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連作小説「栞」 ‐ 4冊目・明日 -


 夜眠る前に、あぁやっと今日一日が終わったと安堵し、朝起きて一番に、あぁまた今日一日が始まったと溜息をつく。47歳、来月には48歳。ようやくまた一つ歳をとれる。今年受けた健康診断はオールA、両親・祖父母とも大きな既往歴なしの長寿家系。あまりにも、先が長い。日本人の平均寿命が長くなればなるほど、申し訳ないけれど私の絶望も増してゆく。断じて「死にたい」訳ではない。けれど「生きねば」と思えるほどの熱い何かはとうに失くしてしまった。何時間でも眠り続けられた10代20代の頃なら睡眠で時間を稼ぐことができたのに、哀しいかなどんなに疲れていようと眠ってから6時間弱で必ず目が覚める。その後の二度寝など奇跡みたいな行為だ。そしてまた溜息をつき、カーテンを開け、夏の終わりを感じさせる8月末の朝日を浴びて心ばかりの伸びをする。さっきの溜息はこのストレッチで漏れたものなんですよ。誰かにそう、言い訳するかのように。

 27歳の時に結婚した夫がいた。出会いは職場の市役所。私は市民課で夫はスポーツ振興課。4つ年上、身長は低め、理詰めが苦手な代わりに屈託なく笑う表情だけで上司からハンコをもらうような私とは正反対の人だった。早々に結婚しがちな公務員達の中でお互いマイペースに過ごしていたところ、そんな我々を見かねたそれぞれの課の先輩が引き合わせてくれた。至って夢のないはじまりは、まぁ結婚するキッカケなんてそんなもんだよなとマイペースな我々を納得させたのだ。
 その2年後、一人息子に恵まれた。子を授かれるなら有難いしもし授かれないならばそれで、くらいに思っていたはずなのに、腕の中にふにゃふにゃの物体を抱いた瞬間、恐怖やら感動やらがぐちゃまぜになったものが足の裏から頭の先まで上ってきて、今すぐに「これ」を離してくれと願った。そしてそれ以上に、何が何でも死んでも手放すもんか、と誓った。ふにゃふにゃの物体はそれから程なくして、強烈な自我と好奇心と愛らしさと憎たらしさを混ぜ込んだヒト科の生き物へと目を見張る速度で成長を遂げてゆく。自らの胎内からこの塊が世に放たれた事実を半信半疑で見つめている内に16年が経った。
 ある日、夫だった人が公務員の絶対的安定を捨て去って生まれ育った田舎の海辺でカフェを起業したいと訳の分からないことを言い出したので離婚することになった。息子の高校入学直後という前々から綿密に見計らっていたようなタイミング、スポーツ振興課から田舎海辺カフェと一切繋がりのない脈絡。何もかもが異様に気持ち悪くて即刻で手続きをしてやった。どれだけ経営が厳しかろうが毎月の養育費だけは大学卒業まで絶対に払い続けることを書面で約束させ(署名捺印済みの原本は私・コピーを向こうが所持)、GW初日の朝にその人は家を出て行った。「何かあったらすぐに連絡してくれ」が別れの言葉だったように記憶しているが、嫌悪のあまり美化修正されている可能性が大いにあるので定かではない。息子は「家の中は広くなるしトイレも待たなくていいし最高しかなくない?」と笑った。割と本気でそう思ってるらしく、その屈託のない笑顔に私も心底笑った。

 再びの大事件は早くもその1年半後に起こる。高2の秋、息子が北海道の大学を受験したいと言い出した。遺伝子は笑顔だけにしてくれよ、と本気であいつを恨んだが唐突な脈絡のなさまで引き継がれてしまっていたらしい。都内じゃだめな理由を述べよと告げると、彼が本格的に進みたい職種に最も力を入れた研究ができるのがその大学らしい。こちらの理詰め特性まできちんと組み込まれたDNAが、憎くて愛おしかった。

