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夏の終わりのじゆうけんきゅう(1)

突然だが、かれこれ50年前、昭和四十年代の終わりごろの話になる。
考えてみれば五十年前ということは「半世紀」も前ということで、そんな大昔に小学生として生きていた子どもがおっさんとなって今も現存していると思うと、自分のことながらなんだか不思議な気持ちになる。
この不思議な気持ちは、ぼくくらいの歳の大人にならないとわからないものだろう。
当時ぼくは小学校の三年生か四年生。
と、少々「時代」を強調した出だしになってしまったのは、「当時」の子どもたちが出入りする駄菓子屋さんには、刃物系のみならず、現在ならばびっくりするような危険な玩具が普通に売っていて、ぼくの記憶が正しければ年齢制限もなく低学年の子どもでも買えた、という話をしようと思うからだ。
だからあくまでも「半世紀前の思い出話」、当時の駄菓子屋のおばちゃんも今ではみな鬼籍の人ということをいまいちど強調しておきたい。
そして一個人の昔の記憶であり、中央とは距離のある田舎町での話なので、一般的な事実と異なる点があるかもしれないけれど、思い出話としてご寛恕願いたい。
そんな驚愕の駄菓子屋玩具のひとつに「昆虫採集セット」というのがあって、季節問わず店頭に並んでいた。
小ぶりのプラモのくらいの紙の箱に昆虫採集というよりも標本づくりに必要な道具が入っている。本来採集に必要な虫かごや網は別売りであった。
大きさがほぼ変わらない倍率不明な虫眼鏡。ピンセット。虫を固定する細い釘のような虫ピン。小さなプラスチックの容器に入った緑色と赤色の溶液。
(当時これはどちらかが虫を殺す薬で、もう片方が防腐剤、という風に誰かに教えてもらった記憶があるが、低学年にはよく分からなかった。大人になってからどちらもただの色の付いた水だったと聞いた気もする)そして、それらを注入するための「本物の注射針のついた」小ぶりの注射器が入っていた。
好奇心や、ちょっとしたいたずら心でその水やあるいは空気そのものを友人や自分の腕にぶすっといく子どもがいなかった(当時、そうした事故が起きたという話はぼくは一度も聞かなかった)ことに、今あらためて胸をなでおろす。
子どもとはいえ、本能的な危険回避能力(あるいは単純に痛いのは嫌だし怖い)ということで、そんなことをする子どもはいなかったのだろうか。

昆虫採集といえば、いまも昔も(申し訳ないが現在の事情は分からない)、少なくとも昭和の小学生男子にとっては夏休みの自由研究の花形であった。
とはいえ、ぼくたちの住む中途半端な田舎町では、カブトムシやクワガタムシといった昆虫界のスターを捕獲して高価なお菓子でも入っていたような綺麗な箱に収めて持ってくるような生徒は、そもそもが、そうしたスターの棲む山や林に泊りがけの家族旅行で連れて行ってもらい、親父さんや兄貴のサポートを得てゲットしました、という格差が即座に見て取れるものであった。
ぼくのようなその他大勢の男子は、そうしたカッコいい手作り標本を羨望のまなざしで眺めたものである―――。

話は驚愕の展開へ。   つづく。



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