コメディ

客を泣かせるのはさほど難しいことではない。難しいのは笑わせること。

と言ったのはゴルドーニだったかソフィアローレンか。アリストテレス?

役者でない私にだって分かる。笑わせる困難さは。舞台で役者が泣けば観客も泣くが、役者が笑っていては観客は笑わないのだ。
間の取り方、空気感、セリフの妙、どれをとっても、一級でなければならない。

難しい。けれど、やっぱり追い求めてしまう。笑いだけは、私は外部の力を必要とするからだ。スッキリしたり泣いたり怒ることはできても、笑いだけはどうしても自発的に得ることは難しい。

そんな私には、腹の底から笑いたい時に観るものがある。

それは何でしょう?

それは気軽に楽しめるもの。

お金はバレエやオペラなんかよりも、いや、浅草演芸ホールでも下北沢の小劇場よりも、国立競技場チケットよりも、もっとかからない。なんなら無料でも楽しめる。
それに、ウイーンやザルツブルクなんかに行かなくても、着飾らなくても、家でも普段着でも観られるから旅費も衣装代もかからない。
セリエAやチャンピオンズリーグなど季節感ある楽しみと違い、割と年中、楽しむことができる。

肝心の内容ときたら、その辺のバラエティ番組やお笑い芸人の芸よりも、腹の底から笑えるものがあり、一等級であることは保証する。スウィフトもバスターキートンやらチャプリン、モンティ・パイソンも敵わないほどの喜劇王かもしれない。

そんな、優れた笑いの提供者がこの日本にいることを、ご存知でしょうか。

私はよく目にしていて、テレビやYouTube画面に向かってゲラゲラ笑うものだから、子どもたちが、「なになに?何がそんなにおかしいの?」と寄ってくる。

そんな理想的な笑えるコンテンツ。

さあ、何でしょう?

それは、国会の審議や政治家の記者会見。

国会ウォッチ20年ちょい、最初は要領悪い政治家たち、官僚たちの答弁や振る舞いにイライラ。グダグダさにモヤモヤ。人権感覚がバグっているおじさんたち(バイアスかかって失礼)に怒りが沸き起こり、なんて頭が悪い人たち、と、半ばキレていた。それが彼らの手法でもあるのだが。

そんな初心者ウォッチャーの域を超え、やはり継続は力なり、観続けていると、現在中堅どころ程度にはなってきて、成長している自分を感じる。イライラしないと言えば嘘にはなるが、絶望したり、私の想いを、人権を諦めたくはならないし、注視することを辞めない。

それどころか、愉快でたまらない。

なにしろ、吉本の芸人さんやバラエティ番組と違って、台本もなく、放送作家もいないし、ライブ感満載、次に何が飛び出すか想像できない(ある程度は想像できるが)、しかも、彼らは当選に命をかけていて、その地位に恋恋する仕草を隠そうともしない。滑稽極まりない。

ポジショントークばかりだからブレブレ。自身の政治哲学など持ちようもない哀れな小物の群れであるから、その詭弁がアバンギャルドすぎる。そして何より、得た地位と裏金ルートを手放したくないその「本気度」は、そこら辺の芸人風情にはとても勝てっこない。もういじましいほどに、本気である。

こんなに愉快な娯楽はない。

2022/10
元首相の野田佳彦氏による、故安倍晋三氏に対する追悼演説なんて、これ以上の良質なコメディがかつて、存在しただろうか?
本人同士は真剣なのである。ライターも真剣だろう。
だからこそ禁じ得ない口角の上がり。
野田氏が一言なにか口にする毎に混ぜてくるこの上質のユーモア。
ある意味、狡い。こんなのあり?こんな一級品のユーモアを作り出せるなんて、ジェラシーさえ感じるではないか。

※安倍晋三氏に対する銃撃の事件性そのものや、人が亡くなることを茶化すことでは全くない。心からお悔やみを申し上げるし、生前にきちんと裁かれて欲しかった。そして故人となったからとて、追求せねばならないことがあるならば、最後までし続ける。

ところで、みんながみんな、笑いの提供者ではない。
漫才師で言うところの「ツッコミ」「ボケ」の「ツッコミ」役の人がしっかりしている場合、この真剣さには、光るものこそあれど、笑える部分は一切ない。この人は、伏線張りである。しっかりすればするほど、ボケが生きてくるから重大な役回りである。
この場合の「ボケ」が、なんといっても美味しい役回りであり、長い間、自民党のお歴々が、狡いことにその役を担ってきた。いいなー。


