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16羽 「小休止・宿屋の意味」

約2ヵ月、香港から中国、ラオス、ベトナム、カンボジアを通り過ぎ。

すべて陸路で、タイまで辿り着きました。

目的地があるならビュッ!と飛んでしまうのがもっとも合理的ですが、目的地に着くだけが「目的」でない場合においてはその限りではありません。

香港からタイまでどれだけの距離があり、どのような土地が広がっているのか。景色の移り変わり。文化の変容。陸路でいくことで、一枚一枚ページをめくるようにゆっくりと、各国の違いを体感することができました。

そしてこれから久しぶりの飛行機に乗り、インドに飛びます。
が、キリがいいので今日は小休止。現代の京都に戻ります。

いま、僕は京都で宿屋をやっています。

<「ひばり」という宿屋です。京都駅から一駅の「丹波口」という場所にあります。>

このnoteを書こうと思ったのも、元はと言えば宿のため。

オリンピックが決まり、不動産投資が加熱。さらにIT革命により、許可もとらずにお客をとれる「夢の闇宿システム」の出来上がり。同業のみなさんは口を揃えて「完全に供給が需要を上回ってる。このままじゃヤバイぜ!」と仰る。

僕も一緒になって「ヤバイよヤバイよ」と言うけれど、それで仕事になるのは出川哲郎氏だけ。僕は言うだけじゃなく、なにかしなきゃいけない。

でも開業したばかりでお金もないし、そもそも宿って信用商売だし、いきなりすごいアイデアどかーん!お客さんわっしゃー押し寄せる!みたいなのはムリだし、正直そんな一過性なもの望んでもいない。

<「京町家」と「アクセシブル(バリアフリー)」がポイントの宿です。>


「宿屋は信用商売」

「インテリアが素敵、ご飯もおいしい、駅からも近くて、料金もリーズナブル!」というレビューの最後に「でも宿のご主人はゴミカスクソ野郎!」がついたらすべて台無しです。シェフや職人にとって人間性は必ずしも必要ないのかもしれませんが、宿屋は必須。だから「信用商売」。僕はそう思います。

ということを踏まえた上で、なにかしらアクションを起こしたいなぁと思ってはじめたのがこのnoteです。

僕がどういう人間で、なんで宿屋をやってるのか。ここがどういう場所なのか。
そんなことがちょっとずつ、あんまり押しつげがましくならないように伝わったらいいな、と思い、まず僕の中の根っこである「旅がすき」ということを伝えたくて書き始めました。

<こちらが車いすの方でも泊まれるアクセシブルなお部屋、「庭付きスーペリアルーム」。トイレはシェアですがすぐとなりに、そして広めにつくりました。>


「あんたが旅が好きかどうかなんて、はっきり言ってどうだっていい。」

という人もいるでしょう。服屋の店員の「僕もそれ持ってます。」くらいいらない情報なのかもしれません。言われた瞬間欲しくならなくなっちゃうのは僕だけか?買う人の方が多いのか?あれはマジでやめてほしい。

でも服屋のそれと違って「僕もそこ行きましたよ!」はセーフだと思ってるし(セーフですよね?)、旅が好きでもないのに宿屋やってる人間を僕はあんまり理解できないんですね。

まぁ自分でもときどき「めっちゃ長いなぁ」とか「10年も前の話しを書くん、イタくない?」とか思う日もあります。

それはなんとなく書く前からわかってはいたけど、それでも書こうと思ったのは、いま増えている宿屋があまりにも拝金主義に走りすぎていると感じるから。

「清掃から顧客管理までトータルで承ります。」
「玄関にキーロックを置いて暗証番号を教えるだけ。スタッフは必要ありませんので、人件費がかかりません。」
「年?%の利回りが得られます。空いている不動産活用しませんか?」

電話やメールから郵便受けに入っているチラシまで、最近そんな謳い文句ばっかりです。
しまいにはご近所さんからお客さんまで
「民泊ってさぁ、あたしもやってみようかと思うんだけどさぁ、儲かるのぉ?」なんて聞かれる始末。だれも「楽しそうだからやりたい」って言わないんですね。そもそもうちは民泊じゃないし。宿屋やし。

<「車いす旅トークイベント時の記念写真」>

出会うはずのない人と言葉を交わせるのがおもしろい。
行ったこともない国の人と縁ができるのがうれしい。
言葉も文化も違う人たちに信用してもらえることは、かけがえのない財産である。

そんな風に考えている人が、どれだけいるんだろうなぁ。
まぁ実際適度に儲からないと長く続けることができないんだから、そこを第一義にしていない僕の方がバカなんだろうか、と思ったりもするのですが。

<フランスはマルセイユからお越しのマダム。10泊もしてくれて、これはうれしかったなぁ。>

僕は香港からタイまで陸路でいくのがおもしろいと思うタイプの人間です。

いくら稼いだか、いくつの星をもらったか、稼働率をどれだけ高められたか、より

何人の車いすの人を泊められたか、どれだけトラブルを解決してあげられたか、帰り際に握手を求めてもらうことができたか、を目指すほうがやりがいがあると思うタイプの人間です。(つくづく経営者に向いていない。)

目的地に着くことより、寄り道の途上で出会い感じた日々の方が大切になる。そんな風に思うからです。

このnoteの目的も

「どんなとこかよくわからんし、飯はついてなさそうだし、どこにあるかもわからん」

「でも、なんか気が合いそうだから泊まってみるか」

と思ってもらえたらと考えてはじめましたが

むかしの日記を読みながら書いているうちに夢中になり、楽しんでるうちに本筋から大幅に脱線しちゃったりします。(もはや運営者に向いているかもあやしい。)

宿のためと思ってはじめたのに、今日やっと宿の写真を載せたほうがいいんじゃないかと気付いたくらいです。まずはじめにすべきことですよね。なんでだれも教えてくれなかったんだろう。ねぇ友人&同業のみなさん、読んでんでしょ?これ。

まぁそうは言っても上記の通り僕はより道が大好きなので、結局ぜんぜん関係ないような話しを書いてしまうかもしれません。

それはそれとして、とりあえず僕が「宿屋やってる人」だけでも覚えてもらえたらうれしいです。京都にきて気が向いたときにでも遊びにきてもらえたりしたら、もっとうれしいです。もちろん、泊まらなくたっていいので。

以上、「長い小休止 兼 告知」でした。



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