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【自己紹介】12年勤めた会社を退社しました。第2新卒でスポーツ業界へ。

初noteです。

2023年12月1日、12年勤めたスポーツ関係(自転車、ランニング)の会社を退社しました。そこで今まで感じたことを自分のためにも言語化しようと思って書きます。

どのような方がご覧になるかかわかりませんが、まずは簡単なプロフィールから。

プロフィール

  • 昭和63年(1988年)生まれ

  • 群馬県みなかみ町出身(旧月夜野)

  • 都内在住

  • 神奈川大学出身

  • 学生時代スポーツ:サッカー

パーソナルな部分でいうと末っ子気質、身体を動かすことが大好き、その分食べるし呑む。

社会人になってから自転車競技、トライアスロン、キックボクシングなどあれこれ手を出しながら、昔からやっているサッカー、フットサルもやったり何かしらスポーツをしています。

スポーツとの関わり方でいうと
・するスポーツ
・みるスポーツ
・支えるスポーツ

等と言いますがもっぱら「するスポーツ」が好きで、好きなスポーツチームを応援するとかはなく、自分がスポーツにチャレンジして、できることが増えたり新しい発見、小さいことでも成功体験をすることが1番好きな瞬間です。
そして自転車競技は入社後に始めました。
↓は初めてヒルクライムレースに出た時の1枚。

栂池サイクルクラシック。初レースはかなりしんどかった

とにかくプレイヤー気質でそれは仕事においても表れていると感じます。


12年勤めた会社の紹介

次に勤めていた会社についてです。

・会社概要
株式会社ルーツ・スポーツ・ジャパン(退社時20数名規模)
2009年設立(自分が2011年の時、6人目として入社)

・主な事業内容
①サイクルツーリズム推進事業
②自転車競技大会、サイクリングイベント運営受託事業

【①サイクルツーリズム推進事業】
主に自治体に対して、サイクリング/自転車競技を趣味とする方々を誘客するための施策を地域、予算に合わせて提案し、自治体と一緒にコンテンツを考え、プロモーションをして地域の方にも受入れ体制を整えてもらうために必要なあれこれを一緒に推進する。

【②イベント運営受託事業】
国際自転車ロードレース、市民サイクリングイベントの運営(専門領域)を受託する。

おおまかに言うとこんな感じです。
その中で私はどちらかというと②の経験の方が多く、自治体以外にも様々なクライアントとお仕事をさせていただきました。大手IT企業、新聞社、金融機関所属者の有志団体、スポーツ協会、公益財団法人など。



現在にいたるまで

ざっくり3段階
・不動産期(5ヶ月)
・フリーター期(1年2ヶ月)
・ルーツ・スポーツ・ジャパン期(12年)

でして、各期についてどのような事をしてきたか順に書きます。

1社目期(不動産会社)

そもそもなぜ入社したかというと「たまたま内定がもらえたから」以外の理由はありません。

恥ずかしながら学生時代は真剣に就活をしていませんでした。2010年卒なので、1つ上がリーマンショックによる影響で「内定取消し」社会問題になったタイミングです。就活が厳しいものになる、それは就活開始前から確実視されていましたが、結局は自分次第でしかないという事です。
なぜなら周りの知人はできることを着々とやり、内定を獲得していき、自分は一言でいえば身が入らず、なんとなく興味が湧いた業界を受けては落ちたという状況です。そして卒業4ヶ月前になり、不動産会社に営業職で内定をもらった会社に深い考えはなくとりあえず入ってみようという考えで入社しました。

入社してから担当したのはゴリゴリのテレアポ営業、内容は割愛しますがかなり黒めな勤務形態で、まあ自分が就活に向き合わなかったからこその結果だなと受け止めていたのですが、あまりにも仕事内容が不向きすぎて、この時初めて仕事というものを真剣に考え始めたタイミングでもあります。

フリーター期(1年2ヶ月)

考え出したら早いものですぐに退社を決意しました。入社して5ヶ月です。ちなみに同期の中で一番最後に採用されて、一番最初に辞めたのでなんとも短い期間でした。

最終的なきっかけになったのは、とあるスポーツ業界で働いている方を紹介するブログで、その方がこれからスポーツ業界で働きたいと思っている人向けのセミナーを新たにスタートさせるというものでした。

前述の通り、スポーツをするのが好きだったので「スポーツ関係の仕事」に絞って転職を考えていたのですが、スポーツの仕事といっても自分は「どの立場で」「なにをしたい」かがはっきりとしていなかったのでまずは学びながらその解像度を高めそうと考え、そのセミナーに半年通おうと決断したのです。

ただ、この時うっすらと自分の中にあったのが「多くの人にスポーツを楽しめる環境を創りたい、また創れる人間になりたい」です。今となって感じるのがこの「創りたい」だけでなく、「創れる人間になりたい」は大きな違いだと感じます。これは自分より若いビジネスマンにも伝えたいことの1つです。

「創りたい」だけであればその会社に入れてもらい、そこで「与えられた機能と役割をこなす」これだけでも達成できます。「創れる人間になる」は自身がリードして、責任と覚悟を持たないとできません。
この意識の違いは1,2年経った時に大きな力の差が生まれると感じています。日々365日の姿勢が変わるからです。この辺はまた別の機会にかければ書こうと思います。

ということで、私はセミナーをやりつつフットサル大会運営のアルバイトを始め、小規模でも現場の責任を負うところから経験を積み、自分の得意とやりたい事を整理する1年間にしました。
結論、最初に考えていた「多くの人にスポーツを楽しめる環境を創りたい、また創れる人間になりたい」は変わらず、それを実現できそうな会社を探し、ルーツ・スポーツ・ジャパンに出会いました。

