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みたび お盆にぼんの話など

連休初日の朝ほど気分の良いものはない、ということで、唯一の趣味といってもいい「ぶらっとひとりドライブ」にでた。朝の早い時間にコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、琵琶湖岸や田んぼに挟まれた県道を好きな音楽を聴きながらのんびりと二時間ほど走る。
県道の、ぼんが死んだ場所を通ったとき、いつもは思い出さないのに、ふと彼のことが脳裏に浮かんだ。
「おにいちゃん」と、声ではなく、ぼくの魂の端っこの方をツンツンと遠慮がちに突かれたような気持だった。あゝお盆だからか、とあとで思った。
ぼんと出逢ったのは、ぼくがレコード店の番頭をしていたときだから今から四十年ほど昔のことになる。ぼんというのは彼のニックネームで、男の子を意味する「ぼんちゃん」のぼんからきている。
ぼんのことはこれまでに二度ほどこのノートに書いた。
ぼんは少しぽっちゃりした男の子といった愛らしい容姿の小学校の5年生か6年生だった。(歳のせいかぼんの学年が思い出せない。過去のノートには正しく書いているのかもしれないけれど)
当時、元祖ファミコンが発売になったばかりで、その販売ルートやシステムもしっかりと確立される途上だった。なにがいいたいのかというと、新しい物好きのオーナーがうちのレコード店でも(結果的には短い期間だったが)ファミコンを扱うことにしたのだ。最初はソフトのタイトルも20か30ほどだったと記憶している。
ぼんはもともとレコード店の近所に住んでいたのだが、ひょんなことから放課後にファミコン目当てうちの店に来るようになった。彼はお母さんと二人暮らしだったから、夕方家に帰ってもひとりで寂しいということもあったのだと思う。店に来ても安々とソフトを買うことができないのは、どの子も同じだった。いつもパッケージを眺めながら「このゲームはな」と、ぼくや他のスタッフを相手に、雑誌の立ち読みで得たゲームの情報などを教えてくれたりしたのだった。それでけっこう助けられたりもした。
ぼんは長い髪のロック野郎だったぼくを怖がりもしないで「おにいちゃん」と慕ってくれた。
夕方から夜の時間、いつまでも店で喋っていたいだろうに、適度な時間で「ほなまた来るわ」と引き上げる節度を持ったいい子だった。

そんなぼんが一週間、二週間と顔を見せなくなった。
どうしたのかと思っていたら、面識だけはあった彼のお母さんが店に来て、ぼんが死んだことを告げたのだった。
「これまで息子に優しくしてくれてありがとうございました」と。
ぼんは家でよくレコード屋のおにいちゃんの話しを嬉しそうにしていた、とのことであった。
まるで悪い夢でも見ているようだった。

あとから蓄積されていった情報を時系列にまとめるとこういうことになる。

その日は休日だった。ぼんはなにかでお母さんに叱られたのだそうだ。男の子ならよくある話だ。いつもならそれだけのことなのに、たぶんプンプン怒りながらぼんは歩いた。どうしていいかわからなかったのかもしれない。だから歩いた。歩いた。歩いた。泣いていたかもしれない。どういう風にお母さんに謝ろうと考えていたかもしれない。そして歩いた。ただ歩いた。
夜になって、ぼんは家から三十キロ近く離れた場所を歩いていた。
小さな家出といったつもりだったのか、歩き続けるうちにそこまで来てしまったのか、いまとなってはわからない。途中で誰かに見つかって、あるいは夜遅く家に帰って、心配させたお母さんや関係者に引っ叩かれてこっぴどく怒られたとしてもそのほうがどれだけ良かったか。
ぼんが歩いていたのは、田んぼに挟まれた県道だった。
それほど明るい道ではないにしろ、外灯はあるし、近くには集落もある場所だ。歩行者に気づけないような環境ではない。
ぼんはそこで、後ろから走って来た飲酒運転の軽トラックに撥ね飛ばされてしまったのだった。白線の内側を歩いていたはずだから、軽トラはスピードをだしてかなり蛇行していたのだろう。
跳ね飛ばされたぼんは、県道と田んぼのあいだの草むらに落ちた。
軽トラの運転手は事故を起こしたことで動揺したのか、さらに百メートルほど先の電信柱に衝突した。軽トラは大破したそうだ。
電柱にぶつかった軽トラを見た後続車によって救急車が呼ばれた。
軽トラの運転手は、意識があったにもかかわらず、先にぼんを撥ねたことを救急隊にいわずに自分だけが病院に救急搬送されたのだった。
その後の経緯は詳しくはわからないが、ずいぶん時間が経ってからぼんは見つかった。
ぼんはもう息をしていなかったそうだ―――。
お母さんはそのあと時間とともに、さらに苦しみ嘆き、憔悴しきって、ついには一時的に気が変になった。街でぼんと同じくらいの歳格好の男の子を見かけると、走って行ってその顔を確認するというのだ。駅前に変なおばさんがいる、○○くんのお母さんらしい、という話が広まった。
こんな悔しいことがあるだろうか。こんな悲しい話があるだろうか。
思い出して書いているだけでいまでも涙がでてくる。
だからぼくは飲酒運転を軽く考える横着で浅慮な人間を心から憎むのだ。

抜けるような青空と真っ白な入道雲を見ながら、ふと、ぼんが生きていたら何歳になるのだろうと考えた。
あのとき12歳ほどだから……。
「52かい。 ぼん、生きてたら50を超えてるんか。52か。ええおっさんやな。そうか52か……。おにいちゃんが今年還暦やもんな」
空に向かってそう話しながら涙が止まらなくなった。

ぼんは本当ならば出逢うはずだった多くのヒトと出逢わずに死んだ。
中学生にもならないままこの世とさよならしなければならなかった。
ほんの10年ちょっとの短い人生だったと考えると、彼が生きているあいだに出逢ったレコード屋さんのおにいちゃんは、ぼくが思う以上に彼の魂のなかのウエイトを占めているのかもしれない。
もうしばらく、おにいちゃんを見守っていてな。
それと、しなくてもいい心配だろうけど、お母さんをしっかり護ってあげてな。

今日、はじめて考えたことがある。
それは青空からすっと降りてきたような想いだった。
事故のあと、憎んでも憎み切れない軽トラの運転手から十分な賠償がなされ、せめてお母さんが経済的には不安や苦労のない日々を穏やかに過ごしてくれていたらいいな。いまも元気でおられるのだろうか。
いや、きっとそうであるはずだ、と。

すると、一羽の鳥がしばらくぼくの車に併走したかと思うと、すっと急上昇して消えた。
ぼんが言葉ではなく、ぼくの魂の端っこの方をツンツンと遠慮がちに突いて「ありがとう。心配しないで」といったのだと思った。
令和5年 お盆 夏空の下で。


















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