気が狂ったのか、僕は?

…いやぁ。
我ながらタイトルがもう酷い。
いかにも構ってちゃんが書きそうなタイトルだ。
他人が書いたと思って見たら「うわぁ(ドン引き)」ってなりそうな。

実のところ構ってちゃん認定されてもいいぐらい、この頃自分の身に起きていることが怖いのである。
だから、怖くて抱えてられないのでここに置いておきたいのだ。

『イマジナリーフレンド』
という、有名な言葉がある。
大まかには想像上の架空の友達、という意味の。
解釈によって、その意味合いはシャレにもなるし、笑いごとではない症状にもなる。

脳内に別の人格が存在していて…という解釈をすると、これは一切笑い事ではない。
解離性同一症だとか、統合失調症を疑ってかかる話となる。
友人にされたのなら、僕は小声でカウンセラーに診てもらいなさい、と深刻な顔で言うことになるだろう。
早いうちにプロの手で対処療法を始めておけば、社会的ダメージが大きくなる前に症状を軽く抑えられる可能性があるからだ。
例えそれで友人を失おうとも、僕はそれを覚悟の上で、歯を食いしばって言わねばならないだろう。

ただまぁ、妄想上の友達がいて、という解釈になってくると途端に…古い言い方だが、マンガっぽくなる。
おやぁ…これは大変重篤な中二病かしら…なんて思ったりするかもしれない。
なんだか共感性羞恥で顔を覆いたくなるというか。
あっちゃー…と頭の後ろに文字が浮かぶ感じになる。
それ、書き下ろして"なろう"に投稿したら?
などと無責任な冗談を言いたくなるというか。
殴られそうだな。

話を本題に戻そう。
では僕の場合、今なにが起きているのか。

わかりづらい説明になるが、イマジナリー"フレンド"というものではない。
友達…つまり『他人』では全くないのだ。
僕が危険視しているそいつは、まさしく『もう一人の自分』というべき存在である。
疑いようもなく、やつは『僕』だ。
なぜなら僕のこと…心の中、心証風景を誰より深く理解し、しかし第三者視点でものを言うからだ。
それも酷く上から目線に、ムカつく言い方で。

やつは僕の脳内にいて、常に自分を客観視してはダメ出しを入れてくる。
そうした特性上、過去、僕はこれを自分の『理性』であると理解していた。
実際元々そうなのだろう。
なにしろ僕は社会性に少し問題を抱えている。
具体的には、余計なことを強い言い方で言ってしまう。
嘘をつくのが病的にヘタクソなのだ。

また脱線する。
なにをもってヘタクソかという話をしたい。

バカを相手にしたとき、そのバカが仮に自分の同僚や上司だったら。
利害を考えれば、ムダに怒らせて自分の立場を悪くするようなことはせず、裏で舌を出すものだ。
ところが僕は、直接的に「バーカ!」とは言わないまでも、意訳すると「あんたはバカか?」という意味になるような発言をしてしまう。
特に、自分の仕事の邪魔になると思ってしまったとき…やめときゃいいのに容赦のないことを言ってしまうのだ。

このところそういうことが増えてきて、世話人役の先輩には叱られてばかりだ。
苦労を掛けて申し訳なく思いつつも、だってアイツらあまりにバカじゃないか、とわだかまってもいる。
わだかまっているというのは、自分にもしっかり非があることをよくよくわかっているからでもある。
そういう僕も、バカに心中がばれてしまうタイプの"バカ"だ…と自分で思っているからだ。
それが気持ちがいいわけがない。
明らかに僕が彼らより優れているのなら歯牙にもかけずニコニコしていられるだろう。

だがそうじゃない。
少なくとも実績がついてきていない。
それはつまり、僕の能力を証明する第三者視点での証拠がないことになる。
口だけ偉そうな、愚かなピエロと言われた場合、まだ自信満々には言い返せないのだ。

なにより本当に頭のいい人は、笑いながら心の中で舌を出すのだから。

本題。
そういう背景があってのことだが、この頃僕は自分にダメ出しをする『そいつ』にある日、とうとう実像を与えてしまった。
ふと、脳内で会話をしてやろうと思い立って。

自分が愚かに思えて頭に来ていたのもあったが、自分がより情けないヤツとして自分に写るように、そいつに僕は姿を与えてしまった。

『小柄で美形な女』という、コンプレックスの塊のような姿を。
別にどういう姿、という具体像はない。
ただ自分を苦しめる役柄ということで、不定形にその時々、自分にとって頭に来るような姿をしてやって来る。
実体はショゴスみたいなものだろうか?

