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空き家再生プロジェクト(その2)

出雲大社参道の古民家再生

私が空き家再生プロジェクトをはじめに行なったのは、2010年に出雲市で友人達が主催して行った「City Switch 2010 Izumo 」というワークショップに講師として参加した時のことでした。この頃は、まだ、空き家問題などが取り上げられることもなく、古民家再生も特に盛んではなかった時期で、私としてもその後続く空き家再生プロジェクトの第一弾になるという意識は特に無いまま、参加者と一緒に取り組んだプロジェクトです。参加者は公募で集まった学生で、オーストラリアはシドニー工科大学からの外国人学生2名と、国内の各地から来た建築学科の学生4名の合計6名が5日間ほどの共同作業を行うワークショップでした。

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出雲大社の正面にある「神門通」という参道に面した戦前の町屋2軒を対象として行いました。写真はワークショップ2日目の様子です。到着して初めて見る古民家だったので、我々が初めに行ったのは、大掃除です。暑い夏に古民家の長年の埃を払って拭き取る作業はなかなか大変ですが、ずっと閉ざされていた古民家がゆっくりと息を吹き返す瞬間でもあります。埃だらけの畳を、一旦取り外してはたいて干し、きれいに拭き掃除してから戻します。初めは靴でしか上がれなかった畳を綺麗にすることで、その上で座ったり寝転がったりできるようになるのはとても気持ちいい体験です。学生達と話し合った結果、広い土間のある一軒はまちの観光案内などをする「まちのギャラリー」として使い、もう一軒は、「まちのリビング」のような場所として解放しようということになりました。

この古民家の問題は、古民家にはよくある事なのですが、住み手が行なった改修によって建物が街に対して閉ざされてしまっていることでした。かつて、通りに対してある程度開かれていたと考えられる窓にはカーテンが引かれ、部屋にはエアコンが設置され、通り側には木の塀が建てられてプライバシーを確保するように作り替えられていました。このため、せっかく綺麗な松並木のある神門通りの景色を眺めることもできず、建物はとても閉鎖的な印象になっていました。

神門通り昔

昔の様子はこんな感じだったと思います。通りに面して縁側などで開かれ、建具を開放すれば風が抜け、涼しいと同時に開放的な日本の町屋の様子をスケッチで描いたものです。町屋なので手前に見世(みせ)があり、奥や二階に座敷がある作りになっています。出雲の町屋の見世には土間と座敷の両方がありました。

神門通り最近

その後、住みてによって改修が行われ、通りに面して塀が立てられ、部屋は閉ざされてエアコンが設置され、窓にはカーテンが設置されていました。これが我々が目にした空き家の状態でした。2枚前のワークショップ2日目の写真の奥、学生が二人立っている背後にある古民家に、木製の塀が写っているのがお分かりでしょうか?

日本の古民家の多くは、これに似たような改修が行われているケースが多いです。現代の生活に馴染むようにプライバシーを確保し、エアコンを効かせるために閉鎖的になるのです。これによって古民家は薄暗い古びた性能の悪い古屋に堕してしまいます。本来持っていた日本建築のゆったりした雰囲気や開放感は否定され、締め切った薄暗い和室の中央には必ずと言って良いほど和風シェード付きの蛍光灯照明が吊り下げられ、雰囲気をさらに台無しにしてしまっています。

神門通りの場合、さらに、大きなまちの課題がありました。

我々がリサーチをした初日、自転車でまちを巡った後に話し合ったのですが、「なぜ今でも多くの観光客が来ている出雲大社のメインの参道がこんなに寂れて空き家が増えてしまったのか?」というのが学生から発せられた謎でした。私には、この時点で答えは見えていました。それは、市が、出雲大社の近くにバスの駐車場を作ってしまったからです。これと同じ現象は各地で起きていて、アレックス・カー氏の「観光亡国論」でも、全く似たケースとして、小田原城や、瀬戸内海の大三島の大山祇神社の例が挙げられています。観光客は駐車場に直接乗り付け、参道を歩くことなく出雲大社に行き、お参りしてすぐに帰ってしまうのです。参道を歩く体験はお参りの気持ちを高めることでもありますし、かつては神門通り沿いにはお土産ものや飲食店が軒を連ね、賑わっていたと言いますが、見る影もありませんでした。

