本を読む

本とは一体、なんだろうか。

私にとって、あなたにとって、あの人にとって。
きっと、人の数だけ答えがある。

私の場合は、本を読むとは、娯楽の一つ。
映画、サーカス、音楽鑑賞、ゲーム、テレビ、スポーツ観戦、キャンプやコンサート、そんな仲間の一つと思っている。

時間潰しと言っても良いくらい、少しでも暇な時間を意識すれば、何かを読みたくなる。

そして私の思う「本」「読書」とは、活字を読む行為だと思っている。そこには文芸や哲学書も、雑誌、コミックも図鑑も辞書も学習参考書も新聞紙の挟み広告も全て「読書」認定だ。

私は広辞苑を読むのが好きだ。パッと手を離して偶然開いたページの、目に止まった言葉を読むのが好きだ。
そこからまた連鎖して調べて行くのも好きで、こんな充実した余暇の過ごし方はそうそうない。

街中の看板類だって、貪り読む。

言葉の海に浸る行為、それが私の趣味の読書。

図鑑はあまり読まないが、夢中になって読む子どもの気持ちは分かるような気がする。彼らは絵の海に浸っているのかもしれない。

🔸

読書をなぜするのか。自分の内面と対話できるからというのが私の理由の一つだが、それこそずっと文字を読むのが好きで、卵焼きが好きなのと変わらない。そこに本があるから読む。特にそこに理由も目的も目標もない。

したがって、月に何冊読もうと一冊を何度も読もうと、そこに優劣はないはずだと思っている。

さらに言えば読書をする人は偉いとか思わない。前述通り、サッカーが好きな人と一生しない人がいる。キャンプ好きな人と一生キャンプをしない人がいる。読書好きな人と一生読書しない人がいる、それだけのことだ。

読書をしたから国力が上がる?否。
読書にそんな力があるはずもない。

子どもたちは野山を駆け巡り優良なタンパク質とたっぷり睡眠を摂れば良いし、本がなくても豊かな心と想像力を育むことは充分に可能だと思っている、というより相関関係にない。(なんなら読書人で倫理観が欠乏している人は多数いる、私を含め)
それに本にそこまでの効力を期待すべきでない。なぜなら人間を作り上げるのは日々の営みであるから。

現在の教育委員会主導の子どもたち向け読書推進活動などは、眉唾物とまでは言わないが良し悪し図れないものである。本を読むことを正義としたところがスタートラインであるからだ。その上彼らの言う読書には、図鑑も学参も辞典も含まないそうだ。そして「何冊読むか」どころか「何冊借りたか」の数を競うに至っては愚の骨頂である。そのような読書推進活動だからみんなが本を読まなくなるのではなかろうか。

なぜ本を読むのか。
なぜ子どもに本を読めと大人が言うのか。
本とはなんなのか。

その視点での議論があまりにもおざなりになっている気がする。

大人が子どもへの読書推進するならば、そこもぜひ深めていただきたいものだ。

🔸

私は読書好きで本好きなので、以下は私観。

本は、親からの「早く寝なさい」攻撃をされても負けずに布団の中でこっそり読んでいるくらいの、または学校の帰り道に我慢しきれなくて歩き読書してしまうくらいの、趣味であり娯楽である。
読みたくてたまらない気持ちを生活の中で必死で抑えている類のものである。

しかし同時に、娯楽の中では多少、受け手(読み手)の体力を必要とすると考える。
娯楽としては楽しいが楽では無い。

スポーツと似たところはあるかもしれない。受け身では楽しめない。自らのアグレッシブな到達しようとするアクションが不可欠で、ただ浴びているだけで官能を味わえる音楽や映像と明らかに異なる。
ただし、一度その魅力に嵌れば割とそのあとはペダルを漕がなくても進む電動自転車のように力を抜けて楽しめるようになる。

そんな娯楽だ。
だから映像や音楽は丸腰で挑めば良いが、読書はスポーツのようにまずは環境を整える必要がある。フットボールで例えればペレやサンタマラドーナ、メッシのような天才はボールを与えておけば良いからさて置き、一般的には親が教えたり地域のクラブに入ったりして体験する。体験はまずは楽しくないといけない。学校にクラブがあったり授業でルールを教わったりすることも有効だ。

私自身は前述通り「自分の内面と対峙する」この作業のため本を読むことが多いが、この読書の目的は多々あれども、楽ではない娯楽は少しでも残ってほしい、人間どんどん楽な方に自然になる修正があるのだから、それに自らストップをかけなくてはならない。
民主主義には必要なものである。

