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10羽「4カ国目・ラオス・Laos」

深夜バスに乗って、ラオスの国境へ向かう。

二段ベッドをそのまま詰め込んだような深夜バスの揺れは半端ではなく、上段のベッドを予約されてしまった僕は、疲れきった体でもなかなか眠れなかった。山道を走るのにこんなに適さない構造の乗り物があるだろうか。

夜が明け国境に近付くにつれ、南の国の雰囲気を匂わせる木が多くなっていった。

しかし一晩で国境を越えるには山道は長すぎ、そしてバスのクオリティは低過ぎた。国境付近の村のボロ宿で一泊。

中国とラオスの国境には、約1.5kmほどの空白地帯があった。
無国籍地帯とでも言えばいいのでしょうか。中国を出国してからラオスに入国するまでの間に、1.5kmのなにもない道がある。そこでとりあえず一旦降ろされて、税関の人がバスの検査をしている間、僕はいまいったいどこにいるんだろう、なんて考えたりしていました。中国でもない、ラオスでもない、いったいここはどこなんだ?どこでもないのか?ここでなにか物が盗まれたり、バスが突如爆発なんてしてしまったら、これはいったいどっちの法律でさばかれるんだ?中国では死刑だけどラオスでは「ごめんね」って言おうね。で済んだりしちゃうんだろうか。どこにも属さない土地に座りながら、どこの土地がだれのものなんてつまらないことをいちいち決めなければやっていけない僕たちの社会に心のなかでダメ出ししてるうちに、バスのエンジンがかかった。
いよいよ、ラオス入国だ。

無事入国し山道を下ると、ほどなくしてバスの車窓からのどかな田園風景がみえてきた。


大きな町と町の間はバスが通っているけど、町ー村、村ー村はこのような軽トラックがラオスの主な交通手段。最大で18人乗っていたこともあります。写真をみる限り乗れるわけないですよね?でも乗ってたんです。こんなのどかな国に来て、どうして東京の通勤ラッシュみたいな目にあわなければならないんだ!と悲しくなる日もありましたが、肩を寄せ合うを通り越してひとりひとりが「ムンクの叫び」みたいな状態になりながら、一丸となって山道を乗り越えていくたび、僕はラオスの人たちに親近感を抱いていきました。

「ラオスのムアンシンは、すごくいいよ。絶対行ったほうがいい。」

「なにがあるんですか?」

「なんにもない。なんにもないのがいいんだよ。」

という言葉を大理で聞いていた僕は、まるで根拠のないその話しを素直に信じて、ムアンシンに行った。ほんとになんにもない。なんにもないけど、人はいる。人がいるから、生活がある。その生活風景をみているだけで、僕はここがどんな観光地よりも価値があると思えた。人の心に新しい風を入れることが旅の意味のひとつだとしたら、ここから吹き込んでくる風はとても心地よく、爽やかなものでした。

山の国・ラオスでは川遊びが盛ん。ビエンチャンという町では川下りが一大レジャーになっていました。ゴムタイヤに座りながら川をプカプカと下り、途中のウッドデッキ付き掘っ立て小屋みたいなレストランでご飯食べたりラオビアを飲んだり、「ア~アア~!」って言いながら川に飛び込んだり。写真の中で飛んでるのは僕です。プカプカ浮かびながら飲むラオビアは最高でした。

自然あふれるラオスにももちろん、大きな町があります。ルアンパバンはかつての王朝があった古都。寺院、托鉢僧、ナイトマーケットと、ラオス特有ののんびりさを感じながらも人がつくりあげた文化的なもの、建物をみて楽しむことができます。僕は京都が好きなので、やっぱり首都より古都派。ラオスは首都ビエンチャンより、ルアンパバンの方が好みの町でした。

さらに南へ南へと下り、メコン川の向こうに沈む夕陽と、対岸にみえるタイを眺める。ラオス南部では毎日夕陽を楽しみに一日を過ごしていました。
ラオスはたしかになにもない。でもやっぱりその「なにもなさ」こそ、ラオス最大の魅力でした。この国で二週間も過ごすと、世の中なくてもいいものが多すぎると思うようになります。ここがユートピアだと言いたいわけではありません。ただ、もし日本や他の先進国の社会にあるシステマチックさに嫌気がさしてきたとしても、僕はきっと楽しく生きていけると思います。そう思える場所を知ることができました。

なにかをしていたようでなにもしていなかった二週間。
大きな深呼吸をしていたような二週間。
森と山の国・ラオス。

あと少しでラオス縦断、というところまで南へ下り、対岸のタイに背を向け、一路東へ。

ベトナムへ向かいました。

つづく

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