「ツッコミ」役は「ボケ」を生かすためには、かなりキチンとしていることが求められる。
キチンとしているというのは、その人の是とするものがブレていないこと、それに尽きる。裏金も、キックバックも比較的無いことも大切。私的には、人権擁護派であることも必要条件ではあるが、残念ながらそうなるとグッと減る。
しかし、数は少なくても確かに国会内に存在する。そして私はそういう人に票を投げたいと思っている。

前述の、野田氏による追悼演説は、「ボケVSボケ」のパターンである。
これも、かなり高度な笑わせ術である。

「ボケVSボケ」で良く目にするのは、首相や大臣をまず誉めてから質問に入るパターンと、褒めたままそのものを質問にするパターン。これもなかなか、芸が深い。生半可な技術ではなかろう。

「ツッコミVSツッコミ」も、時々ある。最近では、国民民主党のどなたかとか、維新のどなたかとか岸田文雄氏とかゴニョゴニョゴニョ…とか、わりとこの辺りも高度な技の応酬で、横隔膜が痛い。

また、独演会もかなりイイ。

2023/3
岸田文雄氏は、子どもから首相になりたかった理由を尋ねられ「こうなってほしいと思うことを先頭に立って実現する仕事をしたいと思った。日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えた。「実現するには力をつけなければいけない」とも強調した。
どうしてこんなに、出来上がった役者なのだ?誰がフィクサーなんだろうか?我が国の最高権威の言葉が、これか、しかも、子どもに対してである。でき過ぎたコメディではなかろうか。いや、最早、ギャグか?ギャグセンスは、安倍晋三氏が最近ではトップオブトップであった。

洒落臭い!
嘘〜!
またまた!

私の大向こうは「成駒屋!」「音羽屋!」みたいに至ってシンプルである。
コメディの全体像と役者の輝く瞬間を見極める冷静な自分を常に持つように、しかも自分も楽しむことを心がけている。

そんな私の真剣な大向こうは、時折、洗練されていないヤジで台無しになることもある。

日教組
とかいうヤジを飛ばした御仁もいらっしゃるが、最早、日教組くらいしか言うことがないのだろうか。こういう頭の悪い大向こうは、やめてほしいものである。

いや、書いていて自分でもしみじみ思うが、本当に奥深い伝統芸能である。
国会中継は、私の人生に欠かせない、一等級の娯楽。

神様どうか、喜劇が、悲劇になりませんように。

最近のコメディ☟
報道ステーション2023/12/15

安倍派 宮澤博行 前防衛副大臣
涙を何粒か流しながらの画像と共に

「最初にしゃべるというのは、しゃべって潔白を証明して一抜けたというのは嫌だ。みんな苦しい思いをしているのだから、歩調を合わせなくちゃいけないとずっと思っていた」

「いろんな精査もだいぶ見えてきたなかで、“早く説明したい”“説明する機会がほしい”、そう思っていたところ国会最終日、ああいう形になって“もうこれは逃げることはできない”そう思った」

「しゃべりたいという思いと、みんなと歩調を合わせたいという思い、それをあの瞬間に決断した」

「本当に悔しいです。副大臣は簡単になれるものじゃない。政務官を経て、政策の研鑽を積んで、人間関係を作り、信頼を得てようやく務まる」

「特に防衛省は24万人の隊員の命を預かる役目がある。己を鍛えて鍛えて鍛えてようやくたどり着いた」

「お金については本当に申し訳ないけれども、自分として、できる限り厳正な管理をしてきた。だからこそ内実を見てほしかった。悔しいです」

Q.“不記載でいい”という指示があった?
「慣習だった。“今までのみなさんもこうなのかな”とどこかで思ったかもしれない」

「それを直そうと声をあげなかった我々にも責任はあるかもしれない」

▼宮沢議員に続いて“自白ドミノ”もー

安倍派 堀井学衆院議員
「事務所に起こったことを精査した時に、1000万円以上の不記載が確認されました」
「決して裕福な事務所ではなかったから、おそらくその時の秘書は事務所の経費に計上したのではないか」

安倍派 鈴木淳司前総務大臣
「ある程度の“経費補填”というか、ありますので」
(2週間前には“キックバックはない”と明言)
「ほんのわずかあるようですが、私としてはそういう認識でもらっているわけではないし、実際に手にもしないのでそうお答えしました」

谷川弥一「キックバックの裏金は受け取ったが使っていない」

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