 そうして、この春から私は独りで暮らしている。独身時代の実家住まいからそのまま元夫と結婚生活を始めた私にとって、これが人生初の一人暮らしだ。息子が遠くの北国へと移り住んで4ヶ月弱、家の中はだだっ広くトイレは終日フリーパス。それが嬉しいと感じたことは、まだ一度もない。「早く飯炊きオバさんを卒業したい」「とにかく自由な時間が欲しい」かつてママ友と一緒に自分も発していたはずの言葉は理想だからこそ輝かしく見えていて、ひとたび現実になれば渇望していたはずのそれらは宝石ではなくただの石ころだったのだ。寝る、起きる、働く、食べる、入浴する。日常生活に必要なコンテンツは以前とさほど変わらないはずなのに、どうしたって時間が有り余ってしまう。針が全く進まないことが恐ろしくて、遥か昔に同僚達から結婚祝いで貰った壁掛け時計を棄てた。贈られた際カードに添えてあった『おふたりで末永く同じ時を刻んでくださいね!』という願いも叶わなかったので、ちょうどいいかと思った。
 それでもまだ、最初の1〜2ヶ月は上手く時間を使えていた気がする。あの子の引越しを機に家中の断捨離と大掃除。おおよそ片付いた後には10数年ぶりに通い始めた図書館。ロクに料理をさせてこなかったから食生活が心配で、チンするだけで食べられるようなレトルトご飯や丼ものの食品やらを買い込んではいそいそ送る“おふくろ便”。好物のビーフシチュー(奮発して普段使いの牛肉ではなく牛すね肉にしてやった)を大量に仕込んではタッパーに入れて冷凍した“おふくろクール便”。『ラクチンレシピ』なる本を借りてはあの子でも作れそうなレシピをメモして同封したけれど、今時はスマホで検索すれば動画で見られると一蹴されたのでそれはすぐに辞めた。楽しかったけれど当然のことながら大量に送った手前また次の週にもう一便という訳にもいかず、やがておふくろ便&おふくろクール便は先方からの発注制度が導入されることとなった。
 夏が始まる少し前、次は断捨離で発掘されたあの子の写真が大量に雑多に詰まった箱をアルバムにまとめていこうと思い付いた。赤ちゃんの頃はまだ余裕があって綺麗に飾り付けながらまとめていたけれど、いつしか撮るだけ撮って後回しになっていたものだ。もはや老後みたいな暮らしだけれど仕方がない。他にやることがないのだから。2才、3才、とその成長過程を追う内に自ら傷口に塩を塗っているような気持ちになって、堪らず気分転換で図書館へ行った。それでもノスタルジーは続き、気がつけばあの子が小さい頃に大好きだった絵本を借りていた。寝かしつけの時に何百回と読んだ『しろくまちゃんのほっとけーき』。このままひとりで読むのが怖くて、帰り道に花屋へ寄った。とにかく鮮やかで、元気な、明るい花を買った。