振り返ると1社目がそれなりにやりがいがあって数年はやってみようと思えるような会社でだったら1回目の転職はなかったと思います。
そういう意味では1社目に感謝です。

ルーツ・スポーツ・ジャパン期(12年)

入社したタイミングは設立3年目、6人目でした。私は完全に育成枠、事前準備から現場までバリバリ動く若手として採用されました。

なぜルーツ・スポーツ・ジャパンを受けたかというと誰でも楽しめるランニング、自転車は生涯スポーツとして親しまれ、大人になってから始めるにも身体的ハードルが低いからです。また、会社としてはスポーツ軸ともう一つ、地域活性化文脈でも事業を展開していたため、地方出身である私にとっては非常に興味ある事業内容でした。

入社時に掲げた目標は「30歳までに地元群馬で自分が担当するイベントを3つやる」でした。結論3つまではいきませんでしたが、30歳までに1つはイベントが実現し、退社時30半ばには群馬内の別地域でサイクルツーリズム支援事業を担当していましたので自分が培ってきたもので当初目標としていた貢献は最低限できたと思っています。

私が地元群馬で退社直前まで関わってきたサイクルツーリズム支援事業のユーザー向けWEBサイトはこちらです。


入社時に戻ります。
当初はイベント運営受託がメインで自主事業(サイクルツーリズム事業)はまさにこれから展開する段階でした。入社してすぐに自主事業が開始したのです。

若手の私はとにかく打ち合わせなどに帯同し、現場に出て、実務をひたすらこなします。ひたすら失敗を重ねて経験を積みます。当時は「失敗したい」気持ちが1番で、背伸びできるチャンスがあれば積極的に仕事を取りにいってました。なぜなら若手なので失敗してもフォローしてくれるし「仕方ない」と思ってもらえる時期だからです。また、会社としては私を育成する意図もありますが、実際人手不足なので仕事は山のようにありました。これは本当に嬉しい環境でした。筋トレでいうと毎日筋肉痛であってもギリギリ筋断裂手前、オーバーワークギリギリ、もしくは違う部位を攻めている感じです。とにかく負荷をかけ続けられます。いち早く先輩達の立場、仕事を奪って裁量が欲しい、そればかりを考えて1,2年働いていました。

具体的には、半年〜1年スパンで動くイベント事業が主なので全案件必ずプロジェクトマネージャー(PM)が1名つき、クライアントと向き合い、社内チームをリードしていきます。このPMの立場になりたかったです。

例えば、打ち合わせ1つとっても先輩PMがクライアントとの議論で、「先輩はこの質問にどう答えるか?」を勝手に自分の中で先にアンサーしてみるのです。頭の中だけで考えている事なので間違っていても何も問題になりません。先輩が同じ意図の回答をすれば同じ視点を持てている、逆に違う見解を述べれば、自分はこの視点が抜けているのだと気付き、常に議事録を取りながらロープレみたいなことをしてました。

これは前述した↓この姿勢からきていたのだと思います。

「創りたい」だけであれば会社に入れてもらい、そこで「与えられた機能と役割をこなす」これだけでも達成できます。「創れる人間になる」は自身がリードして、責任と覚悟を持たないとできません。
この意識の違いは1,2年経った時に大きな力の差が生まれると感じています。日々365日の姿勢が変わるからです。この辺はまた別の機会にかければ書こうと思います。


そして2年後に担当案件を持てるようになり、毎年徐々に案件数が増えて2020年にはPMとして年間平均10案件程度を受け持つようになりました。PMになっても変わらず毎日が筋トレであり、日々筋肉痛を抱えながら次の部位を鍛え続けていましたが、若手時代と大きく違うのが脳みそに汗をかく量が格段に増えたという事です。

「決断と責任」「ケツを拭く覚悟」が圧倒的に増えていくのでした。お世話になったクライアントのお言葉を借りると「背負う」量と質が変わってきました。

そしてみなさんご存知2020年にコロナが訪れ、イベント事業というのは「自粛」に追いやられました。会社としても事業展開を変えざるを得なくなり、クライアントと協議しながら新しい地域活性化施策を考えたりと新しい形を自分たちで模索しないといけなくなりました。

この時も自分の中では大きな転機でした。今まで当たり前のようにイベントを選択してきたのですがこれからはそうもいかず、再度0から考えていかないといけなくなり、無意識に「事業を維持すればOK」と甘んじていた事が成り立たなくなります。今までと使っていなかった脳みそに汗をかくようになったと感じました。

また、個人的ですが2020年から結婚、出産と続き、家庭環境が変わったことで24時間内で仕事のリソース配分をこれまた0から考え直さないといけなくなったのです。でもこのおかげで今まで以上に仕事の質にこだわる事ができました。仕事に使える時間が絶対的に減るので嫌でも「やらない選択」をしなくてはならなかったのですが、今まで量をこなしてきたからこそ質を高められたのかなと思っています。


大まかにこういった流れがあり、現在に至ります。実務的な話し、業界の話しみたいなものはまたテーマを整理してこれから言語化していこうかなと思います。
そしてこちらは最後の現場を終えたときの1枚。

お台場エリアでのサイクリングイベント

何よりもこの環境を与えてくれた会社、メンバーに感謝しています。
そしてここまで読んでいただきありがとうございます。

今回は簡単な自己紹介中心の内容になりましたが、また何か書きたいと思います。

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