本人の学生です。バックパッカーって、職業かなにかですか?」

「は?いや、えーと、あなたのかついでるそれは?」

「ディス イズ リュックサック。」

「は? あー、あー!!あなたバックパック知らないの!あはははははははHAHAHAHAHAHAHAHAHA!キディング!」

こうしてインド大使館の受付で小さな爆笑が起きたのち5日後、僕は無事インドへのビザをゲットした。そして僕は自分がバックパッカーであることを知った。日本を出て2ヵ月。何人もの日本人旅行者に会ってきたのに、僕はバンコクのインド人にバックパックという言葉を教えてもらった。インド大使館からの帰り道。夕暮れに吹く風はどこか悲しげだった。


僕がタイにいたのは、一週間も満たなかった。

タイはいつでも来れるし、それよりインドとか南米とか中々行けないところに時間を使いたい。という理由で、僕はインドビザを取るためだけにタイにきていた。

バンコクから一度も出ず、インド大使館へ行くほかは、日本から送ってもらった荷物を受け取りに中央郵便局にいったり、あとはカオサンロードをふらふら歩いたりしただけだった。お金もなかったのでお姉ちゃんのいる店にも行かなかった。

観光という観光はほとんどしなかったけど、その代わりバンコクで生活する人の視点からこの町を楽しむことができた。

夕方の帰宅ラッシュは想像を絶する混雑で、バスもタクシーも本当にまったく動けなくなる。二度目のインド大使館からの帰り、僕は用水路を走る水上バスをつかった。水上バスといってもイタリア・ヴェネチアのヴァレポみたいにおしゃれにチンタラ走るものではなく、狭い用水路を全力疾走。古いエンジンを唸らせながら大量の水しぶきをあげて走るので、両脇には青い縞模様のブルーシートで浸水を防いでいる。屋根の高さは橋をくぐれるギリギリの設計になっており、ぶつからないかヒヤヒヤするほど橋の下スレスレをすり抜けた。

あとはお腹を壊したばかりなのに、懲りずにまた屋台ものに手をだしたり

そこらじゅうでやりまくってるノラ猫たちを眺めたり

イタリア・ヴェネチアのヴァレポみたいにおしゃれにチンタラ走る水上バスに乗って、バンコクをあてどもなくふらふら歩いた。


いつでも来れる、と思いながら、10年経ってもいまだにタイへ足を踏み入れてはいない。

よく行く場所のことを「(どこどこ)に呼ばれる」なんていったりするけど、そういう意味で言えば僕はタイにまったく呼ばれることがなかった。

縁のある場所もあれば、縁のない場所もある。
僕にとってタイ・バンコクは、好きだけど縁のない町だった。

どこかに行きたいけど、どこに行きたいとかはない。

という日がいつか来たら、僕はタイに行こう。

縁のないやつと話すほうが楽なときがあるように、タイは僕を楽にさせてくれる場所なんだろう。

いまはそんな風に思っています。

つづく

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