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13羽「6カ国目・カンボジア・Cambodia2」

首都プノンペンを経由し、シェムリアップへ。

高校の世界史資料集でみた世界遺産への憧れが、旅することの大きな原動力のひとつとなっていた僕にとって、アンコール遺跡群はずっと楽しみにしていた場所だった。

チケットは1日券、3日券、7日券とあり、迷わず60ドルを支払い7日券を買った。(いまは72ドルするらしい。)

カンボジア、特に首都プノンペンや観光都市のシェムリアップでは、観光系の店や外国人向けレストランはドル払い、屋台やマーケットなどのローカルな場所では「リエル」というカンボジア通貨での支払いになる。

ややこしいと不平をいう人も多いようだけど、僕はひとつの国でふたつの貨幣が成り立つ社会の仕組みがとてもおもしろかった。ドルで支払ったのにお釣りがリエルでくる。でもその逆はほとんどない。これだけドルに支配されてたら、そのうちリエルの存在価値はなくなってしまうんじゃないかなぁ、と思っていたけれど、10年経ったいまでも地元民の社会の中でしっかりと役に立っているようだ。

いまだに電子マネーになじめず切符を買って電車に乗っている身としては、このリエルの存在はなんだかうれしく思える。僕はお釣りでくるリエルが好きだった。自分の存在価値なんてなにも見つからなかった当時の僕にとって(いまもだけど)、圧倒的多数を占める強大なドル社会の中で小さいながらも人々の暮らしの中で確かに役に立っているリエルは、僕の手の中でじんわりとした温もりと、消えそうで消えない淡い光を放っていた。いまだに消えずにいてくれていることを、ただうれしく思う。(他国の貨幣にまで親近感を抱くなんて僕はどれだけお金が好きなんだろう。)

チケット販売所で渡されたアンコール遺跡群のマップには、各遺跡のほかに「サンライズポイント」と「サンセットポイント」が載っていた。
遺跡内には朝焼けと夕暮れが特にきれいにみえる場所がいくつかあり、7日間もあちこち見て回っていた僕は、最後の方は夕陽をみるためだけに遺跡にいったりしていた。なんともぜいたくなことだ。

ほとんどの観光客は夕暮れが完全に終わる前にぞろぞろと帰ったけど(たぶんバスをチャーターしたりしてるんだろう)、僕は完全に陽が暮れるまで丘でぼーっと空を眺め続けた。僕を丘まで送ってくれた宿専属のバイタクの兄ちゃんが帰りも宿まで送るつもりでいたのに僕がちっとも戻ってこないから、混雑にまぎれて他のバイタクで勝手に宿に帰ったんだろうと思い、ひとりで宿に帰ったら僕はまだ帰っていないと知り、あわてて丘に戻って丘の上にまで見に来てくれた。そんな経緯を知りもしない僕は彼の姿をみて第一声、「おいおい、もう夕日終わったよ。」と言ってしまった。彼が絶句したのは言うまでもない。たとえ日本語がしゃべれたとしても、彼はなにも言えなかっただろう。いや、「終わってるのはお前のあたまだ!陽が沈んだら、帰れ!どんだけ心配したと思ってる!」くらい言われてたかもしれない。どうだったかな、よく覚えてない。だんだん言われたような気がしてきた。

地方の町では18時になると帰宅放送が流れる。どこにいたって聞こえる放送を無視して、いつまで経っても帰ってこない小学生の僕に両親はいくどとなくこれと似たような言葉をかけた。時が経ち、僕は大学生になり、同じような言葉をカンボジア人から言われることになった。両親からかけられるべき言葉を、赤の他人中の他人である他国の見ず知らずの人間に言われる。これも成長の一種と言えなくもない。だって僕が成長していないと仮定するなら、カンボジア人ではなくいまだに両親から言われているという理屈になるじゃないか(たぶん、なる)。前進してるのか後進してるのかはよくわからないけど、僕はまちがいなく進んではいた。つまりは成長していた。そういうことにしておいてほしい。

言い訳をいわせてもらえば、夜の遺跡ほど神秘的なものはない。

真っ暗な闇の中にうっすらと浮かぶ遺跡の影は、僕をとても不思議な気持ちにさせた。日中照りつける太陽の光で火照ったカラダが心地よくクールダウンされていき、喧騒がおさまり闇に包まれていく遺跡と、その周囲の森をみるのがとにかく好きだった。

「遺跡に隠れて寝ようとするやつ、いるんじゃない?」

とバイタクの兄ちゃんに聞いたら変な予感を察知され、「絶対やめろ!おれもこの仕事できなくなる!!」と怒られた。いつも遺跡群ゲートの閉場時間を過ぎてたのに、そのたび警備員のライフルで撃たれることなく五体満足で宿に帰れていたのは、ゲートのひとつの夜の警備をバイタクの兄ちゃんの親戚がやっていたから。つまりは「こっそり通してくれていたから」ということも後で知った。こんなに迷惑をかけてるのに、結局毎日のように一日中つきあってくれたんだから、なんだかんだいってあいつは僕のことが好きだったんだろう。と勝手に思っている。

郊外の遺跡、ベンメリアもよかった。崩れたままの状態で「保存」しているこの遺跡は規制されているところがほとんどなく、遺跡に登ったり中に入ったり、他の遺跡ではありえないほど自由に見て回れた。(崩れたまま保存してるので、調子に乗ってはしゃいで崩して生き埋めにされて自身が遺跡の一部と化してももちろん、自己責任である。)

遺跡は、ただ「在ること」の素晴らしさをわかりやすく可視化してくれる。

これを「ゴミ」というか「遺産」というかの判断も、それぞれが自分でしていいんだと教えてくれる。

「おれもゴミって言われてた時代があるぜ。」

観光地になる前と、滅びたあとの空白期間を想像すると、どこからかそんな声が聞こえてきた気がした。都合のいい耳でよかった。

遺跡と対話した後と、この後タイに渡る前の空白期間に大変なことが起こるとも知らずに、僕はこの耳触りのいい言葉を、また夜遅くまで堪能していた。


つづく

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