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深煎りヤバいじゃん、に対する僕の答え

昨年から深煎りにハマっている。スペシャルティコーヒー的な文脈における「深煎り」はエラーと考えられているし、世界中のプレイヤーも同じ認識だ。なぜなら深煎りは素材由来の味わいを阻害するから。

例えば僕がインスタグラムで深煎りのコーヒーを抽出する様子をストーリーズでアップすると、世界中から「うわ、深煎りじゃん、それやばいよヒデ」的なノリのDMがご丁寧にやってくる。

欧米のロースターが日本のロースターを批評するときによく言うセリフが、「生豆のクオリティは素晴らしいのに、焙煎が深過ぎる」なのだが、言われる度になぜか上手く反論できず、もどかしい思いをしていた。

最近この件について自分なりの答えが出たのだが、これはポストコロニアリズム的な違和感だと思った。いわば"西欧"の考える一方的な価値観が世界に浸透していく違和感。

グローバル化とインターネットの発達により、スペシャルティコーヒー業界は情報の共有とコンセンサスの確立が可能となった。したがって、品質的「正解」も様々なプラットフォームを通して ”英語で” カリブレーションされてきた。

先に述べた僕の違和感はきっとここに起因するのだ。全ての人が品質を同じように評価しようとする世界。行き着く先は均質化された世界であり、個性のない世界なのだろうか。

もちろん、スペシャルティコーヒー産業として、品質評価の基準は統一されるべきだと思う。同時にその国の文化や嗜好に根ざしたコーヒー文化の違いを認め合う姿勢こそ、本当の多様性ではないかと思う。

というわけで、僕は引き続き業界の最先端で品質の「正解」を学び続けつつも、自分なりの嗜好を追求するスタンスで珈琲と向き合いたいのだ。

鈴木盛久さんの松葉紋柚子型の美しい南部鉄器。秘密のレシピで育て上げたお湯を使って、金属フィルターでゆっくりじっくり抽出した深煎りのコーヒーの美味いこと。

この味は自身の嗜好を知り尽くした自分にしか出せない味だし、誰にも真似できない味だからこそ価値がある。あれこれ外野から言われても「うるせー」と言える自分の頑固さも愛おしいかも。内省でしか得られない境地があると信じて今日もコツコツ珈琲を淹れる。

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