そうすると、スポーツのように読書も、本を読む環境を整えないとどんどんシュリンクしていく運命。

そのシュリンクを少しでも緩やかにするためには大きく二つ。

①まず、本に触れる環境を整える。

②そして本を読むための環境を整える。

①について。

ひとまず情報を得る権利の担保として、何が何でも図書館の存在は大きい。

現在あまりにも簡単に事が進む傾向があるが、ここは国体の維持レベルの重要事項であると思っており「司書をAI」なんて愚の骨頂。AIがやるならまだ弁護士の方が向いている。司書は人間がやる必要があることは何度でも繰り返し負けずに言い続ける。AIが司書をやって、おそらくしばらくは上手く行くのだ。その「しばらく」は5年かもしれない、50年かもしれない、もしかして100年上手く行くかもしれない。しかし、司書は書籍界のマイスタージンガー。歴史を語り継ぐ大切な仕事。ここを人間の脳でやらないのは歴史を放棄するに等しい。

焚書は序章に過ぎない、本を焼く者はやがて人間も焼くようになる、というが、書を焼くことは未来をも焼くことなのだと思う。


図書館は小さな自治体、町村レベルにも必ずあって、さらにそれらの司書は雇用が安定して人数にも余裕があることが望ましい。

国立国会図書館が蔵書の電子化を進めて一部をネット上で公開したり、千代田区立図書館が電子書籍の貸し出しを始めるなどの「電子図書館」の取り組みはオッケー。

図書館を駅ビルの中に開館もオッケー。

運営を民間に委託しカフェを併設したりは、限りなく❌寄りの三角。

特に図書館民営化は反対。全力で反対。

あまりにもコスパだのタイパだの、力いっぱい反対である。もちろん経費削減は適度に必要だし、何十年も前の公務員の傲慢怠惰は繰り返してほしくない。でもやはりきちんと予算をつけて公がやるべきだ。因みに民営化と言えば郵便も鉄道も、水道はもってのほかである。民営化していいのはこの国最大の公営団体・自民党である。

指定管理者制度は今のところ上手くいっているケースも散見されるようだ。武雄市の取り組みが取り沙汰される。多様な図書館のあり方を模索する中で様々な形の図書館があると良いし、アメリカや韓国の好例を引くのももちろん賛成だ。だがこれは長続きしないし広がりも期待できない。「多様」はまずは公でしっかり軸を担保した上で語られる方が良い。


あと、カフェとかホント好きだなおじさんは。カフェをつけて一瞬業績がアップしたとて刹那の煌めきである。本質的な問いへの答えにはカフェはなりようがない。

文字文化はそのままその地域の知識文化の合わせ鏡。

図書館は必ず自治体にあるべきだ。

書店も無いよりはある方が良い。
ナショナルチェーンはもちろん世の中に必要だが、街の本屋はもっと必要だ。子どもたちが通学途中に(店内には入らないが)書店の門構えを目の端に捕えること、この積み重ねはかなり大切だと思う。ネットでは掴みきれない。
書店は書籍業界の有効なアウトリーチの手段の一つ。ここにコスパやタイパを当てはめるべきではない。

その他、本に触れる場は多いほどよい。図書館という砦をきちんと確保してのち、自由闊達な議論をして多様な広がりのある取り組みをすべきだ。

書籍界のトリクルダウンは決して起きない。大手だけが生き残っても、さらには出版社だけが生き残っても、歴史的に眺めればそのうち誰も生き残らない。

何しろ、本の楽しさ、多様性、健全さ、それらは「たくさんあって」なんぼ、なのだ。

出版は日本語がわかる人しか主に利用しない。つまり内需がこれだけ冷え込みこのまま低下して行けばいつか成り立たなくなる。

ある意味国粋の方々は専守防衛を語るなら書籍も語らないと片手落ちではないかと思う。書籍文化はある意味で国の在り方を図れる国防的な意味を持つものだ。
そもそも文字文化を粗末にする文明はあり得ないのだし。