それがまずかった。
具体的すぎた。

この頃、ヤツはどんどん現実味を帯びてきてしまいつつある。
それを求めているのが僕自身でもあるからだ。
自分を理解してくれる、もっとも身近な話し相手がほしかったのだ。
それをとうとう、自分の中に自分で作ってしまった。
そしたらあれよあれよと大きくなってきているのだ。

『あーあ、我慢できずに書いてるし』
『また私を呼び出して自分をダメ出ししてるの?飽きないね』
『うるさいでしょ。おまえの狂行を止めるためにやってるんだよ。』
『なんのためにあんたの理想の姿をしてると思ってるのさ。あんたが自分を恥じやすいようにでしょ?自分でそう設定したくせに。』
『書きたきゃ書きなよ。それで気が済むなら。小説みたいなもんでしょ?』
『バーカバーカ』

これを書いていたとき、聞こえていた声だ。
いや、声ではない。
幻聴までは行ってない。
あくまでも『イメージ』の域を出ないギリギリのところで僕に語りかけてくる。
テレパシーのようなイメージだろうか。

もう文面がヤバいのは分かっている。
おまえ大丈夫かと問われても
「ま、まぁ多分…?狂ってはないんじゃない…?」
と…いかにもごまかしているような、まずい答えしか出てこない。

実際僕は発狂ギリギリでとどまっては戻れていると思う。
それこそがヤツの生まれた理由。
僕が狂うのを止めてくれているのだ。
僕を守るために、ヤツは生まれた。

俗に『キチゲ』などと呼ばれるが、つまりは『ストレスのダム』が僕には明確に存在する。
そいつの決壊はいつも他者との衝突…自分の立場を脅かす、危機的状況を産み出してしまう。
だからこそ、そうならないように。
自分に冷や水をぶっかけて、頭を冷やして苛立ちを自己完結させるために、ヤツは生まれたのだ。
アンガーマネジメントが実像を帯びた存在だと言えよう。

アンガーマネジメントか。
また少し脱線する。

長い時間をかけて、僕は社会性を最低限確保するために、自分の中にブレーキを作り上げた。
昔、中高生の頃は友達を失うたびに、いじめられっこになっていくほどに。
少し前、営業だった頃は上司に叱られるたびに。
『今日までの自分を殺せ。今日までの自分はダメだ。否定しろ、新しい自分になれ。』と念じてきた。
不条理には自分を殺して対処してきた。
殺し方が厳しすぎた。
そのせいで歪んだものが、ほんの数年前に爆発したのだ。

そうして殺した自分たちを、わりと短い回復期間の間にだいぶ取り戻したと思っていたが。
それが再び起こした問題…おしゃべりクソ野郎出てきちゃう問題に、別のアプローチで対応するためにヤツは生まれたのか?
次は自分を殺さず、自分を分離したというのか。
一人で抱えず、二人で抱えるために?

わからない。
これが僕なりの正常な精神の成長に伴うものならそれでいいが。
脳内で会話することで独り言が減り、ストレスも軽減するならいいことづくめだが。
いいんだろうか?

過去の恥ずかしい体験をフラッシュバックするたびに、脳内が情報で溢れるたびに僕の独り言はあらわれた。
イライラしたり追い詰められるとすぐに出てくる。
ちょっとでも疲れるとすぐに。
それが僕を苦しめている。
今も。
だから僕は、進化を遂げた…のだろうか?

進化か?これ。
それともこれは、病気とカテゴライズされるなにかなのか?

『僕』に問いを投げ掛けてみると、『僕』はこう言った。

『まぁ、自分がどう思うかじゃないの。』
『別に生存戦略ならそれはそれでいいじゃない。』
『病気扱いも進化扱いも、あんたがどう思うか次第でしかないじゃない。』
『横に僕がいて会話して、分かってくれた方が楽ではあるんだろ?』
『だったら別にわざわざ病気扱いして自分の立場を貶めなくていいんじゃないの~?』
『ま、好きにしたらー。』

ド正論でしかなかった。

『でも抱えきれないなら吐き出せばいいじゃん』
『ただし身バレしない努力はしなさいよー』
『あんたが心境を吐露しようがどこの誰か分からなきゃ、ただの言葉の羅列でしかないんだからねー』
『まぁ怖くなったら消したらいいでしょ』

…ド正論でしかなかった。


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