 数十冊のアルバムを完璧に仕上げきった頃にやってきた、待望のお盆。嬉しくて気が狂いそうになった。GWにはどうせ夏には帰るのに飛行機代が勿体無いと断られたのでこれが初帰省だ。行き帰りも含めて全部で5日間、初日と最終日はほぼ道内〜東京移動で終わるので実質3日間。それなのに「初日は移動中に食うし、3日目と4日目は中高のヤツらで集まるから昼も夜もメシはいらない」と非情なことを事前宣告され、別の意味でまた気が狂うかと思った。挙句付け足された「晩メシはやっぱりビーフシチューがいい!久々に父ちゃんも呼ぼうよ!俺から連絡するし!」その純なリクエストを無碍にすることなど出来ず、結果的に大鍋で牛すね肉と野菜と複雑な感情を煮込みながら大量のビーフシチューを仕込んだのである。
 離婚後も事前に約束・報告さえすれば息子とは自由に会ってもいいことにしていたが、私と顔を合わせるのは家を出て行ったあの朝以来。約3年と少しぶり?に直視する顔は、痩せたようにも太ったようにも、変わったようにも変わらないようにも見えて、だから特に何も言わなかった。昨晩北海道から帰宅後、既に私から一通り訊かれた気候や勉強といった同じ質問をする父親に対して同じテンションで答えてくれる息子は相変わらず優しい。彼らが大盛り2杯のお代わりをしながら楽しそうに会話を交わす間、ふたつの顔の並びにあぁ親子なんだなぁとバカみたいなことを思った。そして息子に続いてしれっとお代わりをするあたりが呆れるほど図々しくて、やはり何ひとつ変わっていないようだった。
 図々しさは食欲だけに止まらず、食後にリビングでテレビを見ながら「俺も一晩泊まっていこうかなぁ」と言い出した時にはもう、多分そう言うだろうことが私には分かってしまっていた。衣服類は一切ない、自分で客間に布団を敷け。2点を口早に伝えると何やら嬉しげに歯ブラシと下着を買いにコンビニへ向かう姿を見て、息子は「一夜限りの再結成バンドみたいじゃん?」と笑った。もしかしてあの時、屈託のない笑顔の裏側でこの子は寂しかったのではないだろうか。ふつふつと後悔が押し寄せて、未消化のビーフシチューが胃の中で重量を増した気がした。勝手に勘繰っていることに気づいたらしい息子が「親が子供にそう思うのと一緒で、俺は2人が健康で幸せならそれだけでいいよ」軽やかにそう言ってまた笑う。かつて胎から飛び出したふにゃふにゃの物体は、数十冊のアルバムでも挟みきれない人生と私の知らない数ヶ月の経験を経て、自慢の息子に育っていた。猛烈にハグがしたかったけどやめた。もう一度この手に抱いてしまうと、次こそ離せなくなって私がだめになる。
 陽気なおじさんが土産に買ってきたバニラアイスを3人で食べた。どれほど不思議な光景でも、ド定番のアイスは変わらず美味い。一番風呂はなぜかいつもより熱くて身体の芯がどくどく脈打った。湯冷ましがてら小説の続きを読んでいると、烏の行水から戻ってきた息子が私の手元付近を除いてやっぱりなと失笑する。「レシート」・・・レシート?「母ちゃんの癖、その辺に置いてるレシートすぐ栞代わりにすんの」ハッとして隣を見る。「んでそのまま忘れて挟みっぱなし」思い当たる節がありすぎて堪らず本を閉じた。“冷静と情熱のあいだ” 声に出してタイトルを読み上げながら「無ってこと?」とキョトンとする顔が、小さな頃のあの子によく似ていた。

 仕事を終えて帰宅してから程ないタイミングで、荷物が届いた。送り主を見てギョッとする。陽気な図々しいおじさん、もとい、あの人だった。役所からスーパーへ立ち寄って自宅に到着する大体の時間を把握されて時間指定した妙な細やかさが、相変わらず気持ち悪くて笑えた。A3用紙ほどの大きさの割に軽いその箱の中身は、某有名専門店の紅茶パックアソートセットで100種類も入っているらしい。「一宿一飯の恩義です」と添えられたカードには、happy birthdayの文字が華やかに踊っていた。一宿一飯か誕生日かどっちかにしろよと思いながら、お気遣いどうも、と簡素なメッセージを送る。毎日味わって楽しんでください。すぐに返ってきた一言がやけに沁みて、本格的な更年期を予感させた。
 「死にたい」と「生きねば」のちょうどあいだ。そうだ、まさに無、の近くで私は人生をふらふら彷徨っている。現状の大きな目標は次の帰省、年末年始。その後のことはまだ考えられない。12月27日あたりでちょうど100日になるように数えてからこの紅茶を飲み始めよう。明日の紅茶を楽しみに日々を積み重ねることが、今の私が「生きるを続ける」意味になるのだ。

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この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』に寄稿されています。文活では生活に寄り添う物語をおとどけしています。作品は全文無料で読めますが、マガジンを購読いただくと作品ごとの「おまけ」が受け取れます。

左頬にほくろからの「おまけ」はこの栞シリーズ連作執筆にあたってのあとがきを掲載しております。宜しければぜひに。

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