②に関しては、本を読まないことを人の資質の所為だけに落とし込まない。

本離れは本から離れている人が悪い訳では全くない。

読書は上述通り手軽な娯楽では無いイコールまとまった時間、そして向き合う時間が必要なものだ。
経済的余裕と時間的余裕は比例するとすれば、世の中なるべく経済的余裕を持つ人たちが多いに越したことはない。
もちろん本を買うことができる経済的余裕もなくてはならない。書籍業界は、カルティエやヴァンクリーフアーペルとかシャネルとかジュエリーアパレルブランドなどと違う。大金を叩く人が1人でたっぷり買えばよいアパレルブランドとは違い、本は富豪が1人で何万冊買っても意味がない。できうる限りたくさんの人が読まなければ意味がないのだ。本は思想だから。

本を読む経済的余裕、そして時間的余裕、さらには、精神的余裕。
これらを産み出すのは、やはり行政の役割では無いだろうか。国政の責任は重い。

文系理系の分け方
予算の付け方
人材育成
経済界
役にたつ
稼げる大学
選択と集中

日々の国会審議の中で聞かれるやり取り、日々飛び込むニュースに、人文学の首の締まる思いしかしない。
人文学の軽視、芸術の軽視、人材の軽視、そして知識の軽視。
日々の政策、国会審議を眺めると、時間的余裕を阻み金銭的余裕もブロックされ、もちろんそれにより精神的余裕も無くなって行く市民の姿を想像する。
これでは、書籍文化は先細る一方。

日本が文明国かは私には分からないが、この国が果たしてどこに向かうのか注目し続けている。そして今のところ私の暗めの予想は残念ながら当たり続けている。

🔸

本について、読書について、もう少し丁寧に議論したいものである。

私が求めるのは厚労省の浅い会議ではない。どのくらい浅いかと言うと厚労省の会議はランペドゥーサ島かと見まごうほどの浅さ加減である。

🔸

本が大好き、出版界には頑張ってほしいと誰よりも願う私だが。

だが。

同時に、ここまで来てしまっては、日本の出版界も一度滅びた方が良いのかもしれないとも思う。
自分の書店がなくなるのは身を切られるほど辛いことだけれど、第二次世界大戦で一旦ボロボロになった出版は奇跡のように復活してそこから数十年は気概のある出版人が現れた。

韓国も一度出版がリセットされその結果現在の興隆に繋がっていると思うと、

悪習とは言わないが慣習の鎖をを一度断ち切る勇気は必要なのかも。
どうなんだろうか。

書籍文化は無くしちゃいけないけれど、今の新聞も含めた界隈の決定権者は高齢の男性で概ねバブル世代のただの歴史的運の良い世代で大したアイデアも持ち得ず前例を踏襲するだけで巨額の富を手にできた人たちのため、思い切った改革ができない。(どの会議を見ても見渡す限り男の群れである)

この決定権を持つ高齢男性たちが一度、すっかり居なくなった後に、果たして何か産まれるのか。

期待したい。

03年の地方自治法改正で、公共施設の管理・運営をNPO法人や企業など民間が代行できる「指定管理者制度」がつくられたのをきっかけに、この制度を活用して民間企業に運営を委託する公立図書館が増えている。特に目立つのが民間書店への管理・運営の委託。
例えば図書館流通センター(TRC)は全国186館(13年7月1日現在)で指定管理者として管理・運営しているほか、紀伊国屋書店も東京都などの図書館の管理・運営実績がある。

 書店が図書館の管理・運営に乗り出している背景には昨今の厳しい出版状況がある。12年の書籍販売額が約8013億円と6年連続で前年割れとなっている中、公立図書館の数はここ10年間で2割増えている。公共図書館が本を買うための予算は減少傾向だったが11年度は1館あたり956万円で18年ぶりに前年度を上回った。書店は図書館にも本を販売しており、安定的な販売先として、公立図書館が注目されている。書店が図書館の運営に加われば、その図書館に対する書籍の売り込みなどで有利になり、どんな本が図書館で人気なのかを把握できるメリットがある。

