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メディア

先日ラジオで元TBS記者の方が、2023/10/2のジャニーズ記者会見について言及した際、拍手が起きたことへの違和感は仰っていたが、同時に

記者が強い(罵り系)言葉でなんでも質問していい訳じゃない。相手が政治家だからといって、口汚い罵倒はしてはならない

ということも挟んでいた。
この言説自体は、よく聞かれる。政治家も天皇も犯罪者も人間であり、彼らの基本的人権も守らねば。

私もhumanrightsとdignityを旗印に掲げている以上、ここは押さえている。

その元記者(以下、S氏)が言っていた「汚い言葉を発した」のは、おそらく望月いそこ氏と緒方としひこ氏あたりのことかと思うけれど(違ったらごめんなさい)、穏便保守の私としては、この世を不安にさせる怒号、汚い言葉は確かに聴きたいか聴きたくないかと問われれば、後者であるが、しかし、市民が巨大な権利に向かってお行儀よく時代を変えてきた歴史は、私の知る限りは、(ほぼ)無い。
サフラジェットも当時、急進派としてたいそう非難されたらしいが、家を爆破し、人が死んで初めて、婦人は参政権を得たのだ。ある意味テロ行為であるが、凝り固まった常識を覆すに至るには、時には目を向くような行為があったから、いや、なければ変わらなかった、というのは常に頭の隅にある。

フランス革命も市民革命も、そうかもしれぬ。

今、貧乏で頭脳明晰でない女の私がこうして生きていられるのは、有史以来権力者と命を賭して戦った数多の市井の名もない人たちのお陰と心底感謝している。

権力者への攻撃が一般市民に向かってはならないが、権力者がこちらの声を聞かない場合に、声を荒げる以外に、方法があるかと問われれば、現在の日本では残念ながらその術が無いに等しい。

せめて、記者会見で、メディアが権力者を追求せねばなるまいよ。
それなのに、メディアがメディアをお行儀悪いと非難するという構図。
これが結局今のジャニーズ性被害問題を生み、辺野古基地問題を生み、アベノマスクを生み、ひいては日本の衰退をこれだけ加速させ、国際的地位の最速の没落という結果(経過)を生んでいるのではないだろうか。

さらに飛躍すれば、ロシアによるウクライナ侵攻も、ハマスによるイスラエル攻撃も、イラクだってシリアだって

アフガニスタンだって

これらの日本国内に蔓延する共通した知識の欠乏、関心の無さは、ジャーナリズムが著しく欠けたレガシーメディアにも多大なる責任があるだろう。

話を戻して。

望月氏たちが、特段、革新でアバンギャルドで危険分子とは思わない。普段の言説を聞いていれば、それほど宗教的な怪しさではなく、ごくまともな人権感覚に沿っていることが分かる。もちろん、人間だから完璧ではないし、分かり合えない部分もあるし、汚い手を使ったこともあるだろうが、人権擁護の感覚からは、ラディカルではなかった。
それに、おそらく男性記者ならばあれほど叩かれまい。という程度。

つまり、彼女らは、それほど危険分子ではないと見る。彼女らが異端に見えるほど、他のメディアが沈黙しているのが問題なのだ。
あの会見はどこかおかしかった。一般人の私が見てもそうなのだから、他の記者たちもあの場で紛糾すれば良かった。それも汚い言葉を使わずに。

本来の記者会見とは、そのように行われるべきではなかろうか。なにしろ、ジャニー氏の行為は史上稀に見る大犯罪であり、犯罪がこれだけ放置されて、本人は裁かれることなく死に、被害者救済が今後どれだけ進むかも不明だ。それほどの問題を追求するための記者会見なのだから。
声を上げる人が少なければ、あげる人がどうしたって大きな、しかもキツイ言葉で声を上げねばならない。
そんなにトーンポリシングでS氏が同職を非難するなら、多数が、優しい言葉で声をあげればいいだけだ。

