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「禁則」って何?【和声法】

――和声の集団授業は実は困難なことがらである。~中略~
実技の実習は個人指導によらないかぎり充分な成果がみられないからである。~中略~

――この趣旨にそう教科書を作成するためには、和声理論をして充分に合理化された理論体系たらしめておかなければならない。~中略~

――対象の限定によってのみ理論の体系化が達成できるのであり、対象を限定するとすればもっとも普遍的な古典的音楽をあつかうほかない ~中略~

 
もちろん、生徒をいたずらに一つの枠に閉じこめることを意図するものではない。古典的音楽を理解することが教育の第一歩であると信じているからである。~後略~ ――

出典:島岡譲(1967).『和声 理論と実習 Ⅰ』音楽之友社、p1 「本書の趣旨」より


 テキストには「禁則とは何か」なんていちいち書いてないですよ。
「普通の日本語」として使っているつもり、のだけのワードです。
(そこに書き手と皆さんとの間で、ディスコミュニケーションが発生しているかもしれませんが。)

 「普通の言葉」だということは、その意味する所は、その時々で変わり得る、ということです。変わり得るからすれ違うんです。

元々エンジニアサイドも ”額面通り” の意味で使っていただけ。
受け取り手の ”額面通り” が、(風俗の違いにより)異なるニュアンスだったために、
第三者視点からは「2通りの意味(の定着)」を認めざるを得なくなってしまったもの。

 本書のシリーズで一番最初の『原則』は、ソプラノ、アルト、テノール、バスそれぞれの「音域」についてです。Ⅰ巻18p です。

 これについては、直前の 17p に、

――和声は元来合唱音楽から起ったものであるから、声部という観念から切り離すことはできない。――

とあります。

 出せる音域は人によって違うし、そもそも声楽曲ではないものを書く時は関係ありません。

いらすとや 様より。

 ここは「これらのように音域を制限しても、和声法的な処理を良好に実施する方法が概ね存在するので、まずはそれらを知って欲しい」と受け取れば良いでしょう。
 つまり、古典派的なボキャブラリーからはみ出した実例については、声楽曲であっても先の音域をはみ出したり、「あえて音域については破る選択によって、他の項目を満たす」ことが優先されていたりもするでしょう。



 本書のシリーズで一番最初の『制限』は、一つ一つの声部における「長・短7度進行」「増音程(増1度を除く)進行」「複音程(9度以上の音程)進行」です。

 これは、(本書には特に明記が無かったと思いますが)音楽作品の実例の中で、ハーモニー的・和音的要素の根幹部分としての ”和声” 部分が、原則的には「静謐に・最小の動きで連結されていくことがベスト」であるというイデオロギーが前提とされているからです。

 知っておくべきは、和声法のアプローチで曲を組み立てるならば、「まず土台としての ”和声” をしっかり繋ぎ、組む」→「その後に飾りつけをして曲としての体裁を整えてフィニッシュ」という、二段階を経るということです。

 すなわち、Ⅰ巻とか、曲の土台部分としての ”和声” を取り扱っている段階では、メロディラインを豊かにするとか、あるいは面白く・魅力的にするとかいうことは「考える前」の段階です。

 「和声法では7度跳躍や増音程跳躍が使えない」とかいうことを吹聴している人がいたら、クラシックにわかです。しかも恐らく、Ⅲ巻「構成音の転位」の項を読んでいません。受け売りマンです。
 意味を解っていないので、もう参考にしない方が良いでしょう。



 本書のシリーズで一番最初の『禁則』は、2声部の同時的進行(ぴったり同じタイミングで次の音へ移る)における、「連続8度」と「連続1度」です。

 先程も ”声部” と出て来ましたが、この項目を理解するためには、クラシックの実例における ”声部” の「本当の所のニュアンス」を知る必要があります。

 ”声部” とは、”和声法的” に診ている時分に”1パート” とカウントする意味のあるパート」を数える呼び名です。
 弦楽四重奏が全ユニゾンしていたら、その区間は1声部(の音楽)です