 図書館側も民営の経営ノウハウによりサービス向上とコスト削減が期待できる。民間委託の成功例として注目されているのが佐賀県武雄市の図書館。同市は12年5月、DVDレンタルの「TSUTAYA」や書店を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を市の指定管理者とし、5年間運営を任せる方針を発表。市が約4億5000万円、CCCが約3億円を負担して図書館を改装し13年4月に開館。開館時間は午前9時~午後9時と4時間延長し、年中無休に。自由に手にとって読める開架式書架の蔵書も2倍の20万冊に増える。入り口近くにはTSUTAYAと新刊書を販売する「蔦屋書店」のほか、CCCがフランチャイズ経営する「スターバックスコーヒー」もあり、飲み物を片手に本を読める。TSUTAYAのポイントカード「Tカード」が図書館利用カードとして使え、貸し出しにポイントがつく。改装前から働く司書はCCCが継続雇用し、書店や飲食業の利益で人件費を賄う。
 CCCは読書に興味を持つ人が多い図書館に書店を出店でき、効率的に売り上げを伸ばす新たなビジネスモデルのノウハウを入手できるというメリットがある。武雄市は利用者の利便性の向上を図るとともに、年間1億1000万円の委託料を支払うことで、直営時より年1000万円のコスト削減につなげたい考え。
 書店やカフェの併設などが話題となり、4月末の来館者は前年の5倍に急増。地元の書店やレンタルDVD店からは「税金を使った民業圧迫だ」との批判も出ていますが、公共図書館のあり方に一石を投じる動きとして注目されている。

図書館法第17条には「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。」 とあり、いわゆる「図書館無料の原則」に基づいているからです。 教育基本法では、国民の教育の機会均等を謳っています。 そのため、基本的な利用のあり方が無料であることが最低要件となっています。

無料制の近代公共図書館は19世紀半ばに英米で成立した。わが国では、明治41(1908)年に東京市立日比谷図書館が開館し、明治43(1910)年には全国で374館の図書館があったが、図書館法制定以前の戦前・戦後の公共図書館の大部分は有料で、昭和25(1950)年の図書館法制定によって無料となった。そのため、図書館法制定以前の日本の公共図書館は近代公共図書館ではないと言われている。
 図書館法制定後、公共図書館では、開架、移動図書館、レファレンスサービスなどが取り組まれたが、その後、読書運動や団体貸出に重点を置くようになり、利用は伸び悩んだ。昭和45(1970)年の『市民の図書館』(日本図書館協会)の出版等を契機に、貸出サービスと児童サービスに力を入れたことによって、利用が大幅に増加し、図書館数も増加して、公共図書館は発展してきた。

みなが本によって自然科学にせよ社会科学にせよ、文学にせよ、自己の経験することのできない広い世界から間接的知識を得たり、感性や知性を育むことに最大の役割がある。そのために図書館が有効に機能することが地域全体の人材育成、人間形成にとっても欠かせない。民営化が相容れないことは、直営に戻した下関の事例が歴然と示している。


日本学術会議の任命拒否問題

まず「稼げる大学」とか言って人文学を軽視し続けてきたあなたの属している自民党の政策の数々から見直してはどうか。

「稼げる大学」こと「国際卓越研究大学」に関する法が5月18日、国会で成立しました。これに対し、大学教職員や学生などからは反対の声が多くあがり、可決前に約1万8千筆の反対署名も提出されました。「稼げる大学」とは何か。日本の大学にいま何が起こり、どこへ向かおうとしているのか。「大学の自治」に詳しい、明治学院大学の石原俊教授に聞きました。
この20年間、「選択と集中」「トップダウン型のガバナンス改革」をキーワードに大学改革が進められてきました。当初は、2004年の国立大学の法人化に象徴されるような行政改革の一環でした。

第2次安倍政権で大きく変質します。下村博文・文部科学大臣(当時)の主導のもと、14 年に学校教育法を改正し、「大学の重要事項を審議する」機関であった教授会を「学長からの諮問事項を審議し意見を述べる」機関に格下げ。「大学の自治」を弱体化させ、政府が大学の研究内容や人事にまで介入するようになりました。

令和2年2月13日
                           日本維新の会
                    政務調査会長   浅田 均
                    政務調査会長代行 浦野靖人
  「学校図書館年に関する決議」案に対する我が党の見解

令和元年の第 200 回国会に付された「学校図書館年に関する決議」(案)に 対する日本維新の会の立場を説明します。
我が党は、同決議案に反対しました。その理由は以下の通りです。
近年、日本の児童・生徒たちの読解力を中心とした国語の能力低下が叫ばれているなか、学校における国語教育を充実化させていく上で、学校図書館は大切な設備であることは疑いがなく、一概に不要であるとは考えておりません。 むろん図書の重要性は否定しません。

しかし、学校図書館がその役割を十分に果たしうる環境、態勢が整えられなければ、無用の長物になりかねません。わけても公立学校の図書館は税金で運営、管理されており、機能面だけでなく合理性も強く求められます。教育のための設備とはいえ、無駄が認められないのは他の公共施設となんら変わりありません。

