#37 自分を頼りに生きるとは、自分が思うままコントロールすることではない

小さい頃、何かを初めて、一人でするように言われる
これはやはり不安ですよね

だから、いつも持っている大好きなぬいぐるみや、
好きなキャラクターのお面、おもちゃの剣など、
それが一緒なら、出来たりしますよね

そうして一つ、一人で出来ると体験になります
その積み重ねで、徐々に何も持たなくても出来るようになります

しかしいくら大人になっても、不安はあります
人間はとても、身体的にも精神的にも弱い生物です

ぬいぐるみではないにしろ、御守りだとか、
そうしたものを頼ることもあります

こうした不安、恐れから、安心を求める為に、
神や仏が生み出されてきました

あるいは、自然災害や交通事故などの、
自分たちの力を超えた出来事や、
想像もしていなかった事が起きた時、
神や仏にすがったりしてきたわけです

私が何度か投稿や著書にも書いている、
自らをり所とする、「自灯明じとうみょう

これは、あらゆるすべてのことを、
全部自分の責任で、
自分の考えたようにコントロールして生きなさい、
ということではないんです

私たちは、すべて自分の思い通りに
コントロールして、生きていくというのは、
むしろできない事の方が多いです

自分が望むもの、欲するものが、
その通りに手に入ることの方が無いです
これが、一切皆苦いっさいかいくです

神や仏に願い、その力を通じて、
何かしてもらおう、良くしてもらおう、
これはいわゆるエゴでしかない

この世の中は、思い通りになんかならない、
これを前提として、自分には何ができるか、
そこを神や仏にゆだねるのではなく、
自分ができることの努力をして、それを続けていかないと、
自分を保つということができないということです

他の者を一切頼らないで、
完全に周りに依存しない、

そうじゃなく逆なんです

何一つ、たった一人ではできないです
生きていくこともできないです

だからこそ、人間同士だけでなく、
あらゆるものとの関係性を、いかに助け助けられ、
そういう意味での相互依存をして、
他と調和して生きていく、

そうなるよう、心の有り様、言葉の使い方、
自分の行い、それを出していく、
これが、「自灯明じとうみょう」です

人間は人間の社会を作っていて、
私たちが普段、直面する苦しみ、
その苦しみの多くは、人間社会の中で、
または人間関係の中で起きることです

だから、神や仏にすがるのはおかしいです
むしろ、それにすがると解決しないことの方が多いです

災害や事故、不幸な事にあってしまった時、
神や仏に祈り続けてるだけでは、良くはなりません

しかし、そうして神や仏を信じ込むことで、
その時の自分が不安でしょうがない、
最初に書いたような、子どもの時の気持ちのように、
ギリギリの精神状態から脱することができる側面も、
私たちの心の中にはあるんですね

もし仮に、神や仏がなんでもできて、
願いもかんたんに叶えてくれるとしたら、
私たちは何のために生きているでしょう?

私たちの心の安心あんじんの為に、
神や仏の世界を想像して、祈ることがあります

ですが、そのどん底にいる状態の中にいて、
今何をするのか、これは自分自身にゆだねられています


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