#29【noteカチ分析/1ヵ月目 ③】見えてきた課題と分析振り返り(230610)

どうも。文章界の冗長イストことひだりです。

まさかnote1ヵ月目の振り返りだけで、記事3日分の文量になるとは思いませんでした。

文量のわりに内容が薄いことに気付いている方は世界の人口に比べればまだごく僅かだと思われるので、しばらくの間は安心していられそうです。人数にしてだいたい、多く見積もっても100人くらいといったところでしょうか。

マンモスな言語圏の誰かがSNSで「こいつは小ボケで字数を稼いでいるだけのペテン師だ! 中身がない!」という旨のコメントと共に僕の記事を拡散し狂わない限りは大丈夫でしょうね。ああ良かった良かった。

note分析記事が三国志ばりの群雄割拠を体現してしまい、皆様にはご不便をおかけしております。申し訳ないです。
二ヵ月目の記事はきちんと前後編に収めたいと思っております(が、結局また三部作になったりしたらすみません)。


ガチカチ分析の①と②は下記リンクよりどうぞ。
まあ読まんでも全然いけると思います。
(今回は自戒中心です。)

(↓①)

(↓②)

「左利きのひつじ」の問題点と課題(初のワンマン謝罪会見)

タイトルふざけすぎ問題。

これには反論の余地がありません。大変申し訳ございません。

記事のタイトルをざっと見返しておりますが、本文でどんなことを書いたか思い出せないものがいくつかありますね。

なんすか「原監督のアニメーガス」って。
ポリジュース薬で良くない?
まだ「パトローナスが原監督」の方が良かったんじゃないかと思いますね。
そもそも本文に原監督出て来ないし。

張本勲がAPEXの新キャラなわけないじゃないですか。
敵に撃たれて「遠くから撃ってくるとはけしからん、喝だ!」とか言わないでしょ。
意気揚々と円に向かって移動しながら「貴様らにはとっておきの喝をくれてやりますよ」とか豪語したりもしないでしょ。
アイテムを受け取ったお礼に「これはもうアッパレですよ」とも言わないですよね。
シールドリチャージ中に「私が若い頃はね、シールドなんてものはなかったですよ。身を守るものといったら木の板ぐらいなもんでしたよ。当然リチャージなんて言葉もないですよ当時は」とか説教垂れ始めたら他のお仲間もやりづらいでしょ。

…ほらね、こうやって脱線するから記事が嵩張っていくんですよ。
(でも思いついてしまったものは仕方がありません。)

内容が想像しにくいタイトルであっても、その時は一応イメージや意図があってそういうタイトルに決めているはずなんですよね。
もし僕が山下智久の顔面と人気を持っていたなら、タイトル解説というテーマで一記事書いて7億ビュー12億スキを得ていたところなんですけれどもね。現実は見目麗しくない素人なので需要がありません。大変残念なことです。

反省すべき点をやや真面目に書くとすれば、タイトルを最低限本文と関係のあるものにした方が良かったですね。できれば本文を要約したものにすると尚のこと良かったと思います。(当たり前すぎて森。)

また、キャッチーな型のタイトル、たとえば「トイレに行ったらケツから茶色い〇〇が出た」のような釣り構文を採用すべきでもあったかもしれません。お食事中の方は大変失礼いたしました。

ハッシュタグで遊びすぎ問題。

これについても反論の言葉はございません。誠に申し訳ございません。

「読者に届ける気あんの?」というご指摘に対しても返す言葉がございません。重ねて謝罪申し上げます。申し訳ございません。

「スーパーひとしくん人形」、「張本勲」、「ニコラスケイジが出て来ないのはレキシのせい」をはじめとするハッシュタグ小ボケを放ったところで、新規読者の獲得はおろか、既存読者の誰にも響かないであろうことは分かっておりました。
無駄な所業と知っていながら、それでも小ボケ欲に屈してしまいました。すみませんでした。

記事を投稿していく中で、徐々に適切なハッシュタグを設定するよう心掛けるようになっていったのですが、それでもどこかで「ひとボケかましてやろう」という下心があったことは否定できません。