そうした観点から、日本維新の会は、決議案にある「学校司書の配置促進と専任化など学校図書館のさらなる拡充」には同意できません。公立学校の図書館であれば、やみくもに公務員の数を増やすことにつながりかねないと考えるからです。

日本維新の会

東京都清瀬市議会(定数20)の第1回定例会最終本会議が28日に開かれ、市立図書館6館のうち4館を廃止することなどを盛り込んだ条例改定案を自民、公明の賛成多数で可決しました。共産、立憲、ネット、無所属の議員ら9人が継続審査の動議を提出しましたが、否決されました。

 条例改定案の内容を知った市民有志が撤回を求める緊急署名運動を展開。「私たちの知らないところで勝手に決めないで」と駅前などで訴えました。2週間ほどで3900人を超える署名を集め、市長あてに提出。市民の取り組みが議会の力関係を変え、常任委員会で賛成した一部の議員も最終日には反対にまわりました。

 討論に立った日本共産党の原田ひろみ市議は、「なぜ地域図書館の廃止か、市民には困惑と疑問、怒りが広がっている。市政への不信感も広がっていることに危機感を感じるべきだ」とのべ、市民への説明と対話を求めました。また、「知的インフラである図書館を経費削減の対象にすべきではない。正規職員司書を増やし開館時間を拡大するなど利用者を増やす努力を」と訴えました。

 この日の本会議は、2024年度予算案を賛成多数で可決。共産党は反対しました。

2024/3/30しんぶん赤旗

書店・図書館など「対話の場」 まとめを公表 課題を共有 具体的な解決へ

JPIC, 出版文化産業振興財団, 図書館, 文部科学省, 日本図書館協会, 書店・図書館等関係者における対話の場2024年4月9日

 出版文化産業振興財団(JPIC)は、昨年10月から開催してきた「書店・図書館等関係者における対話の場」での議論の内容をまとめ、公表した。日本図書館協会(日図協)、文部科学省総合教育政策局と連携して、書店・公共図書館・出版社・著者・自治体の関係者が参加した会議では、公共図書館がベストセラーなどを大量に貸す「複本問題」などについて話し合った。今後、JPICと日図協は「関係者協議会」を設置し、対話の場で上がった課題を解決すべく、具体的に取り組むとしている。

 対話の場は、自由民主党「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」の第一次提言の要求を受けて設置された。「著者、出版社、書店と図書館との共存・共栄による新たな価値創造を推進」するための有識者会議。JPICと日図協、文科省の共催で、事務局は文科省が担当した。構成員は、著者・書店・出版・図書館・自治体各関係団体の計14人。座長は大場博幸日大教授(図書館情報学)、副座長は松木修一JPIC専務理事、岡部幸祐日図協専務理事兼事務局長が務めた。

 JPICなどによると、主に、エンターテインメントジャンルのベストセラーや人気作家の最新刊を、何十冊も購入し、数年先まで「予約待ち」の利用者が出て、「無料貸本屋」と批判されてきた複本問題は、「影響あり」とする出版界と、「影響なし」とする図書館界とのあいだで、溝が埋まらないまま、大きな対立点となってきたという。

 「対話の場」では、座長である大場教授の論文「公共図書館の所蔵・貸出と新刊書籍市場との関係」(2023年)に基づき、
①全体として図書館による新刊書籍市場へのマイナス少数の売上部数の多いタイトルへの影響は小さくないことが確認され、複本の影響について、対話の場での共通認識とされた。 「出版・図書館関係者が参加する会議の場で、『複本の新刊への影響はある』と合意できたのは初めてのこと」と成果を強調した。

また、装備無料・値引きの実態についても話し合われた。納入の際、図書館から定価の値引き販売が求められるだけでなく、250円ほどかかるビニール張りなどの装備の無料が求められ、利益を圧迫することが問題になっていた。一方、図書館側も資料費削減のなかで、1円でも安くという行政組織上の要請や、装備にもいろいろな条件があり、地元書店にお願いしたくでも、専門の会社にお願いせざるを得ないとの事情も示された。

「そのような中、対話の場では図書館を含む自治体に対して、装備代の書店負担について改めて検討するべきとし、装備代も含めた図書購入が可能となるよう図書館と書店や出版社は協力して、予算増を求めていくことが重要だとした」と報告している。

