2羽 「16歳のキャプテン・クック」

オーストラリアはケアンズ。
名古屋からほとんど真南に飛び、パプアニューギニア島も超えて約6時間。

網タイツをはいたでかい魚のオカマがいると設定されるような島も通り越すくらいの距離なのに、時差はたったの1時間。

煮てよし!焼いてよし!でもたたくのはわさびが染みるからイヤ!というオカマ魚類「タンノくん」は幼いころの私にはトラウマでしかなかったが、そんな変鯛がいる(と想像される)島よりもっと遠いところにいるなんて。
16歳の私には、本当に信じられないことだった。(え?なに言ってるかわからない?おいおい、南国少年パプワくんを知らないなんて、冗談だろ。これだからゆとりは。)

こんなところに来ることになった理由は単純明快。四文字で説明できる。 「家族旅行」、「レジャー」そしてその要因たるは「汚名返上」、「成績上昇」、つまりは「先行投資」に足る「期待の星」になることができたからである。「やっぱり」四文字じゃ全然足りなかったので、順を追って説明しよう。「以下詳細」。

前回書いた通り盛大に受験に失敗した私は、名前を書いてお金を払えば大抵の子どもを受け入れてくれる高等学校に入学。しかし受験でなんの成果もだせなかった下等な私でも、なんとも思わなかったわけではない。頭は間違いなくポンコツだったが、心の中で両親に「めんぼくねぇ・・・」と涙するくらいの気持ちはありました。

ここは進学校でもないし、こんな自分でも心を入れ替えたらそれなりに成績を上げられるかもしれない!そう思い、同じクラスの童貞たちが「何組のどの子がかわいい」とささやき合い発情しまくる中、授業初日から一点集中。ミニスカートなんてただの布。膝丈までの布すら用意できん女共に用はない!そう思いこんだ私の眼は黒板とノートを往復するためだけに動き、耳の鼓膜は教師の言葉によってのみ震われた。「童貞卒業より首席卒業!」そんな極端なことを自分に言い聞かせてたら、なんと速効、最初の中間テストで簡単に1番が取れた。

あんなに出来の悪かったポンコツ息子が!と父母は驚愕したに違いない。そのまま16歳になってもある程度の好成績と童貞を維持した私は、「これなら外国に連れてってやるくらいの価値はあるかもしれない。」と父に思ってもらえたのでしょう。あらゆる苦難を乗り越えこの地にたどりついたクック船長のように、チラリズムの荒波を乗り越え誘惑に打ち勝った私は、そういうわけで高校一年の冬。晴れてケアンズの地に降り立つことができたのであります。めでたしめでたし。

そうして苦難(?)の果てに訪れたはじめてのオーストラリアは、まるでピーター・パンのネバーランド。夢のような景色が広がっていた。

スズメか!というくらい日常的にそこら辺を飛ぶ極彩色のインコたち。道路沿いをピョンピョコ走り回る、腹にポケットをこさえた馬とうさぎを足して2で割ったような顔の哺乳類。海に潜れば見たこともない巨大な貝、サンゴの森、そしてオカマ魚類に負けず劣らずのブサイク魚ナポレオンフィッシュ。目に映るすべてが新しく鮮やか、文字通り「新鮮」な世界そのものだった。

「大人になんてなるな。罠だから。」

というピーターパンの言葉を聞き入れる必要もないほど、ケアンズ滞在中の5日間、私は童心に帰り続けた。

「現実をみる」というものが大人が持つべき視点のひとつであるならば、このときの私はよくも悪くも、まったく大人になんてなれなかった。実際大人じゃなかったし。

洋箪笥へ隠れた先に迷い込んだ世界にいるような、青タヌキの四次元ポケットから馬うさぎのポケットを抜けてたどり着いたような。初めて訪れた異国に広がる景色を、私は現実とは違うある種の「空想世界」のように捉え、感じていました。

思い込みというのは恐ろしいもので、思い込んでいる本人はそのことに絶対に気付けない。生涯新しい世界を見続けてきたクック船長だってそう。彼がもし「カンガルー」という言葉の思い込みに気付いていれば、とある映画で物事を正しい順序で伝える重要性の皮肉として使われることはなかったかもしれない。たしかこんな皮肉だ。

なぜそんなまわりくどいことをする?!貴様状況がわかっとるのか??もたもたしてたら攻撃されるかもしれんのだぞ?!はやくあのタコみたいな宇宙人共の目的を聞き出せ!パパっとこっちの話しを伝えて、さっさと答えを聞け!