本来であればそのような下心を捨て去り、きちんと記事本文と関係のある、またできればトレンドに沿ったタグを設定するべきでした。

タイムラインでいまいち目を惹かない問題。

やっぱり見た目って大事ですよね。
タイムラインに表示される記事も、アイドルとかアニメのキャラクターとかR.B.ブッコローなんかと同じですね。

記事に画像を添付していないと見た目が無機質で、人様のタイムラインに表示されたとしてもいまいちパッとしないのではないかと思います。

画像については権利の問題もあったりするので、敬遠していたのが正直なところなんですよね。
noteのガイドライン的なやつを一読もせずに画像でもボケ始めたりなんかしちゃったりしたら、ほぼ間違いなくルール違反を犯すことでしょう。

僕は写真撮影、イラスト描画、画像編集等のスキルとセンスもないので(デッサンは練習しかけた)、noteで画像を使うとすれば、よそ様から拝借してくるしかないと思うんですよね。

これを機にそっち方面のスキルを身につけるというのもこの上なく魅力的なのですが、それは記事執筆がテッカニンになってから(訳:執筆速度が向上してから)か、職を辞してからになりますかね。

逆に画像を一切添付しないスタイルを貫くのも、職人気質の親方感があってありかもなと思っていたりもします。

あとは、今後自分のアカウントが成長を遂げて大きくなることがあれば、自身のイラストを広めたい方に協力を仰ぐのも面白そうだなと思っているところです。

【文章を広めたい人】×【イラスト(写真)を広めたい人】 みたいな感じです。

たとえば、イラストを広めたい方に文章を広めたい人の記事を読んでもらって、そこから連想されて描かれたイラストを記事のアイコンに設定する、とか。イラストや写真にもよりますが、その逆もありだと思います。たとえばですよ、たとえば。

著作権とかルールとか色々と面倒なことが多いですが、個人的には記事に画像を付けることの効果はかなり大きいのではないかと思っています。
写真、イラスト、画像編集等がお好きな方はご自身の分だけではなく、ぜひ僕の分も世話してやってください。

自己の世界を無加工で展開しすぎ問題。

これにつきましても反論の余地はございません。申し訳ございません。

そろそろ読者の皆さんも謝られるのに飽きてきた頃ではないでしょうか。

変態性全開の記事はスキをつけてもらえません。まあ実質露出狂みたいなもんですから、そりゃそうですよね。皆さんも気を付けてください。

また、内輪ネタが過ぎる記事(たとえが限定的すぎる記事等)もスキがもらえません。読者の皆さん全員にそのバックボーンがあると決めつけないことですね。そういう記事を書くなら冒頭にウィキペディアのリンクでも貼るか、予め元ネタの解説記事を書いておくのが良さそうです。皆さんも気を付けてください。

意味不明な目標を羅列した記事もまた、スキがもらえません。
自分が理解できるからと言って、読者の皆さんも理解できるとは限りません。あまりにも自己完結的過ぎます。皆さんも気を付けてください。

これに関連して、自分が冗談のつもりで書いたことが、読者の方には冗談のつもりで伝わっていない可能性があります。そういう記事は単に毒を吐いているだけの記事と捉えられているおそれがあるので、当然スキを頂戴することはありません。スキをもらえないだけに留まれば良いですが、読者の方が離れていくことにも繋がりかねません。恐ろしいことです。

自分が放ったボケを解説したり、冗談を言った後に「冗談です」と断りを入れるのは愚の骨頂極まりない自殺的行為ですが、そこまでせずとも限度というものがあろう、ということですよね了解です分かりました。皆さんも気を付けてください。

僕は少し読者の皆さんに甘えすぎていたのかもしれません。反省はしておりますが、今後改善するかどうかは分かりません。すみませんね末っ子気質なもんで。

上記課題と問題点とを踏まえ、過去記事も少しずつ改善していこうかなと思い始めつつあるような予感がしているところであります。

カチ分析振り返り

数字で生まれるゲーム性。

noteにおける自身の取り組みを数字で見るようになってからというもの、noteに記事を投稿することがより一層楽しみになりました。

数字で見ることによってnoteでの活動にゲーム性が生まれ、自分の中で「記事を投稿する」という行為に新たな意味が付け加えられたような、そんな感覚があります。

具体的には、「数字の変遷が見たいから、今日も記事を投稿してみよう」とか、「こういうタイトルにして、こういうハッシュタグを付けたら、数字にどういう影響があるだろうか」とか「ビュー数1位の座を奪取する記事を書きたい」とかです。

本来は日記の継続や、思考の言語化、総合的な文章力の向上という目的で始めたnoteですが、数字で見るという視点を得たことにより、noteに新たな目的や意味を見出すことができました。