対話の場で提起された課題を実現するため、関係者協議会を設け、ジャンル別のワーキンググループで詰め、一年以内に取り組みを具体化する。本や装備・値引きに関しては、「現場の頼りになるようなルールやガイドラインなどの仕組み、書店・図書館の協働に関しては、意欲のある現場の図書館員さんと組み、パイロット版となるような先進的な取り組みを実施したい。特に、完成間近の書店在庫情報システムを使った相互乗り入れは、実証実験まで持っていく」としている。

書店・図書館など「対話の場」まとめ(要旨)
出版文化産業振興財団(JPIC)は、昨年10月から開催してきた「書店・図書館等関係者における対話の場」での議論の内容をまとめ、公表した。要旨は次の通り。

書店・図書館等の連携促進に向けて(書店・図書館等の連携を図る上での検討事項について)
自由民主党「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」の第一次提言では、書店と図書館の連携促進に係り、例えば過度な複本購入や地元書店からの優先仕入れの推奨、図書館と書店が共存できるルールづくりの検討が求められた。
第一に、複本問題および図書館の所蔵・貸出が書店等の売上に及ぼす影響について次のことを確認した。
日本図書館協会の調査によればベストセラー本の複本は平均1・46冊で、図書館の約6割の図書館の複本は「2冊未満」で過度とはいえない状況にある。

また、全国の公共図書館の所蔵・貸出が新刊書籍市場に与える影響について分析した2023年の実証研究は、①平均すれば、全体として図書館による新刊書籍市場の売上へのマイナスの影響は大きくないことを示した。ただし、②同時にそれは一部のベストセラーに限ればマイナスの影響が小さくないことも付け加えている。

これらについて、複本にかかる本対話の場での共通認識とされた。

これに対し、図書館市場に買い支えられている小規模出版社も多いとされ、図書館は文芸やエンターテインメント、学術など多様な本を収蔵する場であり、多様な利用者がいる中で売上への影響のみに着目して、所蔵や貸出を議論することはできないとの意見があった。

第二に、図書館の地元書店からの購入について次のことを確認した。図書館設置自治体にある書店または書店組合からの購入は非常に多い。自治体内のみから購入する図書館は28%、自治体内外の併用が66%であり、自治体内外を併用している図書館でも、多くはそのほとんどを自治体内で購入している。
一方で、装備を含めた上での定価購入や、それに加えて割引による購入を求める自治体は一定数ある。その結果、書店側が十分に利益を得られていないケースもみられる。

これに対し、図書館と書店の連携促進の観点から地元書店からの購入を推奨するにあたっては、各自治体における購入方法に対して装備に係るコストへの考慮を求める必要があるとの意見があった。
そのほか、図書館の資料購入についてのガイドラインの策定や複本で購入する数の基準の明示を求める意見、まだ新刊で入手できる書籍を、複本で揃えるために図書館への寄贈を呼びかけることを問題視する意見、書籍の売上に影響する要因についてのさらなる実証調査や、図書館員・書店員に対するアンケートによる現場の意見聴取等が必要だという意見もあった。
これらを踏まえ、以下について図書館、書店、出版等関係者へ共通理解や検討を求めていく必要がある。
〇複本や購入のあり方については、形式的なルール等よりもまずは関係者間の相互理解が重要である。複本への問題提起に対して、書店、出版等関係者は、先述の①にあるように図書館による売上への影響は全体として大きくないことを共通の理解とする必要がある。

同時に、図書館等は②にあるように一部ベストセラーに関しては書籍市場へ与える影響は小さくないことを理解する必要がある。その上で、図書館は利用者のみならず住民の要望および社会の要請に応えるため、将来にわたり多種多様な資料を収集・整理・保存・提供していく使命を果たしていくことが求められる。

〇図書館の主な評価指標として、入館者数と貸出冊数があり、これらがベストセラーの複本の購入に影響を与える可能性も考えられる。図書館の主たる評価指標が貸出冊数に置かれていることが過度な複本の理由であれば、多様な評価指標を取り入れる等の対応も検討する必要がある。

〇書店は、図書館が地元書店から購入する際に装備に係るコストを考慮することを期待している。この点について、図書館・書店等関係者が課題意識を共有し、所要のコストを含む図書館予算の充実に向け、自治体内の理解を求めていくことが重要である。
地域において、図書館と書店、出版社が共存することで生まれる相乗効果を期待したい。

(書店・図書館等の連携促進方策)