さて、ここで、一つ問いたい。

ジャニーズという日本で最大級の特殊な芸能事務所に、一記者である望月氏が口汚く罵るというけれどもこの力の差は歴然であり、ここは権威勾配の論理が成り立つ。

しかしS氏よ。世間でなんの知名度もない私が、小さな頃からとある権力者たちに、日々、ハラスメントを受けてきたことは、ご存知か。

それについてもあなたは、とある権力者たちに、「一市民であるこの女性に、口汚く罵ってはならない」と言ってくれるのか?しないであろう。

その「とある権力者」とは、長い間政権の中枢にいた人たちである。

中曽根康弘が、小泉純一郎が、森喜朗が、麻生太郎が、安倍晋三が、ああもう、たくさんの権力者が、私のdignityを踏み躙る発言を繰り返してきた。未だに、忘れられない。
悪夢のようだ。
女性は子供を産む機械と言われて、幼い私はひどく傷ついたし、この暴言のパワフルさは、望月氏の暴言の比ではない。何しろ、発言元は国家権力なのだから。自殺を考えるレベルだ。女性という理由しかないのだから。

S氏は、男性だし、いい大学を出てオールドメディア出身という、陽の当たる道を歩んだ人間だ。この口汚く罵られる経験は私に比べればはるかに少ないと想像する。時の権力者に、涙が出るほど蹂躙されてきた私から見れば、腐敗した権力者に口汚く罵れないメディアは、失格である。
S氏たちは、他人事でいられる。優しい顔で中立でいられる。なにせ、自分たちには害は及ばない。

私にしてみれば、なぜ権力者の暴言は許されて、市民のちょっとした暴言が許されないのかと、この不均衡さに、悲しくなる。

それを許して来たのは、S氏よ、あなたたちではないでしょうか?

権力者の横暴は許し、記者会見での記者の振る舞いには注意喚起する。

権威勾配という基本を、押さえてほしい。あのS氏が、自分の手を汚さず、高みから、俯瞰的にあたかも捉えていると見せるやり方が、今のメディア腐敗を生んだ一因だ。

この人は、紛争地などを取材しているらしい。でも、ジャーナリズムが分からない人がいったいどんな取材ができるんだろうか。甚だ疑問である。

井ノ原氏のトーンポリシングにも辟易だが、S氏も、同罪である。そしてこんな人が、うじゃうじゃ蠢いているのだろう。

しかも、もっと根が深い問題を孕んでいる。

百歩譲って人権意識の高い国ならばまあそのメディアがメディアの抑制を計ることについて議論もあっても良いだろう。しかし、これだけ権力が一方的に納得のいかない政策を推し進めるだけの権威主義の国では、ただの五人組である。

今の日本では、権力者はとことんのさばり続け、肥大化し、暴走するのを止められない。それを阻止するために、動かなければならない時もあるだろう。ましてや、望月氏らは、何も爆弾を落とした訳ではない。犯罪者と、その片棒を担ぐ人を口汚く罵っただけである。

犯罪者にも人権を

という言葉を口にできるほど、日本社会は成熟していない。なにしろ、民主主義の基本も押さえていない、幼い国なのだから。

ジャニーズ問題は、ここで徹底的に叩き、一気に押し進めねば、簡単になかったことにされるのだ。

S氏の、どこか他人事のような物言いに、今のメディアの闇を見る思いだ。

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メモ

放送法
メディアの独立性

現在、多くの国で一般的に語られているジャーナリズム倫理
①正確性(真実性)
②公正性(独立性)
③多様性
④人道性(人権配慮)
が挙げられることが多い。

②の公正性は、元来、ある主張を報道した場合、それに反論する機会を違った主張の者に与えること。社会における少数派の考えを拾い上げるという意味合いで用いられてきた考え方。

③の「言論の多様性」は、報道界全体で維持すべきもの。

これらの報道倫理を包括して、記者の「高潔性(インテグリティ)」と謡われることがある。

これまでは、新聞を代表するマスメディアが、社会の中のベスト・キュレーションメディアであった。
情報の伝達者(媒介者)は、内容に関与しないことを原則としてきた。例えば、ネットにおけるプラットフォーマー(ヤフーやグーグルなど)も、単なる情報の運び屋であるという時代は終わって、メディアとしての社会的責任を自覚することが必要である。書店も、プラットフォーマーとしての側面を、もう少し意識して活動する時代になってきたのではないか。

法で民主主義を謳う法律は三つ。
①公文書管理法
②文字・活字文化振興法
③放送法
③だけは戦後まもなく1950年制定(他二つは近年できた)

放送形態として
・国営
・商業
・公共
日本は「公共」「商業」。中国、北朝鮮、ロシアが国営(ロシアは商業も少し)が力を持っている。アメリカはほとんど商業。英国が「公共」がBBCで君臨する。日本は公共と商業が拮抗する稀な形態。

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