新たに見出した目的が、当初の目的のための取り組み(つまりnoteへの記事投稿)をさらに強化してくれており、良い循環が生じつつあるような気がしています。

なんだか、受験生時代の模試の結果の紙っぺらや、個人的にモチベを上げるためにひっそりとやっていた「教科毎の得点想定」なんかを思い出しましたね。受験もゲーム性を持たせて楽しんでいたのかもしれないなあと思ったところです。

今後、カチ分析で取り上げた数字がどう変化していくのか、とても楽しみです。
ビュー数についての考え方、スキについての考え方も、もしかしたら変わっていくかもしれません。

カチ分析は、個人的には想像以上の効果と影響があったように思います。

別に一獲千金を狙いたいわけではない。

あわよくば、とは思っていなくもないですけどね。
お金はあるに越したことはありませんからね。
でもやっぱり、noteで利益を得るということは僕にとっては理想で夢想なんですよねえ。

自分の言葉がお金になることほど嬉しいことはないと思いますよそりゃあ。
相対的に余計な変換フィルターを経由していないと言いますか、自分という存在そのものからそう遠く離れていないところに価値が見いだされ、それがお金になっているような感覚(言ってしまえば、自分がそのままお金になっているような感覚)があるんだろうなと、憧れ混じりに妄想を繰り広げてしまいます。(もちろん、自分の言葉にお金を払ってくれる読者あってのこと、という前提を忘れてはならないでしょう。)
もしそうだとしたら、それってやりがいとか生きがいといった代物の極致に位置するものではないかなと思うんですよね。

だからこそ、そんなに簡単なことではないと思っているのです。
自分なんぞが為せる業ではないんですよ。だから、はじめからそのような野心を大々的には抱かないことにしているわけです。

買ってない宝くじに当選してお金持ちになれたらいいな、と思っているのと同じくらいのレベルで「あわよくば」と思っているくらいが個人的にはちょうど良いです。

お金云々に関係なく、やはり、人に読んでもらえたり、前よりもたくさんの人に読んでもらえるようになったり、リアクションをもらえたりすると嬉しいんですよね。もっと面白い記事を書こうというモチベーションにもなります。

ですので、読者ウケを狙う…と言うと言葉が良くないかもしれませんが、読み手の反応を想定して記事を書こうとしている自分を、わざわざ否定することはないのではないかなと思いました。(当初は思いっ切り自己完結型の文章を書くつもりだったので。)

それに、いつも読んでくれる方のために、少しでも良いものを提供したいという気持ちになるのはごく自然なことだし、悪くないことだと今は思っています。

人の記事が読みたい。

正直、今回のカチ分析はわりと真剣に取り組みました。途中途中で真面目に飽きてふざけたりもしましたけど。

数字を眺めているのが好きというのもありますが、どこかで「noteを始めようか悩んでいる人や、続けたいけどなかなか続かない人のためになれたりしないかな」と思っていたことが大きいです。

そういった方が僕の分析記事をご覧になって「ああ、こいつ程度のこの記事でこれくらいの数字になるのか。だったらやってみようかな」と思い至ってくれたらいいな、なんて思いながら書いてました。大学の卒論より真面目に書いたかもしれません。

と言うのも、人が自分の得意なことや興味関心のあること、あるいは自分自身のことについて書いた記事って、やっぱり読んでて面白いんですよね。
僕はできるだけたくさんの人に記事を書いていてもらいたいんですよ。(自分が楽しむために。)
記事選び放題、読み放題っていい響きですよね。焼肉食べ放題、ピザ食べ放題、スイーツ食べ放題の次の次くらいにいい響きです。

僕は色んな人の記事を読めるようになりたいので、誰の参考になるかは分かりませんが、少しでもその可能性を高めるために、自分なりに最初の1ヵ月の記録を記事にしてみた、というわけなんです。

岸部露伴のスタンドがあればこんなことをせずとも人の頭の中を読むことができるので大変便利なのですが、それこそ理想で夢想です。アヴドゥル。

僕の記事が読み手の皆さんの中で勝手に良い方向に独り歩きをして、僕が予期していないような刺激を皆さんに与えてくれたらいいなと思っています。これぞ他力本願。




何かと長々と書き連ね立てましたが、何より、フォロワーさん、スキをつけてくださる方、スキを返してくださる方、読んでくださる方には本当に感謝ですね。1ヵ月間ありがとうございました。2ヵ月目もどうぞよろしくお願いいたします。



Phil Collins 『Look Through My Eyes』

(ブラザー・ベア観たことないんですけどね。)

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