以上の議論を基に書店・図書館等が直面する現状と課題に対して、書店・図書館等関係者が協力し、読者人口を増やすこと、すなわち「読者育成」を目指すことに大きな意義があることを確認した。本対話の場ではこれに向けた具体的な連携促進のモデルや提案が示された。

〇書店在庫情報システムの開発と図書館との連携

図書館内に書店管理の書籍注文ができる端末を設置し、ロングテール19の書籍販売を促すことや、図書館のOPACと地域の書店の在庫システムを連携させることにより、本へのアクセスの向上を図ることが考えられる。現在、出版文化産業振興財団では、小規模書店を含む近隣書店の在庫情報が検索できるシステム構築を目指した「書店在庫情報プロジェクト」を進めており、図書館のOPACとの連携も検討している。

〇書店での図書館資料の受け取り・返却、図書館での書籍販売等

図書館で予約した書籍を、書店で受け取れるようにする工夫も考えられる。休館日がなく営業時間も長い書店の場合は利用者の利便性向上につながり、実際に書店での受け取りサービスを行う書店で、来店客数の増加や売上に良い影響を与えている例も見られている。

あるいは、書店がない地域で図書館が書籍販売を行うことなども考えられる。このほか、発注や在庫管理の仕組みの変革とICTの活用により、未経験の若い人が空き店舗に出店できるような環境づくりや、観光ホテルのライブラリーなど書店以外でも気軽に本を売れるようになることなどを期待する意見もあった。

〇「図書館本大賞」(仮称)の創設

毎年、各種の文学賞や書店員による本屋大賞は多くの関心を集めている。例えば、今後、全国からランダムに選出された図書館司書等から最も多くのお薦めを得た地域の作家の本を表彰する「図書館本大賞」(仮称)を創設することも考えられる。図書館司書は多様なジャンルの本の魅力を十分に伝えられる潜在的な専門性を持っている。

また、広く世に知られていない地域の作家の著書を知ってもらう機会となるなど、地域からの出版文化の振興と、普段、本を読まない人も読書に関心を持つ訴求効果が期待される取組となると考えられる。

〇優良事例の収集・普及

全国では、書店・図書館等の連携により様々な特色ある取組が展開されている。例えば、図書館と書店を訪れるスタンプラリー等のイベント、図書館での作家による基調講演、近隣の学校の生徒が本の紹介を記したポップと本を書店と図書館で並べるフェアなどにより地域の方に本の楽しさを伝える取組、出版社と図書館との連携によるデジタル絵本コンテストの開催により書き手の育成も図る取組例等が挙げられる。

今後、関係者が新たな取組を行う際の参考に資するよう、国において、地方自治体、書店等関係者と協力し、全国各地で行われている特徴的な連携の取組を事例集としてまとめ、広く情報発信することが求められる。

今後の検討について

書店・図書館等の連携を図るためには、国において一定のルールを示すのではなく、関係者間の相互理解を積み上げ、協力できるところから始めていくことが必要である。

今後、関係者間により、本対話の場で提案された書店在庫情報システムと図書館の連携や「図書館本大賞」(仮称)等の連携方策について、より具体的かつ実践的な方策について協議や実証を推進していく必要がある。

また、図書館における多種多様な資料選択、装備のあり方も含めた地元書店からの優先的購入等、書店・図書館等の現状に係るエビデンスの収集・分析とこれに基づくガイドラインの必要性など引き続きの検討を進めていく必要もある。

本対話の場については、今後の検討枠組みを書店・図書館等の関係団体の代表者等から構成される協議会として、より組織的な体制に発展的改組する。その上で、上記に挙げられたような課題の検討を行い、実践的方策に取り組んでいく。

同時に、国は書店・図書館等の連携に係る優良事例の普及を図っていく等必要な支援を行うこととする。

文化通信2024/4/7


既視感極まりない取り組みが多数見られて、何も根本的な解決につながりそうも無い。

「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」
この会長は、かの塩谷立氏である。(笑うところである)

自民党の諸問題、裏金や世襲、自己保身(自己保身自体は悪いことでは無いが)、そういったことから来る、ビジョンなき政策の連続が、出版界を苦しめているのだとすれば、

「街の本屋さんを元気にして日本の文化を守る議員連盟」のほとんどの議員さんが辞めることが最も「街の本屋さんを元気にする」ことに繋がるという事実は、何度も繰り返して告げて行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?