「カンガルー」

「はぁ?!」

あなた「カンガルー」って知ってる?はじめてカンガルーをみたフックだかクックだかそんな名前の西洋人が、英語で「あれはなんて動物?」って聞いたの。現地の人は当然現地の言葉で「ちょっと何言ってるかわかんないです」って答えたら、それが名前だと勘違いしちゃったの。それが「カンガルー」なの。これがどういうことかわかる?サンドの富沢さんもオーストラリアで「カンガルー」って言ったら現地語でネタができちゃうの。そんなうそみたいなことになっちゃったの。それくらいバカらしい間違いが起こりうるの。彼らは網タイツオカマ魚類の「タンノくん」みたいにわけのわからない生命体だけど、彼?彼女?よくわかんないけどあの変鯛(ヘンタイ)と違って言葉は話せないの。だからちゃんと順序立ててコミュニケーションをとらないといけないの。なに?タンノくんも知らない?お前もパプワくん見てねーのか!セプタポッドどころかタンノくんのことも知らなかったくせにでかい口叩いてんじゃないわよこのクサレ軍人が!的なやりとりのシーンに使われることはなかったかもしれない。クック氏が思い込みに気付けていれば。
(お菓子の「ばかうけ」みたいな宇宙船が表紙の映画「メッセージ」より抜粋。)

そんなジェームズ・クックと同様、16歳の私はこのケアンズで出会う景色をどこか空想世界のように「思い込んだ」まま、4日の時を過ごしました。

それは間違いなく幸福で楽しい時間だったけれど、夢のような時間は夢が覚めたら終わってしまう。自己完結で終わるものは、人の心の箪笥の中に仕舞われて永遠に大切にされるかもしれないが、なにかしらの「未来」に発展することはない。箪笥の先に世界があったとしても、空想はあくまで空想。現実の未来にはつながらない。

もしこの思い込みが解けないまま日本に帰っていたら、この宿はなかったかもしれない。思い込みは自分で解くことはできない。しかしいまこの宿はある。つまりあるとき、私の思い込みは解かれた。突然に。思いもよらず。

それは最終日の、明日は日本に帰るという夕暮れ。私たち家族は町を抜け、海岸に出て防波堤の上をのんびり歩いていました。記憶の中のケアンズの海は、夕陽で輝いてはいなかった。たぶん陽は町の裏山の向こうに沈んでいて、私は防波堤の上から、だんだんと日が落ちるにつれ青さを増していく海を眺めていた。南半球の強い日差しで火照った体が、夕暮れの海風で心地よく冷まされていくのを感じていた、そんなとき。となりにいた父か母のどちらかが、ガイドブック片手に水平線を指して言いました。

「えーと、たぶんこの先が、日本だよ。」

その言葉を聞いて、それまで私がみつめていた「何もない水平線」の向こうに、これまで生きてきた確かな現実。日本がみえた。

「この海の先に、日本がある。」

そう気づいた瞬間、私は一気に現実に引き戻された。

ここはネバーランドじゃない。あの動物のポケットも四次元じゃない。フックもクックも名前はジェームズ。だけどフックは夢、クックは現実。
この夢のような場所は現実で、このケアンズと日本は水平線の先で確かにつながっている。グレートバリアリーフは三河湾にもつながってるし、ハイスクールの横を流れる矢作川にもつながっている。日本だけじゃない。ピラミッドにも、氷河にも、泥の城にも、ピラニアうごめくアマゾンにも。日本に戻ったって、それは変わらない。いつも歩いている河川敷の足元に流れる川は、氷河にもアマゾンにもつながってる。
私は現実に、この海の先につながる場所へ、その気になればどこへだって行ける。

それは「あの峯の向こうに、見たこともない島が浮いてるんだ!」と心躍らせる、スラッグ渓谷で働く見習い機械工の少年のような。
「なんに縛られるでもなく、僕らはどこへでも行ける。」と日本のロックバンドが唄うのはこの2年後だけど、そう大声で唄いたくなるような。
目の前に一生開け切ることができないほどたくさんの宝箱が、一瞬で現れたような。胸の高鳴りを抑えられない。そんな気分だった。

そのとき私ははじめて、自分が進みたいと思う道に明かりが灯されたような、そしてその先にうっすら、でも確かにみえる目標のようなものが見えたように感じました。
ケアンズの海岸の水平線の向こうに、日本をみつめた瞬間に。

それが、この宿が生まれたはじまりの種。
いまはそう思っています。

「大人になんてなるな。罠だから。」

それが事実かどうかは知らないが、このとき蒔かれた種という“感情”をいまも後生大事に持ち続けている私は、もしかしたらいまだに大人になんてなれていないのかもしれない。

39歳にもなって「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか、人間が行ける果てまで私は行きたい。」と書き記し航海し続けた英国人も、ひょっとしたらピーターパンだったのかもしれない。

そして16歳の私は間違いなくピーターパンであり、キャプテンクックだった。

「見たことのないものを、見に行きたい。」

その思いはこの先の進路に多大な影響を与え、そして5年後、私は世界一周の旅に出た。

そのはなしは5年後。じゃなくて、また来週。


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