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「 私 」 と 「 ワタシ 」

はじめまして。日田記子(ヒダキコ)と申します。
noteに初めてアカウントを作ったのは2018年9月。
使用目的は読むのみ、これまでに記事を書いたことはありません。
(このアカウントはそれとは別に新しく作りました。)
2009年から使い始めたtwitterは東日本大震災の後に一度閉じ、
再開しては別アカウントを何個か作ったりして、
ずっとWeb上の人間関係に慣れぬまま、最終的に昨年すべてを閉じました。

それがこうしてまた不特定多数の世界と向き合おうとしている。
というより、
この場は「現実」の「私」とは別の「ワタシ」を確認したいという、
「私」自身の欲求から生じた試みとなります。
ですから、
「ワタシ(日田記子)」と言う抽象的な存在/人格を「私」が記録する、
それがいまのところの一番の目的です。
(「私」と「ワタシ」はまったくの別人格でもないのだろうとも思っています。)

それならば勝手に一人で記録を綴っていればいい。
それをなぜ公開という手段を採ったのか。
それは、これまで一人で書き連ねて来た膨大な思考メモは活用に値するのかという実験であり、一人で考えている時よりわずかでも想像のつかない展開になったらおもしろいなという好奇心からでもあります。

私は幼稚園の頃から絵を描くのが好きでしたが、
中学生辺りから「コラムと絵」に強く興味を持っていました。
(90年代、OliveよりPeeWee派✌🏻)
家の近所に親が印刷所を経営している幼なじみが居り、
友達の何人かで漫画を描いて同人誌を作ったのですが、
作品と作品の間に「コラムと絵」のページを設けました。
自分なりの視点、それに付けるイラスト。
それを見た時のうれしさはまだ新鮮に残っています。

だいぶ放置していたnoteに記事を書いてみようかと試していると、
いつかのmixiには感じなかった雑誌感を感じ、
そこにやっと気づき(昨日)、俄然やる気が出て来ました。
この数年、ほぼtwitterしか見なくなってしまった私は、
長文を書くことが面倒で、自分の写真やイラストをnoteで公表することなど考えたことがありませんでした。
けれども昨年、「現実」の「私」以外に「ワタシ」が確実に存在することに気づき、さらに「ワタシ」が発生して以降「私」に大きく影響を及ぼし続けている今、何らかの形でこの人格を世に出すことを考えていました。

この現象が何なのかわからないまま、
それでも「ワタシ」は「私」よりも強い意思があることは感じる。
そして「私」は「ワタシ」を尊重しようとしている。
これまで自分のことをあまり大事にして来なかった「私」は、
反省を含めて「ワタシ」を大切に育てようとしている。

いまのところこんな感触です。
「私」の新しい人格、
「日田記子」をどうぞよろしくお願いします。

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