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あいちトリエンナーレ2019の表現の不自由展について考える。

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の作家・大浦信行さん(71)は、自身が監督した映画「遠近を抱えた女」(98分)の表現の中で天皇の写真を燃やすシーンを流したそうだ。
私は全部見たわけではないが、大浦さんの作品は、美術作品としては、どうか個人的な感想を書きます。

大浦さんの作品はコラージュとしては、大した作品ではありません。
素人作品です。はっきり言いますが、造形思想もないし、構成も平凡でとても過去の作品と比べ物にはなりません。
天皇の写真を燃やすことは人権侵害です。
天皇の戦争責任を問題にしているのか、単なる売名行為でやっているのか分かりません。多分目立ちたいのでしょう。

私は会ったこともない天皇さんを傷つけることはしません。
ましてや個人的な恨みがあればしてもいいかもしれません。
しかし左翼的な政治色の強い目的で天皇の肖像を焼いたことは、
天皇さんの人権を侵害しています。
これは倫理的にアウトです。
芸術とは呼べません。
芸術は、人権侵害に反対することはしますが、人権侵害は芸術ではありません。

まあ、目立ちたがりの芸なしですね。
それだけは言えますね。

芸術と政治について

芸術というのは、常に体制の政治を批判する側のものと、
時の権力と寝て、国に擁護される芸術家がいますが、
権力と寝る芸術家はそもそも才能がありません。
そういう意味で、大浦さんは少しは骨のある、反骨な作家ですが、
天皇の存在そのものを消すことは、倫理的にアウトです。
これは暴力行為です。芸術と呼んでほしくありません。
コラージュを初めてやったのはピカソでした。
ピカソの作品にハトの絵があります。
平和への願いです
同じものを描けとは言いませんが、方向性が違うし、
大浦さんは、ピカソを無視しています。
芸術作品というのは美術史の教養が反映されます。
決して作品は、オリジナリティーというものは、美術史を無視して作ると、
幼稚な作品にしかなりません。
私が言っている美術史は造形思想史です。
これは知識ではなくて、感覚的にしか掴めない、
美術家にしかわからない世界です。

優れた芸術家は左翼的ですが、右翼も左翼も影響を受けるのが、
本当の芸術家です。



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