 この場合、(同度ユニゾンではなく)オクターブ・ユニゾンを含んでいても、1声部と考えてしまうべきだと言えます。
 オーケストラの全ユニゾンも、(明確なピッチの無い打楽器を除き)違うピッチクラスを鳴らしているパートが一つも無いのであれば、その区間は1声部です。
 一名のフルート奏者だけがメロディAを奏し、他の楽器100人が全てメロディBを奏しているならば、2声部です。

 例示的説明しかしていませんが、「(和声法的に)カウントする意味がある」とは、こういうニュアンスです。

”声部” の適切なカウントという段階は済んでいる…という前提で、
「古典派的・ホモフォニックな音楽は概ね ”4声部” で必要十分である」ゆえに、
「S、A、T、Bの4声部に仮に代表させた捨象的・形而上学的な議論」をしているのが和声法の本。

 全く理解できなかったならば、レッスンのご利用をお願いします。

 だから「『運命』の冒頭は有名な連続8度」とか言っている人が居たら、和声法の意図をなんも理解していません。
 でも音大の教育者クラスにも居るみたいです。これはもうテキストが悪い。テキストの責任ですね。
 「1声部の音楽に連続○度なんて考える余地が無い」と言い放って欲しい所です。

ただし、和声課題の中では使わないよ。前述の通り ”声部代表を全員呼び出した後を仮定した
抽象的議論” だから。「重複さすくらいなら片方休符にしとけ」ってなる。それもしないけど

 「ユニゾン」は「(完全)1度ハモリ」、「オクターブ」は「(完全)8度ハモリ」と表現してもまぁ良いはずなのですが、あまりそう表現しないことからも、「ハモリ」としてではなく「そういう1音色」の効果、だと捉えるべきです。少なくとも、そう捉えるのが和声法的です。

 ここまで来ると賛否はありますが、「完全5度のハモリ」の見た目をしているギターの「パワーコード」という奏法も、「そういうサウンド・そういう音色効果の一つ」であると考えた方が良い、と私は教えます。

『不健康法師』冒頭のリフ。(主音は F とも受け取り得るため、調号は便宜的)
機械的に完全5度音を重ねているため、B5 という、一見キーにそぐわないコードが出てくる。
英語音名表記なので注意。B♮ の意。

 この立場に立っても良いならば、パワーコードの実例をして「連続5度はロックやポップスでは全然使う」という論も、的外れです。出すべき実例が違う
 パワーコードも、「2声部のハモリ」であると見なさず、「そういう音色の1声部」に近いもの、であると見なすからです。

「倍音的な補強」ね。オルガンでストップを足すのと、やりたいことは同じ。加算合成。
この効果に近づいてしまうから、逆に歌のハモリとかで「5度ハモリ」って使いづらい。
4度ハモリは比較的あるけど、やっぱ「中国風」とか特殊な感じにも使うでしょ。

てかこんな理屈的説明 以前に、藝大和声は「古典的音楽」の話。以下同文。

↑ 「完全4度ハモリ」の響きをフィーチャーしたサビ。

↑ 完全5度ハモリ。必然的に属調との複調の様相を帯びる。
本家動画はハモリが小さいため、よく聞こえるカバーをご紹介しました。

↑ 完全5度ハモリ。「右往左往してゐる」の部分。

 ギターと言えば、ギターのコード・バッキングも、和声法の同時進行系の禁則を考える道理が無いですよ。あれは演奏の都合で同時発音6音だったり5音だったり4音だったりするし、「それらの一音一音が、一つ一つ ”声部” として独立している」という聴かれ方を、普通はしないものでしょう。

 あれは「Em7」など任意の特定のコードを、「漠然と空間に充満する存在」としてかき鳴らす楽器として、あるいは「コードも鳴るパーカッシブな楽器」として、音楽を支えるために起用されます。

 流石にちょっと強引な言い方に聞こえるかもしれませんが、「”コードの充填” という1声部」のように思うこともできると思います。「”声部” としての処理を大して気にしない」という意味では、間違いではありません(じゃあ ”0声部” か?)。
 バロック期の「通奏低音」で足されるチェンバロとかも、似たような感覚の位置づけだったんじゃないかな。

いらすとや 様より。

 そもそも 5度の連続8度の連続” を避けながら弾けるようになんてできてないでしょ、スタンダードな調弦が。


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