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祖父のステッカー

どんな大人になりたいですか?と聞かれると、
うーん…と頭を悩ませてしまいます.

自分は、どちらかといえば、野心のあるタイプだと思う.
それでも、目標に向かって、長期的になにかを進めるのが大の苦手.

そんなわたしですが、ずっと、いちばんに尊敬してきた人がいます.

素敵な出会いにいくつも恵まれて、
だけどきっとこれからも、わたしのいちばんの「星」であり続けるひと.
それは母方の祖父です.

「ありがとう」ステッカー

わたしの中の祖父は、いつだって周りを笑わせています.
緊張してしまうのか、笑顔の写真なんて、ほとんどないけれど.

県会議員だったこともあり、どこへ行っても知り合いばかり.
皆に好かれている様子が伝わってきて、本当に誇らしかったものです.

新しい車で、空港に迎えにきてくれたときは、
ひっくり返るほどびっくりした.
田舎では目を引く、ずいぶんと鮮やかな青いボディに、
「ありがとう」と書かれたステッカーが貼られていたんです.

見慣れたこのステッカーこそが、彼の人柄を表していたように思います.

祖父が文句や愚痴をこぼすところを、わたしは見たことがなかった.
それに気がついたのは、彼が入院してからのことでした.

この病気になってよかった

祖父に会えるのは、年に2回だけ.
夏休みと年末に合わせて、飛行機で訪ねるのが習慣でした.

祖父のがんが再発したのは、わたしが小学校高学年になる頃.
会いにいけば、起きている間ずっと、
ベッドの脇に座りこんで、いろいろな話をしました.

でも、孫の前でただ一度も、祖父は恨みの言葉を呟かなかった.
それどころか、
「この病気になってよかった」
と言うのです.
病気のおかげで、わたしとも沢山の話ができて、ありがたい、と.

そんな祖父の病室にはいつも、あのステッカーが積まれていました.
「会いに来てくれるひとに渡していたのかな」と思っています.

"病気のせいで" 取り上げられたもの、
諦めなざるを得なかった夢は、幾つもあったはず.
でも祖父は、「与えられないもの」を恨むことをしません.

「与えられているもの」に感謝する方が、人生はずっと豊かになる.

そう、知っていたのかもしれません.


だいすきな祖父が「星」になって、7年.
「空でいちばん輝く星になるから見といてくれよ」
と頼まれたから、わたしは今も、星空を眺めるのが好きです.

決して裕福ではない家庭に育ったという、祖父.
彼自身、欲しいものが与えられない状況を、
何度か経験してきたのでしょう.

高等教育を受けることなく、珈琲店を営みながら、
まわり回って、政治家の夢を叶えたとき.

きっと、多くの人たちに支えられ、
そしてその有り難さを実感していたのだと思います.


祖父の葬儀の日には、用意されたふたつの会場が、
それでもなお、溢れ返ったのを覚えています.
沢山の「ありがとう」に包まれた祖父は、
幸せそうな表情を浮かべていました.

読んでくださってありがとうございました.

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