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用事のない日の雨はいい

本日は雨。けっこうな、ざあざあ降り。

雨のなか仕事に行くのはだるいし、約束があっても嘘をついて断りたくなる。それに比べてどんどん荒れる空を窓越しに傍観するのは、ある種娯楽とも言える。高揚する喜びはないけれど、気持ちが安らぐ。バタバタバタバタっと、屋根に雨が吹き付ける音のリズムは胎内に回帰したような心地よさがある。物語の外側につまみ出されたようだ。ああ、もう戦う必要はないのか。

でも今日は雨のなか、レインコートも着ずに、傘一本で外を歩いている。濡れてはいけない用事があるわけではないから、これもまた楽しい。まだいつもなら太陽が眩しい時間なのに、薄暗い。たしかに物語を歩んでいるにも関わらず、時間は止まってしまったみたい。

雨音とコンクリートの湿ったにおいが、考え事を捗らせる。私の1番の理解者だと思っていた友達に「あなたには理解者がいないんじゃないか」と心配されたのを思い出す。理解してくれている人が理解してくれる人がいないと言うんだから、間違いなく私には理解者がいないんだろうな。また知恵の輪みたいな言葉遊びが続く。

昔から好意を抱かれるのが嫌いだった。特に若い頃はみんな「自分を分かってくれる人」を求めがちだから。私はそういうツールとして利用されるのを嫌って、人に深入りしなかった。歳をとって「理解を求めない人」同士の、そこで消えていくシャボン玉みたいな会話の機会が増えてかなり楽になった。母としての私、妻としての私、を演じていくと「本当の私」がわからなくなるという悩みを聞いたりする。おかしな話。私は積極的に私を消しながら暮らしたいと思っているのに。紙と紙とのあいだの接着剤のように、役目を終えたら忘れられたい。私が私を直視してしまったら、雨にうたれてもなお進み続けてしまったら、雨のメロディに耳を傾けられなくなってしまう。一歩、一歩。私は溶け出して、水たまりに染み込んでいく。

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