空き家再生の話に戻りましょう。住みてによって後から加えられた雑多な要素、プライバシーを確保するために付け加えられた古民家の塀やカーテンの話をしました。我々は、「マイナスのデザイン」と呼んでいますが、これら雑多な要素を撤去し、掃除して片付けることで元あった空間の純粋な形が見えてきます。我々は所有者の同意を得て、カーテンと塀を撤去し、エアコンの室外機を移動させ、部屋の窓を神門通りに開け放ってみました。

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すると、通りと座敷の空間が爽やかな一体感を持って感じられたのですが、何かが足りない気がしました。「通りに面して腰掛けられるといいよね」ということになり、それでは縁側を作ろうということになりました。写真は塀を撤去してエアコンの室外機を脇に寄せ、濡れ縁を作っているところです。現地でにわかに調達出来る材料が限られていたため、造りは雑ですが、二間間口の縁側です。

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また、最後には二軒ともまちの方々にお披露目会をすることとし、目立つように軒先にのれんを吊るそうということで、のれんのデザインを学生達が行い、布を買いに行って借りてきたミシンで縫う作業も行いました。縁側を作る作業は私と二人の学生が担当し、約半日で、木製のしっかりした縁側を作ることができました。残りののれんを縫う作業は座敷で行い、せっかく気持ちいいので窓を開けて行なっていたところ、面白いことに、縁側にお客さんが訪ねてくるようになりました。近所の方々です。「何やってるの?」といことでワークショップの説明をし、逆に地元の方々からは地域の様子を聞きます。今まで閉鎖的だった空き家の窓を開け、縁側を作ることで、縁側から地域の方々がひょっこりと気軽に訪ねやすい雰囲気ができたのです。話を聞いていると、昔はこんな縁側は各家庭にあって、学校帰りなどには近所のうちで腰掛けて話をしたりお茶やお菓子をいただいたという幼少期の体験を年配の方が話してくださったりしました。なるほど、縁側は住宅とまちの接点だったんですね。作業をしていると、「暑いでしょう」と近所の方々が、冷えたスイカやアイスクリームを差し入れに来てくださったりもして、我々は「縁側」の持つ魔法のような交流拠点としてのポテンシャルにひたすら感動しました。「縁側」の「縁」は端というような意味だと思いますが、「ご縁」の縁でもあり、英語で言うインターフェイスのような端にあって外部と接触するために交流のきっかけになる場というような語源があるのではないかと考えた経験でした。

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写真のアイスクリームは縁側が「ご縁」でいただいたものです。

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このスイカも。縁側の横は参道の通りです。そんな通りに面してベンチのように縁側がありそこで食べるスイカは格別でした。

さらに、このプロジェクトでは嬉しい後日談もありました。

「今までこんな空き家があるとは知らなかったわ。」というのが地元の人々の話で、塀で閉ざされていた空き家は皆さん、素通りしていた様子でした。我々のお披露目会でいろいろな方々のお目に触れ、その後もオーナーさんに「ちょっと見せてくれ」というような話があったようで、プロジェクトが終了後まも無くして、「まちのギャラリー」にしていた一軒にはパン屋さんが、「まちのリビング」にしていた一軒には雑貨屋さんが、それぞれ使いたいということで入居してくださったのです。オーナーさんは大変喜んでくださいました。これらのお店は、10年経つ今でも営業を続けています。

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また、まちの案内をするギャラリーの活動を見ていた出雲市の方からも依頼があり、別の空き家ですが、仲間が改修して、「おもてなしステーション」という観光案内所が開設されることになりました。

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プロジェクトから10年たった今、古民家リノベーションのブームなどの影響もあり、神門通りには様々な店が営業して、賑わいを取り戻している様子なのは嬉しいことです。



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