夜にばかり会っていた私たちは、ありきたりだけど誰にもその姿は見られてはならない関係で、夜闇の中を無造作に歩く害獣のような同志だった。その関係がお互いに気に入っていたのは2年間ぐらいで、3年目に入った頃には得体のしれない焦燥感を抱え始めた。どうして会っているのかわからない。泡が無くなり、ぬるくなった麦酒の上澄みをすすっているような関係で、結論から言えば「清算」をするべき段階だった。幸福でもなければ不幸でもない。満潮も干潮もなく、だだっ広いだけの海を眺めているようだ。恋愛でも情愛でもなくなり、会うたびにただぼんやりと、個体としてそこにいるあなたのことを見ていた。多分あなたもそうだったと思う。私たちはお互いに、もう「こういうこと」を十分に堪能したのではないか、という言葉を言い出す義理堅さも持っていなかった。

この空気感は好きじゃない。苛立ちをうまく消化できない。噛み合わせのよくない歯科矯正のような日々が続く。でも会わない日々でも、あなたのことを考えない日はなかった。食べきってしまった拉麺鉢の油膜を見ている時も、電柱に貼り付けられた内科医院の広告を見つめている時も。病めるときも健やかなる時もどころじゃない。現実はもっと生々しかった。あなたのことはしっかりと頭の片隅で常時稼働するモーターのように考えていて、それは恋愛でも情愛でもなく、「生活」の中に深くあなたが根差してしまったことを意味していた。だからこそ苛立っていた。

苛立ちをぶつけてしまう前に、「こういうこと」は終えたいと考えるようになる。心身の深くを知っているはずが、たとえばエレベーターの中で二人きりになると、結界を張ってしまうようになる。誰にも触られたくない。でも触ってほしいような、触ってほしくないような揺らいだ感情が沸騰していく。いびつな感情を蚕のように糸にしては、静かに息をひそめる。あなたはすでに私を深く知っていたので、その時々で、もつれた糸を解すように触ったり、触らなかったりした。

私はその頃詩を書いていて、いずれは小さな詩集でも作れたら楽しいだろうと思っていた。その後詩なんて「上等なもの」は到底書けなくなってしまうのだが、まだその頃は眠っているあなたの横で、ノートにたくさんの言葉を書いていた。またある時は離れて、あなたの下着を身に付けて、窓際に腰かけたりしながらスマホのメモに、浮かんでくる言葉を無心に打ち込んだりした。画面に現れるモブを潰すような要領で、ただひたすらに打ち込む。傍から見ているとテトリスでもこなすようだったと思う。書くことよりも、打ち込むことそのものが楽しかった。他人の匂いにくるまれながら見る東京の窓は、手で触れるとひんやりとしている。くたった男性物の肌着が自分の肌に馴染むのを待つ。鬱屈とした気怠い匂いが部屋中に残っている。寝ないの、まだ書いてるの、と声をかけられることを待っていることもあった。その後に、ぬるま湯のようなシーツの上に乱雑に転がるようにして戻ることも好きだった。不規則な寝息は深夜の砂嵐のようで、その音を聞きながら私はこの人のことを、おそらくは好きなのだろうと安心したりもした。触れている時よりも、案外眠っているところを離れたところから見つめるときに、深い幸福を感じることもあった。

袋小路になる前にもうやめたい。(それは袋小路を意味するけれど)会う約束の1時間前に簡潔に「もう会わない」とLINEに送り、約束を破る。2016年11月15日、一人でチェックインするホテルは初めて泊まる西麻布のアパホテルで、周辺にはいつも宿泊する新宿のような賑わいは無かった。スマホの電源を切る。電源を切るあたりが、電話を期待している人のようでとても嫌になる。まだ時刻は17時で、ベッドに転がりながらテレビをつけると、私が好きな作家が不慮の事故で死去したことを知らせていた。随分と大げさに一人で、「こういうこと」を終わらせた日に好きな作家が去ってしまい、自分の器の小ささと、やたらめったら大げさなことをしたことへの羞恥心と、どうして作家は死んでしまったのだろうという焦燥感で、悲しいのか寂しいのかさっぱりわからなくなる。

そもそもどちらでもないのだ。悲しくも寂しくもないことに、目を向ける必要があった。ホテルの窓に触れると、他人の匂いにくるまれていなくても、ひんやりとしている。指紋の隙間から冷たさが沁みこむ。冷気が血流の中に入ってくる。

広尾駅へ出る。日比谷線に乗り、適当な駅で降りて温かいものを食べようと思う。最初から私たちは出会ってなんかおらず、お互いに見知らぬ者同士で、野ネズミでもハクビシンでも、ただの知り合いですらない。構内であなたに似た人を探すことを止め、地下鉄に乗る。H03のプレートはすぐに見えなくなった。

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